戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長南昌幸がお届けする

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大河ドラマ「おんな城主直虎」は井伊直虎公の生涯を描いたドラマですが、

その中で、阿部サダオ演じる徳川家康公が、城にいる時でも、

戦時中でも常に「碁」を1人で打っているのがとても印象に残っています。

 

なにか、由々しき問題に直面すると、必ず「碁」の前にいき、

1人で、ブツブツ言いながら「碁」を打つのです!

 

「碁」に何か解決方法を見出しているんだと思いますが?

 

徳川家康公と、「碁」の関係が気になったので、調べてみることに

しました!

 

徳川家康公と碁

徳川家康

実際、徳川家康公は「碁」を手厚く保護していたようです!

その前に、碁を広めるきっかけになる人物をご紹介しましょう!

本因坊算砂

本因坊算砂という法華宗の僧がいるのですが、

織田信長公の時代、「名人」と言われていました。

(名人という語源がこの織田信長公が本因坊算砂に対して言ったことに

由来するらしいです!)

 

また、織田信長公が本能寺の変で自害する日の前夜、本因坊算砂は信長公の御前で、

碁を打っていました。

その時、対局が終わらず、無限ループに陥ってしまう「三コウ」という状態になりました。

なかなかその状態になるのは珍しく、当時、不吉と呼ばれていました。

案の定、翌日に織田信長公は自害することとなりはてます、、、、。

ちょっと恐ろしいですね!

 

その後、豊臣秀吉公の御前でも対局戦を行い見事勝ち抜き、20石の給料とと10人の扶持を

与えられます。さすが、名人は違いますね!

このように、天下の英傑たちに招かれ続けた本因坊算砂は当然のように徳川家康公も

との才能を愛され招かれていき、「碁」という文化を手厚く保護されていくことになります。

 

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徳川家康公は「」をどのように活かしていったか?

「碁」とはそもそもどういうものか?

簡単に言えば、白と黒の碁石で相手の領域よりもより多くの領域を

確保することを競うボードゲームですね!

領域を陣地に見立てれば、陣取り合戦の戦国時代とかなりマッチングします!

 

「碁」はどんな効果があったのでしょうか?

囲碁のイラスト

「碁」をうちながら、色んな戦略を練る頭脳を作り上げていったんだと思います!

 

相手の心理を読むとともに、定石もありますし、布石を打つ必要があったり、

捨て石といった作戦もありうります。

 

白と黒の石と盤があれば出来るシンプルなゲームですが、本当に奥が深いです!

 

また、全体を見れることで、大局観が養われていきました!

 

これら、碁の有用性を徳川家康公は、人生や徳川家の行く末や戦略に活かしていきました!

 

そして、本因坊家は、碁の家元4家の一つとして幕府の保護のもと、長くその文化を

引き継ぎ、紆余曲折ありながらも、現在まで脈々と続いているわけです!

 

まとめ

徳川家康公は「碁」を打つことで、その有用性を巧みに人生や戦略に取り込み、

天下人までなっていきました!

 

本因坊算砂という名人に出会ったことは、徳川家康公にとって、「碁」を

手厚く保護するきっかけとなります!

 

「碁」は今まで、自分はやったことはなかったのですが、

こんなに天下人が愛していたものだとすると、やって見よう!!

と思う今日このごろでした!

 

徳川家康公をもっと知りたい!という方は、以下の記事でもお楽しみになれます!