「敵は本能寺にあり!」

こう叫んで自分の上司を自害に追い込んでしまった人物をご存知ですか?

そうです、2020年大河ドラマに決定した「明智光秀」その人でありました。

他にも綺羅星のように輝いては、流れ星のように去っていく、戦国時代の武将たち。

私は大好きなのです!

あなたはどうですか?

その中で、特に人気があり、実力実績人間性を総合的に判断してランキングを付けてみました!

色んな意見があるとは思いますが、ともあれご覧になってください!

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戦国武将人気ランキングベスト20

今回20人の武将をランキング化。

そのランキングの元になる条件を以下のように設定しました。

1,実力

2,実績

3,人間性

4、人気、知名度

さあ、これに基づき、ランキング、行ってみましょう!

第20位 最上義光

最上義光

引用:Wikipedia

 出羽山形藩の初代藩主です。最上家を57万石にまで成長させた戦国武将です。
鉄砲の威力を見抜き取り入れ、敵陣営の調略による切り崩しが得意であり、自らの武勇も優れているところから、戦に勝つ要素を備えていたといえましょう。
また、妹を溺愛したり、娘の供養にお寺を建てたり、慈悲深い男でもありました。
一方、文化にも明るく、伊勢物語などの文学を家臣に奨励したり、多くの連歌を残しています。その文体・書体もかなり秀でていました。代表作は「梅咲きて 匂い外なる 四方もなし」で、秀逸ですね!
文武両道、人格者とすべてを兼ね備えた男、20位ランクインです!

第19位 加藤清正

加藤清正

引用:Wikipedia

肥後熊本藩初代藩主です。あの名城、熊本城を改修し完成させたことは有名です。
豪胆な人物で、豊臣秀吉の元働いていていた時は、賤ヶ岳七本槍の一人として、各地の戦にて武功を上げていました。
朝鮮の役では、虎退治が知られています。
江戸の屋敷にあった井戸は、今も明治神宮内の庭園に残されていて、パワースポットとされていたりとなにかとゆかりのある人物。
熊本統治では、農業行政で実績を上げ、当時の領民から崇敬されています。行政能力の高さが伺いしますね!
荒ぶる実力者、築城名人19位ランクインです!

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第18位 石田三成

石田三成

引用:Wikipedia

近江(滋賀県彦根あたり)佐和山を治めた豊臣家の家臣です。

豊臣秀吉には、三献の茶の逸話が残る賢さで取り立てられました。
事務方の能力を圧倒的に発揮し、奉行職を勤めきりました。
また、友情も熱い男で、盟友大谷吉継を辱めないために、吉継の膿が落ちた茶を飲むなど熱き心を持っていました。
しかし、切れ味抜群すぎるその頭脳、直情的な感覚は敵もまた多く、関ヶ原の戦いでは西軍の実質トップとなりますが、徳川家康の老練な根回しの前に破れ切腹しました。
旗印「大一大万大吉」は理想の世界を追い求めた三成の姿でしょう。
究極の理想家、熱すぎる書生、18位ランクインです!

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第17位 立花宗茂

立花宗茂

引用:Wikipedia

九州豊後(大分県)に、名将・高橋紹運の長男として生まれました。
これまた名将・立花道雪の養子になり、大友家の家臣として九州を転戦しました。
戦上手で知られ、朝鮮の役では、その働きぶりを加藤清正に「日本軍第一の勇将」と絶賛され、豊臣秀吉には、「西国一の猛将」と評価は絶大でした。
他に茶道、剣術、香道などあらゆるジャンルで極めていたマルチな才能を持った武将です。
温厚で誠実な人柄、義理堅く正直な人物で、「武士の中の武士」と呼ばれていました。
名将とはこの人のことをいうのでしょう!17位ランクインです!

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第16位 前田利家

前田利家

引用:Wikipedia

尾張(名古屋市)に生まれ、織田信長に仕え、最後は加賀100万国の礎を作った人物です。
槍の又左」と異名を持つほどの名手であり、若い頃は良く戦いました。
傾奇者で短気でありましたが、長身で細身で美貌を併せ持つイケメン利家は、信長からも寵愛を受けていたと言われています。
茶を好み、天下三茄子の一つ、「富士茄子」という名茶器を持っていたり、能の稽古に熱を上げたり文化もお好きな方でした。
また、人望もあり、蒲生氏郷、宇喜多秀家、加藤清正など、名だたる武将からも慕われていました。
名言に「落ちぶれている時は平素親しくしていた者も声をかけてくれない。だからこそ、その様な時に声をかけてくれる者こそ、真の友人だ」とは、織田家を出奔しなければならなくなった時の逸話として今も伝わります。苦労人は語る!って感じですね。
永遠の傾奇者、偉大なる大親分16位ランクインです!

