戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けする

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天下統一した豊臣秀吉公が1598年に亡くなった後、(関ケ原の2年前)

遺言にて「阿弥陀が峰に埋葬するように」とのことから阿弥陀ヶ峰に豊臣秀吉公の

廟所があります。

 

映画「関ケ原」の中で、あまりにもひっそりと埋葬されていく秀吉公に

心が締め付けられてしまった事で、気になっていた、

阿弥陀が峰のことについて調べてみました!.

 

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

鎌倉大仏のイラスト

阿弥陀ヶ峰について!

阿弥陀って?

阿弥陀とは?「はかりしれない光を持つもの」という意味です!

 

阿弥陀は極楽(幸福のある所)浄土(清涼で清潔な世界)を持ちます。

 

まさに、豊臣秀吉公が目指した世界なのでしょう!

 

(阿弥陀を調べていくと、あみだくじや十八番や他力本願など今も使っている言葉の由来が

出てきてなかなか面白かったです!ちなみに

 

あみだくじ→あみだくじの模様が阿弥陀如来の後光(背中から発する光の模様)に似ていると

ころから名付けられました。

 

十八番→阿弥陀如来が仏になるために修行している時に、生きるもの全ての救済のため考えた

四十八の願い(はたらき)の内、1番重要な十八番目の願い(はたらき)の事をいう

ことから名付けられました。

 

他力本願→他力(阿弥陀如来のこと)本願(はたらき)のこと。

阿弥陀如来のはたらきのことを言います!

ちょっとした豆知識でした!)

 

阿弥陀が峰の名前の由来は

 

行基(ぎょうき) (奈良時代の僧です。東大寺の奈良の大仏事実上の造立責任者です。

他にも温泉を発見したり、最古のダムを改修したり、様々な役に立つことをしてきました。

また、僧と尼を統括する大僧正(だいそうじょう)という地位を、日本で初めて天皇から贈られました)

が、阿弥陀堂を建立したことから名付けられたそうです。

 

この峰は昔から美しく、平安時代の作家、清少納言清水寺を参拝した際に、

見える阿弥陀が峰を美しい!と詠っていたようです!!!

 

 

埋葬した場所に豊国廟が建てられ、阿弥陀ヶ峰の麓に社殿が建設されました。

 

豊国廟へ辿り着くのに石段を565段のぼらなければなりません!

 

すっごく神聖な場所なのです!!!!

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豊臣秀吉公、阿弥陀ヶ峰に眠る!

豊臣秀吉公が亡くなってから、しばらくして遺体は阿弥陀ヶ峰に、遺言どおりに

埋葬されました。

 

しかし、朝鮮の役の真っ最中だったこともあり、石田三成公は

亡くなったことを周りには明かさず、大老筆頭の徳川家康公にも秘密にしていたので、

遺体の搬送は、夜で人気少なく雨が降っていたこともあり、寂しいものでした。

 

明るく人ったらしの性格で、その勢いの元、天下統一した豊臣秀吉公の最後としては

そのギャップをとても感じました。(胸が締め付けられるとはこのことです!

 

その後、大阪の陣にて、徳川家の手により、豊臣家は完全に歴史の表舞台から消え去ることとなるのです、、、。そしてもちろんこのお墓や社殿も壊され、放置されていくのです、、、。

さらにその参道も新たな別の神社で塞ぐという徹底ぶりでした!

(放置で済んだのは、北政所(豊臣秀吉公の妻)のお陰とも言われています。)

神社のイラスト

明治になってから、明治天皇の命令によって豊国廟は「豊国神社」として方広寺跡に再建され、

 

阿弥陀ヶ峰山頂付近には、立派なお墓が造られました。(再建の中心メンバーはなんと、関が原の戦いで、

東軍徳川家康公側についた黒田長政公の子孫だといいます!歴史って不思議です!)

阿弥陀ヶ峰の基本情報

所在地 〒605-0924 京都府京都市 東山区今熊野阿弥陀ケ峯町
地図
 電話番号   075-541-8981
 バス  市バス、東山七条で下車、700メートル
 電車  京阪七条駅から2キロ弱

(ルート付近には、方広寺、京都国立博物館、三十三間堂、豊国神社、京都女子学園、女坂あります)

 駐車場  有料駐車場あります

(500円)

 登拝料  100円です
お薦めの宿

 

秀吉公は派手な方ですから、豪華なお宿も一つの選択肢ですが、なるべくリーズナブルに泊まりたい!ということであれば、こちらのホテルはオススメです!

七条駅から4分ととてもロケーションが良いです!!

まとめ

天下を統一した豊臣秀吉公は、関ケ原の2年前に63歳でこの世を去り、

自身の遺言のもと、行基が阿弥陀堂を建立したことが由来の阿弥陀ヶ峰に

石田三成公の指示で埋葬されます。

その後、徳川家により、お墓や社殿は破壊されますが、明治になり、

黒田長政公の子孫の手により、「豊国神社」として再建されるのです!

豊臣秀吉公をもっと知りたいな!って思った方はこちらの記事もお楽しみになれます!