戦国時代という、政治が乱れ、各地方の戦国大名(各地の領主)が生き残りをかけて外交、内政、を駆使して戦い続けた時代がありました。
戦国時代に国・領地を治めていたのは総責任者は戦国大名ですが、一人で治めていたわけではなく、現在のように,様々な役職の人がいて、役割分担して、各自がその職務にあたっていました。
では、どのような役職があって、どのような仕事をしていたのでしょうか?
そして、どのように出世していったのでしょうか?
今回は、現在と比較しながらその役職について紐解いて行きたいと思います。
領地を治めるトップは領主である戦国大名です。
今で言うならば、社長のような存在です。
そして戦国大名の部下にあたるのが家臣です。
組織のトップである戦国大名と組織を構成する部下に当たる家臣との関係には3つありますが、まずは見てみましょう
1・血筋の関係
大名の親族だったり、血がつながっているということは組織を組むにあたってとっても重要なポイントでした。
血が濃い順に3つに分けることが出来ます。
◯一門衆(いちもんしゅう)
血が一番濃い親族ですね。家臣団の最高位に位置します。
有名なところですと、一門衆には豊臣秀吉を影で支え続けた弟の豊臣秀長などがいます。最強のNo.2と行った感じで、秀吉もかなり助けられたでしょう。
現在でも、同族会社など民間企業では血縁者が幹部を務めることもありますね。有名なところですとトヨタ自動車は社長の一族が傘下の会社の社長を務めていますのでこれに当てはまるでしょう。
◯譜代衆(ふだいしゅう)
一門衆ほど血縁が近くはありませんが、遠い親戚だったり、古くから仕えている者たちで構成されます。
一門衆の次に位置します。
有名なところですと、徳川家康に古くから仕えた榊原康政や酒井忠次などがいます。家康がまだ人質時代のころから苦難をともにしてきた同志という感じ、軍事や政治面を支えてきました。
現在では、例えばホンダ自動車の社長で技術屋の本田宗一郎と経営面を支えた藤沢武夫の関係などはここに当てはまるでしょう。
◯国衆(くにしゅう)・新参衆(しんざんしゅう)
3番めに、領地が発展した後に編入された武将たちで構成された組織です。
領国内にすでに住んでいた者たち(国衆)や、他の領地から新しく家臣に加わったもの(新参衆)も重要な家臣団でした。一番ここが多かったでしょう。
有名なところですと、武田信玄が信濃(長野)に領地があった真田幸隆(真田幸村の祖父)を配下にしましたね。
現在の企業でいいますと、M&A(企業買収)が近いかと思います。例えば楽天があおぞらカードを買収して「楽天カード」にして成功したりしていますね。
次に誰に仕えるか?という分類が出来ます。
2・誰に仕えているか?
まず一番目に戦国大名に直接仕えているかどうか?
◯直臣(じきしん)
当然、大名に直接仕えている家臣が地位は高いです。
織田家で言うところの老臣、柴田勝家などそうですね。
◯陪臣(ばいしん)
次に、直臣に仕える家臣たちです。間接的に大名に仕えています。
織田信長の直臣であります豊臣秀吉に仕えた天才軍師、竹中半兵衛はここに当てはまりますね。
◯奉公衆(ほうこうしゅう)
そして陪臣の下に仕える者たちです。
もうひとつ、家臣同士の関係についてご紹介しておきます。
3・寄親寄子制度
これは、大名と家臣との関係ではなく、家臣同士の主従関係です。
保護する側が寄親で、保護される側が寄子です。
大名の領地が大きくなると、戦争のときなど統率を取るのが難しくなってくるのを防ぐためにとった方法です。
この主従関係があることで、軍隊が上手く機能していったというメリットがありました。
しかし、寄親によって、奴隷化した寄子もあったようです。
陪臣と似ていますが、あくまでこの寄子は、大名の直臣であることが違いですね。
武田家、毛利家、北条家などは積極的に取り入れていったようです。やはり大大名で戦が強いところに多いですね。
色々組織が大きくなると管理が難しいですようです。
現在でいうと、強力な縛りのある子会社化といった感じでしょうかね?
社長や会社と個人の関わりっていうものもが分かっていただけましたでしょうか?
それでは次に、実際の戦国時代の家臣役職を見てまいりましょう!
戦国時代の家臣役職一覧
まずトップに君臨するのは当然の如く大名です!
★トップ・・大名
現在で言うところの「社長」でしょうかね?
様々な方向性やコンセプトなど、国の行く先を決めるとっても大事な人です。
この人の選択が間違っているとすべてが狂ってしまいます!
