和歌山高野山奥の院(わかやまこうやさんおくのいん)ってご存知ですか?

816年(1000年以上前!)、弘法大師空海が開いた真言密教の総本山、和歌山県高野山にあり、

弘法大師のお墓があるところです。

今も弘法大師がミイラとして凄いパワーを発揮されています。

日本仏教の聖地の1つです。

世界遺産にも認定されています。

なんか凄い超ご利益がありそうな雰囲気がビシビシしますね!

そんな凄い聖地で得られるお守りと言ったら効果が抜群でしょう!

そのお守りが通販で手に入れられるって情報です。

その中でも特におすすめなのが「ネックレス」です。

早速ご紹介致しましょう!

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高野山お守りのおすすめ「ネックレス」3選

カッコよく、ご利益が期待できるネックレスを3つご紹介しますね

 

 

1,弘法大師ネックレス

1つ目のこのネックレスのご利益は、ズバリ「学業、仕事運」でしょう。

弘法大師空海といえば「遣唐使」でしたり、「能筆家」として知られています。

中国の文化を学び、達筆だったといいます。

まさに、勉学、仕事におけるご利益が大いに期待できるお守りネックレスとなってくれます。

デザインもかっこいいですね!ステンレス製です。

2,大日如来ネックレス

2つ目は大日如来(真言密教の最高仏)の厄除けお守り です。

まさに空海が崇め奉る大日如来。

魔を退散せしめ、希望を呼び込む聖なるネックレスです。

大いなる力となってくれるでしょう!

刻まれた言葉の意味は「四魔を降伏し六趣を解脱し一切凡聖の希願を満足せしむ」で、

力強いパワーを授かることでしょう。

3,不動明王ネックレス

3つ目は不動明王ゆかりの厄除けネックレスです。

刻まれた文字は不動明王のサンスクリット語ですが、なかなかかっこいいですね!

丹念に「入魂祈祷」された、最強の厄除けネックレスです。

これを手にすれば、もう何も怖いものなどないってくらいの効果があるでしょう。

 

 

それでは、弘法大師空海とはどんな人物だったのでしょうか?

簡単にその凄さを見てみましょう。

弘法大師空海

Kobo Daishi (Taisanji Matsuyama).jpg

引用:Wikipedia

讃岐国(現在の香川県)に774年に生まれました。

幼名は真魚(まお)。可愛らしいお名前ですね。

 

幼い頃から学問を学んでいて、青年時代には、京都の大学で更に学びを深めました。

その後、学問の勉強だけでは飽き足らず、山に入り修行をしました。

かなりストイックなお方で、とっても頭の回転が良かったようです。

この時、四国の様々な霊場を巡って修行していたのですが、この巡った霊場は

現在「四国八十八ヶ所巡礼」として大衆の信仰を集めるに至っています。

 

 

ちなみに空海という名前は、土佐(現在の高知県)の室戸岬の洞窟で修行をしていた時、明星(虚空菩薩の化身)

が口に飛び込み、そこで悟りを開いたのですが、その時見えていた景色が「空」と「海」だったので

「空海」と名付けたといいます。

名前の由来もなかなか洒落ていますね。

 

804年空海30歳の頃、当時「唐」と呼ばれていた中国へ「遣唐使」として留学に行きます。

その時一緒だったのが、後日最大のライバルで、日本で比叡山天台宗を起こした「最澄」や、

日本唯一の三蔵法師「雲仙」、書の天才三筆の一人「橘逸勢(たちばなのはやなり)」がいました。

ココで、空海は、仏教の密教(奥深い教えで容易に明らかにできない大日如来が説いた秘密の教え)や

梵語(サンスクリット語)を学びます。

虚しく往きて、実ちて帰る」と空海が言った言葉は、2年間の唐留学が、いかに充実していたものかを

物語る言葉でしょう。

 

その後2年で帰国すると、816年に高野山を天皇より賜り、さらに823年には京都の東寺も賜り

修験道場を次々と開いていきます。東寺も現在有名なお寺の1つですね。

そして自ら開いた真言密教を広めていく活動を精力的に進めていきます。

引用:Wikipedia

 

それ以外にも、満濃池という農業用溜池を作ったり、庶民にも門戸を開いた総合教育機関

作ったりと、世のため人のために動いた人でした。

 

831年、入定(生きたまま断食し読経を唱えながら即身仏(ミイラ)になること)し、

高野山奥の院に眠ります。

 

また「弘法も筆の誤り」という諺の語源は、まさしく空海のことです。

弘法大師という名前は、空海の死後、醍醐天皇から賜った名前です。

「弘法」には「仏法(ぶっぽう)を弘(ひろ)める」といった意味が込められていました。

「筆王」と呼びましょう!

