戦国の世を生きた「海道一の弓取り」今川義元公の日常に迫って行きたいと思います。
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生まれた時代は戦国時代初期、支配した場所は、今の静岡県(駿府、遠江)です。

大河ドラマでは、三河へ攻め入り、直虎が住む井伊谷を征服します。

その後、織田信長軍に桶狭間で討ち取られてしまうわけですけども。

そんな義元公の日常はどんなものだったのでしょうか?

食事は?

幼少の頃、今川義元公は京都に住んでいたことがあり、駿府に戻ってからも、その文化を持ち帰って居ます。

かなり京都に影響を受けたのでしょう。駿府の街づくりも京を模して進められたといいます。

茶懐石

茶懐石料理は京から持ち帰ったうちの一つですね。

 

※茶懐石(ちゃかいせき)料理とは、茶事に出される簡素な料理とされ、単に「懐石料理」ともいいます。

この懐石という言葉は「禅」に由来していて、修行中の禅僧は昼の食事以外をとることが許されていませんでした。

寒夜の修行には石を温めて布に包み、懐に入れて寒さと空腹をしのいだといわれています。

この温めた石を温石(おんじゃく)または薬石(やくせき)といい、この石を懐に抱いたので「懐石」の名が出たとされ、禅僧が空腹をしのいだということから、「空腹を一時しのぐ」という意味をもっています。

その後、禅の影響を受けた茶の湯では、温石で腹を温める程度の空腹しのぎという意味で、茶事に出す軽食を「懐石」と呼ぶようになりました。

懐石料理は茶事に組み込まれた膳組作法で、旬の材料を用い、素材の持ち味や季節感を生かした料理で、心を込めて客をもてなすところに本意や真髄があります。

 

 

お茶の席などに、振る舞われるものですが、義元公も、駿府のお城でお茶会を大いに開いていたようです。

華やかですね!

お茶

お茶は静岡の名産に(日本三大銘茶)現在なっていますが、義元公が盛んに開いたお茶会が一つ大きな要因です。

(清水市の清見寺の抹茶などは特に有名だったりします。)

濃いお茶は空腹で飲むと胃を荒らしてしまいますので、一緒に懐石料理を食するようになったと言います。

 

お蕎麦

知る人ぞ知る、静岡のおそば。なかなかに味も品質も良いことで知られます。

ルーツを辿っていくと、ここでも今川義元公が京都より持ってきたようです。

 

これが、江戸食文化(蕎麦、天麩羅、鰻、寿司)につながっていくこととなるのです。

まとめ

こう見ていきますと、今川義元公が、現代の関東の食文化に与えた影響って計り知れないものがありますね!