第15位 斎藤道三

斎藤道三

引用:Wikipedia

美濃(岐阜県)の戦国大名です。
名もない境遇から僧侶、油商人そして戦国大名に成り上がった下剋上大名の代表格です。
油商人の時は大道芸人のような事をして評判を集めていましたが、ある武士から商人の力を武芸に注げば立派な武士になれる!と言われ、一念発起し武士としての斎藤道三が誕生します。
そこからは策を講じながら、やがて美濃の国を乗っ取ってしまうまでに至ります。まさに才覚一つで出世した武将と言えましょう。
最期は、息子斎藤義龍に討たれて死ぬという壮絶な63年を駆け抜けました。花火のような人生を送った男、15位ランクインです!

第14位 真田昌幸

真田昌幸

引用:Wikipedia

信濃(長野県)の出で、武田信玄・勝頼に仕えていました。
武田家滅亡後は自立し、周りの強敵と手を組んだり離れたりを繰り返し、いつか大博打を打ってやると夢を追いかけ続けた名将です。
戦の実力は、徳川軍を2度までも追い払った上田合戦で証明済み。
息子は日本一の兵、真田幸村と信濃松代藩初代藩主、真田信之を子供に待つ父親としても知られます。
武田24将にも数えられる事もある智将です。最期まで夢と野望を持ち続けた男、14位ランクインです!

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第13位 黒田官兵衛

黒田官兵衛

引用:Wikipedia

天下の名軍師で、筑前国福岡藩藩祖です。
特に豊臣秀吉のもとで、竹中半兵衛と「二兵衛」と呼ばれるほどの実力の持ち主。
備中高松城の水攻め本能寺の変の後の中国大返し、など、豊臣秀吉の功績の陰には黒田官兵衛がいました。
大阪城をの縄張りを務めるなど、城づくりにも才能を発揮し、その才能は、主君秀吉も恐れるくらいでした。
結果、才能ありすぎて遠く九州の地へ飛ばされてしまう憂き目をみることになりますが、本人は最期まで天下を狙っていたようです。その証拠に関ヶ原の戦いの際、九州を平定しようと動き、息子に何故家康を刺さなかったと嘆いた逸話が残されているほどです。天下を夢見ながら死んだ男官兵衛、13位ランクインです!

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第12位 北条氏康

北条氏康

引用:Wikipedia

相模の国(神奈川県)を治める戦国大名です。関東をほぼ支配し、武田信玄、上杉謙信とも互角に渡り合う政治感覚、軍事力は目を見張る物があります。特に、関東における主導権を確実なものにした、河越夜戦は北条氏康の名誉として名高いです。
内政に関しても、税金を低く抑え、目安箱を設置して特に領民の支持をえるなどし、領内の訴状など、地域の問題解決も上手く行っていました。適切な対策をうてていたことが伺いしれますね!
関東の仁政領主、北条家3代目12位ランクインです!

第11位 長宗我部元親

長宗我部元親

引用:Wikipedia

土佐の国(高知県)の戦国大名です。一時は四国を平定するかって程勢いがありましたが、豊臣秀吉の超強力な勢力の前に力尽きました。
しかしながら四国をほぼ平定した実力は相当で、「鬼若子」と賞賛されるほどでした。
また、四国を制覇する目的として、「家臣に充分な恩賞を与え、家族が安全に暮らしていく為」という明確な指針を持っていて、
周りを慮る人徳も持ち合わせていた実力者です。その人徳は、秀吉からもらった饅頭を、他の大名はその場で全て食べたのに対して、元親は残りを家臣のために持ち帰ったというところからも伺えしれますね!
心優しき土佐の出来人、11位にランキングです!
 
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第10位 島津義久

島津義久

引用:Wikipedia

薩摩国(鹿児島県)の戦国大名で、島津4兄弟の長兄です。北斗の拳でいうラオウですね!
一時は九州をほぼ平定し、島津最強を誇るほど勢力を拡大しました。凄い。
徳川家康に、「恐ろしい大将である、楠木正成に負けずとも劣らぬ采配である」と言わしめた軍才を持っていました。
タバコの生産を奨励し経済に寄与させたり、公家と付き合い教養を学ぶなど、文化人としての一面も垣間見れます。
名門島津家の軍事力を魅せつけ、そして上手く江戸時代へ滑り込ませた名君、10位ランキングです!

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第9位 今川義元

今川義元

引用:Wikipedia

駿河、遠江国(静岡県)の戦国大名です。海道一の弓取りと呼ばれるように、今川家を一代で強大な家に創り上げた人物です。
法律、今川仮名目録による領地支配や、巧みな外交戦略、強力な軍事力で領土を拡大していきました。
天下を狙える位置にもいましたが、桶狭間の戦いで、織田信長の前に倒れてしまったのは無念だったでしょう。
公家の文化を好み、京都を夢見た有数の戦国武将、9位ランクインです!

