戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸のブログに
お越しくださいまして、ありがとうございます!
[ad#co-1]
戦国武将には実名、本名と呼ばれる名前があります!
(例えば「家康」や「三成」といった名前)
でもでも、この実名を口に出して読むことは、避けるべきと考えられています。
確かに、大河ドラマや映画を見ても、違う名前や、官名で呼ばれていますね!
例えば、映画「関ケ原」の徳川家康公は官名である「内府様」と呼ばれていますし、
石田三成公は豊臣秀吉公に幼少の名である「佐吉イ!」と呼ばれていたりします。
本名である、「家康」や「三成」で呼ばれることはほとんどないですね!
なぜでしょう?
ちょっと、調べてみましょう!
実名は、またの名を「諱」(いみな)という
実名の事を「諱」(いみな)といいます。
「諱」は訓読みで「いむ」と読み、「本来口にだすことをはばかられる」事を意味する動詞です。
「本来口にだすことをはばかられる」ことの中で、特に古来、死者や貴人を本名で呼ぶことを
避けるといった習慣があったことから、「本名を口にだすことをはばかられる」を指すようになっていきました。
では、「諱」(実名)で呼ぶことは全く出来ないのでしょうか?
例外があります。ちょっと見てみましょう。
それでは誰が「諱」(本名)で呼ぶのでしょうか?
これはかなり限定されます。
親、もしくは主君のみが「諱」(実名)で呼ぶことが出来ます。
それ以外の人が「諱」で呼ぶことは、極めて無礼であると考えられました。
親や主君といったら自分よりも上の立場の人のみが許されるって事ですよね!
それはいったい何故なのでしょうか?
「諱」で呼んだらいけない本当の理由!
人物の実名は、その人物の霊的な人格と強く結びついたものであって、
その名を口にすることによって、その霊的な人格を支配出来ると考えられたためです。
もう少し詳しくお話しますと、
実名は、神聖なもの!という意識がありました。
そして、「霊的人格を支配」とはどういうことかといいますと、
「呪いをかけること」を指します。
要するに、「実名を口にすることで、呪いをかけることが出来る」と
考えられていました。
例えば、家来が主君の事を「諱」(実名)で呼んだら、
「呼びかけた主君の霊的人格を支配(呪うことが)出来る」事になり、それは相当無礼に当たりますよね!
(下克上ならば別ですが、、、。)
これを、親に当てはめてみても、子供が親の「霊的人格を支配(呪うことが)出来る」事になり、
これも、親から見るととても腹立たしい事ですし、恐ろしいことですよね!
これが、「諱」(実名)で呼ばない本当の理由です!
[ad#co-2]
「諱」を用いた方が良いときは?
では、逆に、「諱」を用いたほうが良い場合があります。
それは、どういうときでしょうか?
例えば、家臣がある主君に仕えたい!と考えたとします。
その場合、家臣の方から、自分の「諱」を明かすのです。
そうすることで、「私のことを支配して下さい」「私はあなたに服従します」
というような意味になり、主君に対して良い印象を与えることが出来ます!
まとめ
戦国時代、実名で呼ぶことは殆どありませんでした。
それは何故か?
本名、実名に、「霊的な人格がある」と考えられていたからです。
そして実名を口にすることで、「支配出来る」ことが出来ると考えられていました。
「支配できる」とは「呪う」と同意義でした。
なので、実名は、親か主君のみが呼ぶことが出来ました。
逆に、主君に仕えたい場合は、自分の実名を明かすことで、
服従を誓うことを伝えることが出来たりしました。
こんな知識があると、戦国時代の映画や大河ドラマがより面白く見れるのでは
ないでしょうか?