西郷どん!奄美大島編に突入しましたね!

奄美大島

西郷隆盛(吉之助)2番めの妻、愛加那と結ばれました。

そんな幸せなドラマの内容はコチラ→大河ドラマ「西郷どん」第19話のあらすじ【ネタバレ注意】「愛加那」

 

さて、西郷と愛加那の間には、二人の子供が生まれます。

菊次郎と菊子です。

どんな人だったのでしょうか?

今回は、明治維新を開いた西郷隆盛の2番目の妻(愛加那)の子供達の人生について見てみたいと思います。

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長男菊次郎

長男なのですが、菊「次」郎なのです。

それは、妻の愛加那が大島の女だからなのです。

島の妻として西郷と結婚したので、その子供は例え長男でも、いずれ生まれる薩摩の本妻の子供に長男の名前をつけるとしたのです。

いろんな制度があるものですね!

年号 出来事
1861年 奄美大島龍郷に誕生(1月2日)
1869年 鹿児島の西郷本家に引き取られる
1872年 12歳でアメリカ留学。農業を学ぶ。
1877年 西南戦争に従軍。右足膝下失う。

西郷従道の元へ投降。

1884年 外務省入省。米国公使館勤務。
1887年 再度アメリカ留学
1895年 台湾台北県基隆宜蘭支庁長に就任
1897年 台湾宜蘭県宜蘭庁長官に就任
1904年 2代目京都市長に就任
1912年 島津家山ケ野金山鉱業館長に就任
1928年 心臓麻痺で67歳の生涯を閉じる

妻は久子、子供は男7人女7人、

さらに子孫にはこの人がいます!

菊次郎の子孫の事はこちらを→西郷隆盛子孫の陶芸家隆文氏とカフェオーナーの隆夫氏調査!

 

様々な仕事につきますが、一番は京都市長での功績でしょう。

約七年間の間に、まだインフラの開発が遅れていた京都を、発電、上下水道整備、市電設置の京都三大事業を推進し近代化に大きく貢献しました!

さすが西郷隆盛の血を引く男!

では、愛加那長女の菊子(菊草)について見ていきましょう

長女菊子(菊草)

年号 出来事
1862年(文久2) 菊草生まれる
1874年ころ(明治7) 鹿児島西郷家に引き取られる(12歳)
1876年(明治9) 大山誠之助と婚約
1877年(明治10年 西南戦争勃発
1880年(明治13年)大山誠之助と結婚(17歳)その後4人子供をもうける。
 

1893年(明治26)

 

兄大山巌が弟誠之助が不始末多すぎると菊草の兄菊次郎に謝罪。その後、子どもたちは大山巌に引き取られた。

 

1902年(明治35) 母、愛加那死亡
1907年(明治40) 大山誠之助と別居
1909年(明治43) 47歳で京都で亡くなる

菊草は陸軍大臣などになった大山巌の弟、誠之助と結婚し、米子、慶吉、綱則、冬子と

4人の子供にめぐまれました。この辺りは順調!

 

しかし、困ったのが、旦那さん。

借金は作るわ家庭内暴力があったりと、困ったちゃんです。

長い間菊草は悩まされることになるのです!頑張れ!

 

ちょっと疑問。二人の名前に「菊」の文字がついているのはどういうわけでしょう?

これは、西郷隆盛の奄美大島での変名「菊池源吾」からきているようです。

しっかりしていますね!

西郷隆盛の変名について→西郷隆盛の本名って?読み仮名と10の名前まとめ!

 

歌に歌われた菊草

愛加那長女の菊草は手毬唄に歌われています。

ちょっとご紹介しましょう、

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手毬唄

「一掛け二掛け三掛けて

四掛けて五掛けて橋の上

橋の欄干に手をかけて

はるか彼方を眺めれば

十七、八の姉さんが

花と線香手に持って

ねえさん、ねえさん、どこ行くの

私は九州鹿児島の

西郷隆盛娘です

明治十年その年に

切腹なされた父上の

お墓参りに参ります

お墓の前で手を合わせ

南無阿弥陀仏と拝みます

お墓の前には魂が

ふうわりふうわりとジャンケンポン」

菊草は、父親西郷隆盛をほとんど知らずに15歳の頃、死別しています。

偉大なる父親。

その娘。

有名な偉人を親に持つ子供も辛いね!

最後に

偉大な西郷隆盛という父親を持つ、二人の子供の人生でしたが、たくましく生きていますね!

菊草はついていないなって思いますが、自分が選んだこと。

子供も立派に育ち良かったと思います。(大山慶吉は陸軍少佐になっています)

 

他の子供についてはこちらの記事をご参照下さいね→西郷隆盛家系図!これで大河ドラマも分かりやすい!