 

1000年以上も前に生きた人物が、現在も脈々と影響を与えているという事実に

私は驚愕しました。

尊敬します!

 

そんな弘法大師空海が開いた高野山の更に奥にある空海のお墓がある「奥之院」には、

凄すぎるパワーが集まって来ています。

 

そのあたり、見てみましょう!

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高野山奥の院参道

弘法大師のお墓がある奥の院までの参道には現在

20万以上の戦国大名、公家、皇家のお墓があるのです。

と言いましても、身体の一部などを納めているといった「参り墓」という形を取っています。

これは弘法大師の元で眠れば極楽浄土へ行けるという信仰が元になっているようです。

それでは有名な方たちをザッとご紹介致しましょう。

 

戦国大名たち

名前備考
結城秀康徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子。
武田信玄甲斐信濃(山梨、長野)を治め、優れた軍隊規律法を持つ。
上杉謙信越後(新潟)を治めた戦の天才。
織田信長天下布武を掲げ、天下統一寸前まで日本を支配した。
豊臣秀吉織田信長の後、天下統一を果たす。
伊達政宗東北地方を治めた隻眼の大大名。
石田三成関が原では西軍の実質リーダーを務めた。
明智光秀家臣ながら織田信長を本能寺で討つ。

そうそうたるメンバーですね!まさにオールスター!戦国大名の6割は祀られているとのこと。

これだけでも超パワースポットです。

他にもいますよ

名前備考
法然浄土宗の開祖。
親鸞浄土真宗の開祖
初代市川團十郎江戸時代の歌舞伎の名優
松尾芭蕉「奥の細道」を詠んだ俳人
孝明天皇幕末に生きた天皇
赤穂47志士「忠臣蔵」で知られる志士たち
UCC上島珈琲有名コーヒーメーカー

これだけの人達が祀られていたら、様々な効果を得ることが出来るお守りになることでしょう。

 

高野山奥の院

引用:Wikipedia

奥の院のパワーの凄さを感じてもらうため、奥の院のご紹介をもう少し

見てみたいと思います。

御廟橋

著名な方々の「参り墓」が並ぶ参道を過ぎると、いよいよ出てくる橋、「御廟橋」

です。

橋板は36枚で出来ていいて、それぞれに金剛界の三七尊を示しているとのことです。

踏んでしまうのがちょっと畏れ多いですね。

ココにも気が宿っていると考えると凄いですね!

弥勒石(みろくいし)

御廟橋を渡ったところにある石です。

この石は、触ると祈願成就の効果があると言われる石です。

心が清らかな人には軽く、心が汚れた人には重く、感じる石でもあります。

このように石にも気が入っているのです。

燈籠堂

その先、無数の燈籠が光を発する燈籠堂があります。

光の中に身を置くと、この世のものとはいい難い大きなオーラを感じることが出来ます。

板、石、ときて、今度は光です。

全てこのオーラはお守りの祈祷に入っていると考えて良いでしょう。

弘法大師御廟

そして、その先、弘法大師空海が入定(生きたまま断食し読経を唱えながら即身仏(ミイラ)になること)し、

現在も瞑想を続けているという「弘法大師御廟」があります。

日本の真ん中ともいえる、風水的にも抜群な高野山の特等一番地

南国和歌山ですが、雪が降りやすい土地でもあります。

このオーラがお守りにも十二分に祈祷されていることでしょう!

今もお食事を毎日届けているようです。(西洋風のお食事も現在はあるようで笑)

 

もっと気軽に高野山を感じるには、こんな食べ物もありますね。

高野豆腐(こうやどうふ)

※もともと凍り豆腐と呼ばれたもので、豆腐を寒中外に出し、水分が夜間凍結、日中溶ける、を繰り返し

作って行く豆腐です。

保存食として、また健康食品として優れ、高野山のお土産として広がり、

高野豆腐と名付けられたと言われています。

どんな汁で味付けするかで変わりますが、濃厚な味わいがたまらない豆腐ですよね。

 

そんな高野豆腐を作っていたのが、高野山です。

高野豆腐を食べて、思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

 

最後に

弘法大師空海が開いた高野山のご利益がある、お守りネックレスのご紹介でした!

ご祈祷を何度も何度もして開眼供養を施された、相当気やオーラが込められたお守りネックレス。

弘法大師空海、仏様のご利益を全身に受けて見ては?