戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けする

ブロクにお越しくださいまして、ありがとうございます!

スポンサーリンク

戦国時代、厳しい生き残りをかけた時代の中でも、人々は色々な娯楽を楽しんでいました。

戦国武将も、厳しい環境の中、生き抜きや癒やしが必要だったと思います!

 

どんな娯楽があったかと言いますと、「能」「歌舞伎」「舞」「相撲」などがありました。

織田信長公は大の相撲好き!相撲大会優秀者への賞品は「私宅」!?

 

今回は、そんな中で、「能」について見ていきたいと思います!

 

「能」って?

 

能というのは、分かりやすく現代風に言うならば、「ミュージカル」です!

物語にそって、いかにその者に似せるか?といった物真似の芸能です。

 

物語は真面目な内容で、歌や舞、音楽、掛け声で表現して行きます。

主人公はお面を被っています!

 

背景がない能舞台で演者がいかに表現していき、見る側も想像しながら見る

という面白さがあります!

 

650年の歴史を持つ芸能です!

 

それでは能はどんな人を演じるのでしょうか?

物語の主人公(2000から3000種くらいありますが、大きく5つに分類されます)

脇能物(わきのうもの)→

修羅物→修羅道に落ちた武人

髪物→女性

雑能→その他

切能→天狗や鬼など人以外のもの

結構色んな人を題材に演じるのですね!と言いますかなんでもありですね!

 

登場人物は?

登場人物の役割

シテ→主人公(能面を被っています)

ツレ→シテの助演者

ワキ→シテの相手役

ワキツレ→ワキの助演者

*ワキとワキツレは能面をつけません

間狂言(あいきょうげん)→画面のつなぎに、人物開設や状況説明をする役

登場人物はミュージカルに比べてだいぶ少なめですね!

それがシンプルで良いのかもしれませんね!

 

周りを盛り上げる人は?

登場人物以外の役割

後見→演者の乱れた装束を正す。小道具を出して渡す。シテに事故があった際の代役。

地謡(じうたい)→場面の情景や、人物の内面を謡う。8人で構成。

囃子(はやし)→楽器の演奏と掛け声をする人。4人で構成。

周りが盛り上げてくれるわけですね!

 

どんな楽器を使用するの?

「能」で使用される楽器

(たいこ)

大鼓(おおつづみ)

小鼓(こつづみ)

右から笛、小鼓、大鼓、太鼓の順に並びます

和式の簡易オーケストラですね!

 

能舞台の構造は?

本舞台→舞台を演じる所

後座→囃子や後見がいる所

地謡座→地謡がいる所

橋掛かり→登場人物が移動する場所

(照明は一定で、背景は松の木のみのシンプルな作りです)

観客席はどうなってます?

正面→舞台を正面から見ることができ料金も一番高いです。

脇正面→橋掛りの演者をより近くに見ることができます。

中正面→全体を見ることができますが、柱がたまに邪魔します。

 

それでは次に簡単に能の歴史をご説明していきますね

スポンサードリンク

能の戦国時代までの歴史を簡単にご説明します!

元となったものは、2つあります。

奈良時代

伎楽→7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった日本最古の舞台芸能です。

(一種のパレードと、滑稽味をおびた無言劇(パントマイム)で構成。後の獅子舞のルーツ。

伴奏は世界最古のオーケストラである雅楽に引き継がれる)

 

散楽奈良時代に伝わりました。物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊り

など、娯楽的要素の濃い芸能の総称のことを指します。

 

以上の2つがルーツになり発展、変化して行きます。

 

平安時代

奈良時代は朝廷の保護を受けていた2つの芸ですが、

平安時代になると朝廷の保護を外れ、そしてまた形を変え、名を猿楽と呼び、

寺社や町角(ストリートパフォーマンスですね!)で芸を披露するようになっていきます。

この時代からストリートパフォーマンスがあったなんてなんか不思議です!

鎌倉時代

鎌倉時代になりますと、寺社との結びつきを強め、寺社の祭礼等に組み込まれていきます。

寺社は、寺社の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、猿楽の劇を演じさせたりしました。

この劇が発展して「能」となっていったといいます。

(ちなみに猿楽の中で滑稽さを重視した芸が狂言(現在野村萬斎さんなどがなどが有名ですね)となっていきます)

 

室町時代(観阿弥、世阿弥親子の登場)

室町時代には、大和国(現在の奈良県)の大和猿楽の一つ、結崎座の観阿弥が人気を博していきました!

 

観阿弥が人気を博した理由は、

大和猿楽が得意とした物真似芸に、田楽(田植えの前に豊作を祈る田遊びから発達した)の優美な舞や、

南北朝に流行した曲舞(くせまい)織田信長公が好んだ「敦盛」も曲舞の一種です)

の音曲を取り入れた新演出が、当時の観客の心に強い感興をさそったといわれています。

 

当時の演出を当時の演劇場で見たら感動するだろうなあ!

なんて、思いを馳せつつ、、、。

 

観阿弥が今熊野(京都東山)で催した猿楽(申楽)能に12歳の息子世阿弥が出演したとき、

 

室町幕府3代将軍足利義満公の目にとまり、観阿弥とその子世阿弥は将軍の庇護を受けることになります。

 

これは凄いことですよね!将軍の目に止まっちゃうのですから!時の最高権力者です!

おお!

 

そしてそして、世阿弥は、今も語り継がれるはじめての演劇書「風姿花伝」を執筆します!

名前だけは聞いたことがあったりするのではないでしょうか?

なんか、語呂のいい4文字熟語って感じですね笑

明治まで、まさに秘伝!だったそうですよ!

人生のことについても触れていてかなり深い内容のようです!

 

その後、応仁の乱の混乱の中、能は一時衰退しますが、豊臣秀吉公が天下統一を果たすと、

秀吉公自身が能を愛好し、そしてまた日の目を見ていくってわけです!

 

と簡単に「能」の歴史をご紹介してきました!

まとめ

「能」とは現代の「ミュージカル」です。

 

奈良時代、中国から伝わってきた、物真似芸や、曲、舞などが発展して

戦国時代の豊臣秀吉公の時代まで伝わっていくわけです。

 

途中、観阿弥、世阿弥という親子が足利義満将軍に認められて、

そこから将軍、その後の戦国武将たちに庇護されていくようになります。

 

お面を被って歌に合わせてセリフを言い、舞う姿は

なかなか興味深いものがありますね!

 

豊臣秀吉公をもっと知りたいな!って思った方はこちらの記事もお楽しみになれます!