戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長。南昌幸がお届けする

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映画「関ケ原」観客動員100万人突破おめでとうございます

2週間足らずでの達成ということなので、どこまで観に行く方が

増えるのか楽しみですね!

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「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

 

ところで、劇中に徳川家康公が「赤い母衣」なるものを関ケ原の本戦

直前に作成している場面があります。

 

大事な決戦前に作成するくらいだからかなり需要な道具なんだろう?と

思いながらでも「母衣ってなんだろう?」という疑問もありちょっと調べてみました!

 

徳川家康公が作成した母衣(ほろ)とは?

徳川家康

武将が背中に背負い込む、竹などで組んだ丸い形状の枠組みに、色の付いた

布をかぶせた道具のことを言います。

 

何故「母衣」というのか?

字のごとく、「母の衣」。母親の胎内にて赤子を包み込む(胞衣)になぞらえたことからそう言われるようになったと言います。

 

なので、すごく神聖なものなのです。

それを知って、戦争に赤子を背負って行くのかあ。男なら家族を背負って!というけれど

男の責任の象徴のようなものか?と感じました!(私の個人的感想です)

 

母衣の効果は?

戦争中は、背中に背負い込んでいるので後方からの弓矢などを防ぐ防御になります。しかし鉄砲に対しては役に立たなかたりします。

(赤子を防御にするわけには行きませんから、敵に背中を見せるわけにはいかないでしょう!)

 

また、大将側近のものだけが使うことを許されていた名誉の験でもあります。色の付いた母衣でどの位の武将なのかがひと目で分かり、相手に影響をあたえることも出来ます!

(弱い赤子を守るのは男の名誉でもありますよね!)

 

さらに仏法で母衣武者の首を何の配慮もなしに獄門にすれば、その首は成仏できない

と言われていますので、その武者の首の扱いも違ったと言います。

(赤子のパワーはそりゃすごいです!)

 

映画の中で、徳川家康公が母衣のくだりを結構丁寧に説明なされていましたが、

特別な意味があると知ってからみると、合戦での母衣の意味合いがまた違って

見えてきます!

 

(母衣を背負うことで、モチベーションが高まる効果はあったんだと思います!

そして緊張感が否が応でも最高に高まります!赤子を背負っているのですから!)

 

少し、母衣のことを知ることが出来たのではないでしょうか?

 

それでは織田信長公が母衣を活用したことについて触れてみたいと思います!

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母衣を大活用したのは織田信長公!

 

織田信長公についてはコチラをご参照下さい!

織田信長公がまだ健在のころ、この母衣を使える武将達を選抜しました。

 

信長公直属の部隊です!

 

役割は?

役割としては、伝令や、敵方への使者、偵察や戦功の監察などを仕事として任されていました。

信長公の右腕左腕となるべく位置を占めるとても重要な役割です。

 

条件は?

武功があり、器量が良いものが選ばれていたと言います。

メンバーも結構すごいです!

後の豊臣5大老の1人になる前田利家公もこの母衣衆出身でした!

 

色は?

織田信長公直属の母衣衆の母衣の色は、赤と黒の2種類ありました。

 

黒母衣衆馬廻り(大将の親衛隊です!)から選抜された方たちです。
赤母衣衆小姓(大将の身辺に仕える若者)から選抜された方たちです!

エリートですね!

(前田利家公は赤母衣衆に属していました!)

(ちなみに映画関ケ原で徳川家康公が採用したのはでした!)

 

人数は、黒母衣衆が10人で、赤母衣衆が9人と言われています。

2つ母衣衆を作ったことで、競わせていきました!

 

エリートをさらに磨いてエリートに仕立て上げていきました!

織田信長公は、人物を成長させるのがうまいな!と思います!

織田信長

天下統一に向けての活用!

母衣衆の役割は先に述べましたが、内政、外交ともに信長公の意向を知る事が出来ますし、

それを確実に伝えるという仕事は、簡単では無かったと思います!

 

母衣衆が、有能で確実に仕事をこなせたことも、織田信長公が目指した天下統一

という最大の政策、夢を一代にしてほぼ完成させることが出来た一つの理由に

あげられると思います!

 

まとめ

徳川家康公が関ケ原本戦直前に作成した母衣は、胎内の衣という意味も持つとても神聖なものでした。

戦国時代初期の織田信長公はこの母衣をまとった部隊を2つに分けて、重要な役割をあたえ、

競わせ、天下統一へ突き進んでいったのでした!

徳川家康公をもっと知りたい!という方は、以下の記事でもお楽しみになれます!

⇓織田信長公に興味を持たれた方はコチラもお楽しみになれる内容となっております!