「あそこのラーメン屋さんルール厳しくて頑固一徹だよねえ。」

「上司が頑固一徹で一度言ったことを決して曲げないんだよ。」

「子供があれが欲しい!ってどう説得しても頑固一徹で聞き入れなくてね」

という感じに本当に頑固だなって時使うことってあったりするのではないでしょうか?

頑固」は分かっても、その後の「一徹」って何なんでしょう?

パッと思いつかないですよね。

実は、「頑固一徹」の語源が、戦国武将「稲葉一鉄」の名前にちなんだものだったのです。

 

今回は、この「頑固一徹」の由来、意味、語源となった戦国武将「稲葉一鉄」について調べてみたいと思います。

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「頑固一徹」の読み方と意味

読み方:頑固一徹「がんこいってつ」

意味:態度、考えを変えないこと。言い出したら是が非でも押し通す事。または性質のことです。

頑固も一徹も同じ意味ですが、重ねることで意味を強めているのです。

 

良く言えば、信念を曲げない人。

悪くいえば、融通が利かない人。

 

では、この言葉の由来となった人は、由来になったくらいですから相当な信念の持ち主で、

相当融通が利かない人なんだなって想像できますよね。

 

それでは、「頑固一徹」の由来になるような人生を送った「稲葉一鉄」さんをご紹介しましょう!

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頑固一徹の由来となった戦国武将「稲葉一鉄」とは?

戦国時代、美濃(現在の岐阜県)に生まれて美濃を治めた大名(斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉)

のもとに仕えた戦国武将です。

相当戦闘力が高く、20年間で80戦位戦いに参戦したようですが、ほぼ負け無しという位、武功が高い武将です。

どの位強かったのか?

一つエピソードをご紹介しましょう

姉川の戦いで家康の指名と奮迅の戦いぶり

織田信長、徳川家康連合軍と浅井、朝倉連合軍が戦った姉川の戦いに、織田軍として稲葉一鉄は参戦しました。

織田信長は、徳川家康に「織田軍の中から兵を連れて行っても良い」と気前良く言います。

徳川家康は断りきれず、それではということで、「稲葉一鉄一人をお願い申す」と指名します。

優秀な武将が数多きらめく織田軍なかで選ばれるというのはなかなかすごいことです!

実際の戦では、結局織田軍の方がピンチとなり、稲葉一鉄が織田軍を助けに戻り横から攻撃を加え織田軍の危急を救います。確実に結果を出せる武将でした。

 

 

戦が強かったと聞いただけで、なんとなく「頑固一徹」っていうイメージが湧いちゃいますね。

でも、戦が強い武将は戦国時代に他にもいましたし、それだけではなかったのでしょう。

では、何がきっかけで、「頑固一徹」の言葉の由来になったのでしょうか?

そのエピソードがありますのでご紹介しますね。

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稲葉一鉄の頑固一徹エピソード

1,織田信長公の褒美を自分の考えで断った

先の姉川の戦いは、織田、徳川連合軍が勝利するわけですが、織田信長は、一番の武功を上げた稲葉一鉄に対して

褒美として信長の「長」を与えようとします。(「一鉄」の名前になったのは出家してからで、この当時は「朝通」という名前でした。それを「長通」という名前にするように命じられます)

名前を与えるという最高に近い名誉な褒美なのですが、これを稲葉一鉄は断ります。

「ええっ!なんで!」と思いますよね。驚きです。

 

稲葉一鉄の考え方はこうです。

最も武功をあげたのは徳川家康殿の方です。私は大したことをしていませんから、家康殿にお与えください

すごい自分に対して厳しいですね。

でも、このようなストイックな人な考えの人も他にいるかもしれません。

しかし稲葉一鉄のすごいところは、これをあの鬼の織田信長を前に自分の考えをを堂々と述べてしまうところでした。並の武将は出来ません。

 

だって、普通は褒美を断ってしまったらそれは褒美を与えた本人を否定することにもなり、機嫌を害しかねません。

それも織田信長は一部からは血も涙も無いと恐れられていましたから、その場で首をはねられることだって考えられました。

実際、徳川家康の長男は、織田信長からの褒美を断ったがゆえに自害する羽目になったりしました、、、。(自分の娘の夫なのにですよ)

稲葉一鉄は、そんな、命の危険さえも顧みず、自らの考えを貫きとおします。

 

どうなったか?

織田信長も、稲葉一鉄のその武功に免じて大目にみたようです。

はあ。良かったです。でもヒヤヒヤもんです。

 

これこそ、「頑固一徹」と言えるのではないでしょうか?

2,茶室で織田信長に暗殺されそうになる!?

自分の信念を曲げない真っ直ぐな稲葉一鉄ですが、そんな一鉄を快く思わない輩がいました。

一鉄が裏切る報告を織田信長に報告するものがいたのです。

その報告を信じた織田信長は、稲葉一鉄を茶会に招き、そこで暗殺しようと考えます。

ここで、さすがは稲葉一鉄。逃げも隠れもしません

しかし、ただでは行きません。

この気配を察した一鉄は、懐に剣を忍ばせ、暗殺の際には自分も1人くらいは道連れにしようと考えていたわけです。

実際の茶会では、一鉄が茶室の掛け軸を諳んじながら自らの無実を訴えることで、一鉄の学識の高さに織田信長も感嘆し暗殺は免れ、織田信長から信頼を得ることになります。

胆が座っていますね!

こういう男の行動、考えのことを「頑固一徹」と呼ぶようになるのです。

※一鉄が転じて一徹になります。

まとめ

戦国時代の真っ只中を生きた稲葉一鉄。

一鉄の生き方、考え方は当時の戦国武将の中では異質なものでした。

一見勇猛に見える武将たちですが、生き残るためには様々なやり方を駆使しなければなりませんでした。

内通、暗殺、陰謀、裏切り、、、。

しかし、そんな生き方が普通の戦国時代にあって、稲葉一鉄の考え方、生き方は異質であったといえます。

また、異質であったがゆえに、頑固一徹の言葉の由来にもなったのでしょう。

こんな生き方、なかなかリスクも高いですが、取り入れられてはいかがでしょうか?

あなたの生き様が、後世に残る「言葉」になるかも?