阿部正弘をご存知でしょうか?

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引用:Wikipedia

大河ドラマ「西郷どん」では藤木直人さんが演じていますね!

他のキャストさんの情報はこちら→大河ドラマ・西郷どん全キャスト表!出演者と役柄、独自評価!

青い裃でスラッとした格好でさっそうと歩く姿が印象的です。

でも、実際の阿部正弘は結構お太りになられている方だったようで。

なんでも、阿部正弘が座っていた所が汗で湿ってしまうくらいだったようです。

太られれている方は、汗かきの方が多いですが、阿部もまたそうだったのですね。

 

過去の大河ドラマでは、

「翔ぶが如く」若林豪さん、

「徳川慶喜」大橋吾郎さん、

「篤姫」草刈正雄さん、

「龍馬伝」升毅さん

 

が演じられてきています。

みなさんイケメンですね!

若くして老中首座になったお方ですから、有能なイメージに皆さんぴったりですね!

 

今回は、ペリーが来航し、激動の幕末が始まる頃の幕府の最高実力者、阿部正弘のお話です。

早速見てみましょう!

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阿部正弘とは?

生まれから藩主まで

1819年福山藩5代藩主阿部正精の5男として江戸の西の丸屋敷に産まれます。

その後、1836年福山藩7代藩主として阿部正弘が家督を継ぎます。19歳の頃です。

父が亡くなり、兄が亡くなり、トントン拍子で藩主になります。

翌年、いままで江戸に住んでいた阿部は一度だけ、藩主として福山にお国入りします。

なんと、藩主なのに、国へ帰ったのはこの時が最初で最後だったのです。

39歳で亡くなりますから、20年以上地元に帰らず統治してたわけです。

ある意味凄いことです。

幕府の役職を歴任することになり、自分の地元を省みる余裕がなかったからでしょう。

幕府の役人としてデビュー!

さて、江戸での阿部は先ず奏者番(大名から将軍への献上品のチェックと伝達係。出世の登竜門)を任じられます。

卒なくこなし、寺社奉行見習い、そして、22歳の頃には寺社奉行と順調に出世街道を歩んでいきます。

寺社奉行とは、僧侶、神官達を管轄し、将軍直轄で、3奉行(勘定奉行、町奉行)の中で筆頭格の地位。

若きスーパーエリートと言えます。

この時に阿部が出世を決定づけたエピソードがありますので見てみたいと思います。

それが大奥女中と日蓮僧侶との間に起きたふしだら事件です。

大奥、僧侶とのふしだら事件

これは由々しき事件。どういうことでしょうか?

 

当時、異性と交わることが禁じられていたのが、妻帯を許されていた浄土真宗以外の僧侶と、男子禁制の大奥の女中(大奥に勤める女)でした。

この両者が出会うタイミングがありました。

それはお寺参りです。

こういうことがありました。

智泉院という寺があり、その住職、日啓は、美人の娘お美代を将軍の小姓の養女として大奥に入れます。

そして、お美代は将軍との夜の寝物語に、智泉院を「祈祷所」にすることの了承を得ることに成功します。

将軍認定の祈祷所になれば、大奥の女中たちがお寺参りに行くことのハードルが下がるわけです。

女中たちがお寺参りをするようになれば、そこにいるのは女性に飢えた僧侶たち。

本来はあってはならないことが、会う数を重ねるうちにおきていきました。

はじめは普通の祈祷だけだったのに、そのうち特別な大人の祈祷もするようになり、更には、逆に僧侶が男子禁制の大奥にまで出入りするようになってきたのです。

かなり乱れてきていますね。これはまずいと就任直後の阿部は動きます。

 

しっかり、内偵を行い、尻尾を掴み、その住職を捕らえることに成功します。

阿部が下した判断は?

女犯」ということで、住職の日啓は島流し、関連神社は取り壊し、領地の没収、という裁定を下します。

一方の大奥の罪状には手を付けませんでした

ココが、阿倍の政治感覚の鋭いところでしょう。

これで、大奥の浮気が押さえられつつ、大奥には嫌われずに済んだのです。絶妙な奉行ぶりです。

そして、大奥を不問にしたその裁定が、やがて12代将軍家慶から目をかけらるようになり、出世の目をつかむことになるのです!

若干25歳で老中、そして27歳で老中首座に

スーパー出世ですよ。老中といえば江戸幕府政府の最高役職ですよ。すごっ。

でもこれだけでは終わりません。

当時の老中首座(筆頭格)水野忠邦が出戻りだったことに反発し、以前の改革の時の不正を暴き、失脚させることに成功します。

ココでも政治感覚を発揮させまくり、正真正銘トップ老中首座になります。

現代でいうところの総理大臣です。

御年27歳って、胆が相当座っていたのでしょうね。

しかし、当時の日本は問題山積み、それをどのように乗り越えていったのでしょうか?

阿部流政治術を見てみましょう!