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戦国BASARATVゲームで有名な今川義元公の食事って?

第8位 明智光秀

明智光秀

引用:Wikipedia

2020年大河ドラマに決定!明智光秀登場です。
主君、織田信長を本能寺にて襲い、自害させ、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れるまで「3日天下」で知られる武将です。
軍事の実力、領地統治の実力、共に高く、織田軍には無くてはならない存在ではありました。
文化人としても和歌や茶の湯を特に好んでいました。
また、愛妻家としても知られ、生涯一人の女を愛し続けたという、この時代の戦国武将には珍しい一途な男でした。
毛利元就に「才気は恐ろしくあるが、狼が眠っていて、リスクが高い」と仕官を断られているように、心のうちに秘めた魔物がこの男を支配してしまったのでしょう。
辞世の句は「心知らぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜しまじ名をも惜しまじ
一人の男の行動が戦国の世を一気に動かした歴史の人、8位にランクインです!

第7位 毛利元就

毛利元就

引用:Wikipedia

大毛利家(広島を中心とした中国地方全域)を築き上げた稀代の戦国武将。
その策は、本当になんでもやる、暗殺、買収、養子縁組、使えるものは何でも使うスタイルでした。
戦術面では、かなり用意周到な準備と根回し、タイミングを見計らう駆け引きを駆使して勝利に継ぐ勝利を重ね勝ち続けるという凄まじい才能を発揮していました。地方の国人を支配するため、3人の子供に伝えた「3本の矢」の教えは、その後の毛利家支配に多大な影響を与える事となりました。
毛利という名を超有名にした苦労人、7位ランクインです!

第6位 伊達政宗

伊達政宗

引用:Wikipedia

仙台藩初代藩主、「独眼竜」の異名を持つ東北の戦国大名です。
衝撃的な、敵もろとも父も殺害してしまう事件をはじめ、戦によって周囲の敵を屈服させていきました。
すでに豊臣秀吉が天下を統一しつつあり、惣無事令という私戦を禁じる命令が東北に降ってはいましたが、完全無視状態でした。なんとかして天下を目指していた事がうかがい知れます。
派手な出立は「伊達男」の語源になったり、兵糧開発がこうじて、ずんだ(納豆)や凍り豆腐、味噌の大規模生産をはじめたのは政宗の大いなる遺産でしょう。
能をこよなく愛し、豊臣秀次と東北の空の下、を鑑賞したという逸話もあります。
型破りな性格もありましたが、領内統治は上手で、江戸の将軍たちにも一目置かれる存在としてその名を馳せました。
決して器用な生き様ではなかったかもしれませんが、そこがまたかっこいいところですね!
遅く生まれた天下の麒麟児、6位にランクインです!

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第5位 上杉謙信

上杉謙信

引用:Wikipedia

越後(新潟県)を治めた戦国武将、戦の天才です。
軍神、越後の龍、と呼ばれ、隣国甲斐(山梨県)の武田信玄と5度戦を交えた川中島の戦いは有名です。
とにかくを重んじ、私利私欲で動くことはしない所が今も英雄と語り継がれる上杉謙信の凄さだと思います!
最大の敵、武田信玄が塩不足で困っている時に、塩を送ることから、武士道のような高潔な精神を思い起こさせてくれる武将です。好きです!
無類のお酒好きだったり、武神毘沙門天の信仰家だったり、和歌を詠んだり、刀コレクターだったり、若い頃の苦い経験で女性から遠ざかっていたり、一筋縄ではいかない奥深い人物だったと言えましょう。
繊維の輸出に着目した経済政策の元、領地経営を行ったり、現実的な部分も持ち合わせていました。
辞世の句「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」となんとも言えない優雅さと寂しさに浸れる句でしょう!
ランキング5位です!

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第4位 武田信玄

武田信玄

引用:Wikipedia

甲斐の国(山梨県)が産んだ英雄、甲斐の虎、武田信玄降臨です!
甲斐の他、信濃(長野県)遠江、駿河(静岡県)、西上野(群馬県)などを支配し、
織田信長を蹴散らし京都に風林火山、武田菱を掲げるが為に西上作戦を決行するが夢の途中で力尽きてしまいます。
しかし、その軍事的兵法、情報戦、貨幣戦略、法律、組織論など尋常ではない高いレベルを持ち、徳川家康が創始した江戸幕府にも随所に取り入れられたりしました。
家臣、部下もすごい人が揃っていて、その功績は甚大です。
天下布武の織田信長が常に恐れた、戦国最強騎馬隊をひきいた男4位にランキングです!

