指が6本!
引用:Wikipedia
いきなりびっくりですね!
足軽からのしあがり、天下統一を果たし、権力を思いのままに操った豊臣秀吉でしたが、その容姿たるや、なかなか尋常ではない物をお持ちであったご様子!
豊臣秀吉について詳しくはこちらをご参照ください→豊臣秀吉についてまとめ!天下統一した人物像に迫る!
親指が2本あったり、猿のような目玉、禿げ鼠のような顔、髭少なく、小柄なお人だったのです。
おおよそ見た目だけでは、威厳があるように聞こえませんねえ。
天下統一した豊臣秀吉の容姿について、今回、もう少し深掘りしてみたいと思います!
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指が6本とは?
生まれたときから6本あったといいます。
他指症という先天性の病気ですね。
「ライ麦畑でつかまえて」を書いたアメリカの作家、サリンジャーも他指症だったといいます。
普通は1本切り落として正常の5本にするのですが、秀吉の場合は、天下を取るまで切り落とさず、かと言って隠すこともしませんでした。痛いのが嫌いだったのか?6本が気に入っていたのか?人とは自分は違うと自負していたのか?謎です!
それはわかりませんが、本人に聞ければなにかおもしろい話しが聴けるかも知れませんね。
6本あったことの信憑性は、色んな人の証言より確かなものとされています。
1,ルイスフロイスの「日本史」にかかれています。
2,信長から「6つ目」とあだ名で呼ばれていた(6は指のこと)
3,前田利家の遺言に「右手の親指が一つ多く」とあります
4、姜沆という、藤堂高虎に捕まり日本の捕虜となった朝鮮の官人も記録に残しています。
まあ、でも、天下を治める人は、このくらい特異な所があったほうが、ハクがつくってものでしょう笑
あだ名は「猿」
この猿というあだ名は、若い頃からつけられていました。
正式?には「猿面冠者」っていうふうに呼ばれていました。
まさに、猿のような顔立ちだったことは間違いないようです。
様々な人がこれまた証言されています。
1,秀吉が周りから「猿」と呼ばれていたことが、「太閤素生記」に記されています。
(秀吉の誕生日などを記述したはじめての資料)
2,秀吉に武芸、学問を教えた秀吉の家臣であり家庭教師の松下之綱からも「猿かと思えば人、人かと思えば猿」などと容姿を表現しています。この言い方ですと、相当猿な感じですね!
3,武将であり医師(脈に関することや、生薬に関することなど医薬書、診療書を残している)である毛利家の玉木吉保などは
「赤ひげ、猿眼で空うそ吹く顔している」となかなか酷評です。
4,さらに、ポルトガルのキリスト宣教師、ルイスフロイスはもっと酷評で、「醜悪な容姿で目が飛び出ている」とその表現も具体的な感じです。フロイスは、秀吉を嫌っているケがあるので、自然表現も厳し目になったのでしょう。
5.そして、当の本人も自覚があったようで、「予は見にくい顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ!」と完全に認めています。
まあ、そんな容姿を差っ引いても有り余る程の実績が秀吉にはありましたからね!
さらに「禿げ鼠」!?
すごいあだ名ですねえ。
誰が名付けたかといいますと、恐れ多くも主君織田信長でした。
正室のねねに信長が宛てた手紙の中に、「あの禿鼠」と秀吉を叱責する文書が出てきます。
秀吉はお調子者だったようで、正室のねねの知らないところで色々しでかしちゃうわけですが、信長はそんな秀吉を強めに叱ることで、ねねの気持ちを組んだりしたのでしょうね。
小柄で薄髭
とにかく貫禄が必要な容姿が一つも揃っていませんでした。
髭は付け髭でなんとかごまかせましたが、身長は如何ともし難いところですよね。
実際の肖像画はどうだったのでしょう!
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そんな秀吉の肖像画は?
ジャン!
引用:Wikipedia
髭も付け髭なんですね!おじいさんの秀吉公は、そこまで猿っぽくはなさそう!
最後に
足軽(農民)からの仕上がり下剋上よろしく織田信長の天下統一事業を引き継ぎ、見事日本を制覇した凄い実績を残した豊臣秀吉ですが、容姿は結構厳し目な物がありましたね。
さすがに、天は二物を与えなかったのです。
それでいいと思います。これでイケメンだったら、ちょっとおもしろくなかったかも?!
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戦国時代を統一できたのは、織田信長の天下布武と、江戸幕府を開いた徳川家康とそしてこの豊臣秀吉の3人がいたからにほかなりません。
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