戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けする

ブログに訪問頂きまして、ありがとうございます!

 

映画、「関ケ原」いよいよ始まりましたね!!!

 

私は、激務ファミレス店長のため、土日は見に行けなかったのですが、

明日、休みをとったので、早速行ってきます!

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

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今回は、映画関ケ原の舞台になる「関ケ原」を治めていた領主、竹中重門公が、

父、竹中半兵衛公に厳しい教えを受けていたことについて書いて行きたいと思います!

 

また、竹中半兵衛公がいなければ、黒田長政公は生きてはおらなかった、という話も

していきたいと思います!

 

黒田長政公がいなければ、関ケ原の戦いもまた違ったものになっていたかもしれませんね!

 

竹中半兵衛公って

その教えについて語る前に、重門公の父親、竹中半兵衛公について

ご紹介していきたいと思います!

 

 

豊臣秀吉公の軍師をしていました。

まだまだ駆け出しの秀吉公に対し、とても貴重な策を与え続け、

戦に勝ち続け、秀吉公はメキメキ頭角を表していったのです!

 

有名なところでは、三木城の兵糧攻め浅井家との戦いにおける調略

宇喜多氏の備前八幡山城調略、などなど。

 

様々な書物を読破していた竹中半兵衛公は、膨大な知識と類まれなる頭脳をもって

最大限、秀吉公に策を与え、ことごとく成功させていくのです!

 

実際に戦う武将達ももちろんカッコイイですが、戦略、戦術を考え、血を流さずに攻略していく

こともことさら素晴らしいことだと思うのです!

 

見習いたい部分です!

 

また、秀吉公に仕える前、斎藤家に仕えていた時代は、酒に溺れ、側近を寵愛し

政務を疎かにする主君に対し、クーデターを起こすという前代未聞の行動をとったことでも有名です!

持ち前の正義感と策を用いてその正義を実現するというやり方を若き日から実践していました!

 

そんな豊富な経験を持っている竹中半兵衛公ですが、彼がいなければ今話題の関ケ原の戦いが

また、違った内容になっていたかもしれないことについて書いて行きたいと思います!

黒田長政公竹中半兵衛公により生き延びたことについて

黒田官兵衛

その当時、秀吉公に仕えた軍師がもう一人いました。

名を「黒田官兵衛公」といいます。

関が原の戦いで東軍勝利の一番の立役者と言っても過言ではない「黒田長政公」の父親です

 

黒田官兵衛公」が豊臣秀吉公の親分である織田信長公に、ある事件があり謀反の疑いをかけられてしまいます。

当時、勘兵衛公の息子、すなわち「黒田長政公」は、秀吉公の元に人質として過ごしていました。

織田信長公は、その黒田長政公を亡き者にせよ!と命令をするのです!

 

どうする!黒田家最大の危機!!!

 

そこを救ったのが竹中半兵衛公でした!

 

偽の首を織田信長公に験として出すことを進言し、そして成功をします!

 

これにより、本物の黒田長政公は生き延びることが出来たのです!

 

しかししかししかしながら、皮肉にも、長政公を生かしたが故に、豊臣家が滅亡の道へたどるきっかけを作ることに

なろうとは、豊臣秀吉公は知る余地もありませんでした。

 

長政公がいなければ、西軍の寝返りが上手く行っていなかったかもしれなく、

もっと、戦局が長引いた可能性もあるわけで、、、、。

 

秀吉公は天国から地団駄を踏んでいたのではないでしょうか?

 

歴史のイタズラは本当に恐ろしいものです!

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竹中半兵衛公の厳しい教えについて

それでは最後に竹中半兵衛公の厳しい教えについて

書いていきたいと思います!

 

それは、半兵衛公が息子の重門公に合戦について講義をしていた時のことです!

 

途中で尿意をもよおした重門公は、我慢できず小用の為に中座します。

重門公が用を足して講義に戻ってくるやいなや、半兵衛公がとても厳しい口調でこう言ったといいます!

合戦の講義の最中に小便を漏らしても恥ではなく、それは名誉なのだ!!!

かなり厳し目の口調で教え諭したと!

 

たとえ講義といえども、合戦の講義中は、実戦であり、その実践の厳しさを知っているからこそ、

父としてとても大事なことを息子に厳しく伝えようとしたのでしょう!!

 

また、病弱な半兵衛公は、36歳でこの世を去るのですが、まだ重門公が7歳の頃です。

上記のエピソードはその前のまだまだ幼き頃の話。

半兵衛公は、自分の命が長くないことも知りながら、早く伝えたかった気持ちも強かったのではないかと

想像します!

 

関ケ原で偉大な軍師を父に持つ重門公と長政公は共に戦う

 

竹中重門公は、初め豊臣恩顧の家臣団の西軍として戦いを迎えます。

大谷吉継公の陣を案内したり、犬山城の石川貞清公を助けたりしています。

 

しかし、井伊直政公の仲介により、東軍に寝返るのです

更に、居城である菩提山城を家康公に提供しています!

 

そして、幼馴染の黒田長政公と一緒に戦うのです!

 

生き残るために領主として決断をしたのでしょう!

その決断は結果としては大成功でした!

 

豊臣秀吉公に仕えた、父親に偉大な軍師を持つ2人が関ケ原で一緒に戦う

なにかロマンを感じます!

 

しかし、豊臣側を敵にして戦うという所にこれが複雑な気持ちにさせてくれます!!

 

スッキリはしませんねッツ!

 

でもこれも運命って受け入れましょう!

 

まとめ

2人の偉大な軍師を父親にもつ息子!

豊臣秀吉公に父親は仕えましたが、息子は家康公側につくという皮肉さよ!

 

その父親の厳しい教えは、結果的に、息子に正しい決断を促し、家を守り抜くことが出来たという点において、

さすが!と言わざるを得ません!

 

偉大なる軍師、先までお見通しでしたね!!!