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第3位 豊臣秀吉

豊臣秀吉

引用:Wikipedia

戦国三英傑の一人、第3位に登場。
戦国の混乱期を策を用い上手くまとめ天下統一を成し遂げた戦国武将です。
戦国時代で一番身分的には成功した人物でしょう。農民から日本のトップですから。
政策も太閤検地、石高制、刀狩りなどで支配を強め、大阪を中心とした経済政策で大いにお金を回るようにしたり、日本を活気づけていく天才でした。
その人柄は人ったらしと言われ、人の心を掴むのが得意中の得意でこの為せる技は今でも不変の真理でしょう。
戦国一の出世頭、ランキング3位です!

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第2位 織田信長

織田信長

引用:Wikipedia

尾張国(愛知県)から出た英傑、2位に登場です。
若かりし日は、尾張のおおうつけと呼ばれる時代もありましたが、それは大物の証。斎藤道三はすでに見抜いていたと言われます。
一世一代の博打、「桶狭間の戦い」で戦慄の全国デビューを果たすと、美濃を征服し天下布武を掲げ、本格的に天下統一を目指すことになるのです。
とにかく戦につぐ戦で、多くの血が流れました。敵は多く、力でねじ伏せるしかなかったこの時代。織田信長のようなパワープレイは必要不可欠だったのかもしれません。
敵や自分の意志の背くものにはたいへん厳しかった信長も、家族や妻、女性に対しては重要視していたフシがあります。妹のお市の方は別かもしれませんが、、。
楽市楽座で経済を後押ししたり、相撲を推奨したり、南蛮品を輸入したりと自由で先進的な部分を多く持ち合わせていました。
過激すぎる部分もあるけれど、物事を強力に推し進めるカリスマ性があったのも事実。華麗なるトップダウン君主、2位にランクインです!

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第1位 徳川家康

徳川家康

引用:Wikipedia

一位はやはりこの人、「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川
や「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」で表されるように、最後の最後天下を持っていったのがこのお方です。
三河(愛知県)に生まれ、人質や三方原の大敗、息子信康を殺さねばならぬなど、多すぎる困難を乗り越え、石田三成の西軍を関ヶ原で叩きのめし、大阪の陣で豊臣家を完全に敗退させて天下統一を完成させました。長かったねえ!
武術は一通り会得し、趣味も多趣味で特に健康に対して強く興味を持っていましたね。鷹狩とか、薬づくりとか。
また、倹約家としても知られ、必要のない贅沢は一切せず、ただ本当に必要なときにはドーーーンと使うようなメリハリがありました。
なんと言っても家臣の信頼関係が圧倒的に強い絆で結ばれている点が最後に勝利を勝ち取った最大の要因のように思えます。
長生きして部下の意見を取捨選択した結果たどり着いた平和を手にした男!、ランキング1位です!

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最後に

今回、独断で戦国武将たちをランキングしてみました!

あなたならどんなランキングを付けますか?

戦国武将のエピソードはいつだって好奇心の渦に巻き込んでいきます。

でもこれが幸せのひとときでもあるんですねえ笑

※下記は一覧表です!

順位武将名ポイント
20位最上義光文武両道、人格素晴らしい!
19位加藤清正築城名人、戦もめっぽう強い!
18位石田三成事務方のスペシャリスト!情に厚い面も!
17位立花宗茂西国の最強武将!人柄、文化力も人並み外れ!
16位前田利家傾奇者の大親分!加賀前田家100万石の礎築く!
15位斎藤道三下剋上の代表格!マムシの異名も!
14位真田昌幸徳川軍を2度までも退けたその知力胆力は想定外!
13位黒田官兵衛トップクラスの軍師!野望も相当お持ちの武将!
12位北条氏康北条家大躍進の立役者!
11位長宗我部元親四国制覇はもう少しのところで力尽きました。
10位島津義久島津最強4兄弟の長兄。一度は九州をほぼ制圧!
9位今川義元今川家の最盛期を創り上げた公家好きな武将です!
8位明智光秀優秀!しかし心に狼のような爆弾を抱えている!
7位毛利元就大毛利を築き上げ、3本の矢の教えを伝えた!
6位伊達政宗東北を小競り合いを次々と制覇した実力者!
5位上杉謙信軍神と崇めてられた戦国最強の呼び声高い武将です!
4位武田信玄と戦国最強騎馬隊も病と距離には勝てず!
3位豊臣秀吉人たらしで人の心を掴んでしまう天才!
2位 織田信長武力で天下統一を目指した独裁者!
1位 徳川家康最後まで諦めず、粘り勝ちをおさめた!

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