皆の意見を聞く

当時、アメリカから開国するようにと圧力がかかっていました。

阿部は、アメリカの大統領からの親書を翻訳し、そしてその対応を様々な人に相談します。

朝廷や、外様大名の薩摩藩藩主島津斉彬、御三家の水戸藩の徳川斉昭、福井藩松平春嶽などです。

江戸幕府としては、朝廷、外様大名、御三家含む親藩は政治に口を出させないというルールがありましたが、それをあっさりと放り出しちゃいます。

根本に、幕府だけでなく、日本が一致団結し知恵を集めて対応しなければ、外国の脅威に対応することが出来ないと知っていたからでしょう。

とにかく、阿部は話を聞きました。自然と民主的議会政治っぽい事をやっていたのかもしれません。

また、海防掛という国防問題を扱う部署を設置し、ジョン万次郎や勝海舟を担当させたり、議会民主制国家を目指した大久保一翁(後の東京知事)を採用したり、永井尚志に海軍、高島秋帆に砲術を任せるなど、どんどん抜擢していきました。

ちょっと変わったところで行くと、遠山の金さんを南町奉行で再採用していたりしています。

身分関係なく、有能なものは次から次へと採用していきました。

採用っていうのはなかなか難しく当たり外れがありますが、人を見抜く才能もお有りだったんでしょうね!

 

そしてさらに凄いのは、当時、阿部がはじめたものは、その後の近代日本の仕組みとして脈々と生きていくことになったってことです。

結構凄いのですよ。

見ていきましょう。

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阿部がはじめた事

日本を強くするため、長崎海軍伝習所、講武所、洋学所を創設します。

これは、後の、日本海軍、日本陸軍、東京大学の前身となります。

さすがエリートです。エリートはエリートを産むって感じですね。

 

軍力を強くするって視点から見ると、大名からの上納金を軽減し、大きな船を造ることをオッケーします。

今までは、謀反を起こさせないようにしていた政策ですが、そんな事を言っていられなくなってきていました。

オールジャパンで立ち向かおう!ってところです。

 

阿部が採用した江川英龍、担当韮山反射炉(世界文化遺産)で大砲を作ったり、品川台場(海上要塞)を作ったりと軍力を自前で整備することも積極的に行っていきました。

自分の国は自分たちで守る。っていう意思表示です!

 

さらに、福山藩の初等教育において、男女共学を取り入れています。

女性を活かすってところの重要性を見抜いていたのでしょうね。

 

ちょっと変わったところですと、日の丸が、国旗として制定されたのも阿部時代のことです。

外国の船と区別するため、必要に迫られて行われたことですが、なんかロマンを感じたりします。

 

極めつけは、日米和親条約で開国をしたことです。

鎖国を終わらすことは必然でした。

後は条件の問題です。

 

開国はしても、貿易の条件は譲れないというのが基本スタンスだったと思います。

実際この条約は平和的で、他の植民地が結んだ条約に比べるとはるかにましな条約でした。

交渉がお上手だったのでしょう!

もし、阿部が生きていたら、その後結ばれた、日米修好通商条約も不平等な条約では無かったかもしれませんね。

政治の厳しさも経験

全てがうまくいっているようにも見えますが、色々苦労もされています。

元攘夷派の徳川斉昭に海防掛参与を辞されたり、井伊直弼との将軍継承問題(慶喜か?慶福か?)に敗れたり、脳内麻痺の将軍家定との対応とか、結構ご苦労もされてます

人生一筋縄ではいかないってことです。

そして、39歳という若さで、この世を去るのです。

一説には、酒の飲み過ぎ(一日二升(3.6リットル)も飲んでいたとか?!)、ストレスとか、暗殺とか、

様々な憶測が飛び交っています。

その中で、若い妾のせいとかいう説もあったりします。

それはどういうことですか?

最後にその若い妾、「おとよ」の話をしたいと思います。

山本屋おとよとの恋

長命寺にある山本屋というお茶屋に「おとよ」というかなり美人の娘さんがいました。

(美人の町娘の錦絵シリーズ「江戸名所百人美女」の一番目を飾るほどでした)

おとよ目当てに訪れる客で店があふれかえるくらいの美貌。

ある時阿部が母親にまんじゅうを買うため、長命寺の山本屋に出かけた時、仕事中の「おとよ」をみて一目惚れ!それからというもの、阿部は長命寺に通うようになってしまいました。

身分が違いすぎるゆえに、駕籠の中から眺めるというなんかいじらしいやり方で、可愛らしいですね。

 

しかし、ある時ライバル(御三家の田安慶頼)が現れおとよと急接近します。

田安に取られるわけにはいかない!ってことで、今まで身分を気にして陰から見ていたのに、

権力で自分のものにしてしまいます。

これはいけませんね。阿部さん。

今まで難局を瓢箪鯰(とらえどころのない)のように上手く切り抜けてきた阿部ですが、どうしたのでしょう?

それほど好きになっちゃったってことでしょう。

 

おとよを藩邸に囲い、同じ屋根の下住むのですが、町の人気者を権力で奪った阿倍への風当たりは強く、一気に不人気に。

程なくして阿部は亡くなります。

町の評判が心にぐさぐさ刺さっていたのでしょうか?あるいはおとよと精魂尽き果てたのでしょうかね?

今となっては謎です。

最後に

イケメン俳優が演じることが多い阿部正弘ですが、その人生を見てみても、女性にモテそうな要素をたくさん持っていましたね。

人の話を聞くとか、罪を許すとか、女性にも教育を受けさせるとか、、、。

最後の最後にちょっと血迷ってしまいますけどね。

惜しかったあ。

でも、今でも日本に残る、財産をいっぱい残してくれた阿部正弘。

私は尊敬します!