行く末が狂った国は幾多もありましたが・・・・。
★No.2は・・・宿老(宿徳功老)
現在の言うところの「副社長」ですね。
大名が決めた方向性を実行するため、軍事面や政策面など全般的に補佐する役職が家老なのですが、その家老達を統括する役割ですね。
※家老とは、家臣の長のことです。宿老とは、経験を十分に積んだ老人(年寄り)を意味しました。
大名の考えをしっかりと理解する能力はもちろんのこと、それを具体的に誰に割り振り、実行させるかといった人事にも大きく関与していました。
この役職はかなり国の運営に関わる人達でして、基本は一門衆(親族)から選出されています。
有名なところでは、上杉家の直江兼続などは、有能な家老として名を残していますね。
★幹部軍団、家老・中老・老中・若家老(かろう・ちゅうろう・ろうじゅう・わかかろう)
会社でいうと「専務・常務」といったところでしょう。
要するに、会社の幹部軍団で作業割当を行う人達です。
社長の考え(基本政策)を実行するための組織人事を司る集団と言えるでしょう。
戦国時代では、若家老以外は近親者がなることが基本でした。
ここで適材適所に間違いが起きると、どんなに良い政策でも失敗に終わるケースもありますし、逆に思わぬ収穫を得る場合もありますね。
家老に次ぐ役職として、老中があります。
「家老中」の略で、「中」は仲間一同を意味しています。なので、「家老の仲間一同」という意味で、家老を支えていく役割となります。
有名所では、徳川家康や家老を謀略の面から特に支えた本多正信がいますね。
★実行部隊長・奉行
ここまで来ると実際に現場で働く人達になってきます。
現代の言うところの「各部部長」といったところでしょう。
会社では「営業部・総務部・購買部などなど・・・」あります。
有名なところでは、豊臣秀吉を支えた五奉行がいます。
筆頭は石田三成で、行政面を担当していました。奉行としては相当優秀で、太閤検地など、天下を治める政策を次々と実行していきました。
戦国の世では、
●町奉行(警察署長。行政全般をみる)
●勘定奉行(財務部長)
●寺社奉行(寺社を統括する。奉行職の中で一番格が高い)
●段銭奉行(税務署長)
●横目奉行(戦争時の諜報機関。監察機関としても機能)
●公事奉行(裁判長)
基本的にはこれらが最低限備わっていました。
現在と結構近いものがありますね!
珍しいところでは、織田家の相撲奉行など、大名の嗜好が出ているので面白いです。
★諸役(しょやく)
奉行の元で、実務に当たるのが諸役です。
行政機関の役人です。
会社で言うところの、課長、係長、社員ですね。
★郡代(ぐんだい)
その他、城下町以外の地方を治め、税の徴収を行う郡代がいました。
郡代の下には代官がいて、領民たちを監督し、税を取り立てていました。
悪代官などというものも、ここから来ていますね。
会社で言うところの、地方の支部長と言ったところでしょう。
★大名側近職
現在で言うところの「社長秘書や相談役」などでしょう。
社長の直属の部下ですね。
●使番(戦場への伝令役。使者。)
これは結構重要な役割で、よほど優秀じゃないと務まりませんでした。
大名の代わりとなって相手と交渉することもありましたから、その任務の重要さは相当です。
有名所では、武田軍のムカデ衆ですね。
●小姓(こしょう)(社長秘書)
これは、社長の身の回りの世話なども担当する役職です。
社長秘書の他に、マネージャーだったりカバン持ちといった方も該当しそうです。
食事や衣服のお世話、髪を結うお世話も行い、大名の生活に一番近いところで仕事をしていた人ですね!
小姓には、美童が多かったようで、大名はいろんな意味で可愛がっていたようです。
有名所には、織田信長に仕えた森蘭丸や、武田信玄に仕えた高坂弾正昌信や、徳川家康に仕えた井伊直政などですね!いずれもイケメン!
★近習(きんじゅう)馬廻(うままわり)(大名の身辺警護と日常の相談役)
現在で言う、ボディーガードやSPみたいなものでしょう。
★噺衆(はなししゅう)
主君の戦争へのストレスを軽減するため、リラックスさせる話し相手が噺衆の役目でした。
教養人や風流人が選ばれ、戦国の世ですと、豊臣秀吉に仕えた細川忠興など有名所です。
★右筆(ゆうひつ)
自国の公式な記録・文書を書き残したり、他国との条約文を書き残したりする部署。
とにかく大名は人を多く使って、国を治め、敵国と戦争をしていたわけでございます。
出世した戦国大名の例
それでは次に、戦国時代に、この役職階段を駆け上がり、見事大名になったお方を
見てみたいと思います!
堀秀政(ほりひでまさ)
引用:wikipedia
名人と呼ばれた文武に優れた有能武将、堀秀政は、初めは羽柴秀吉に仕えていましたが、織田信長に見初められて、
小姓として、織田信長の側近で働くことになります。
1まず小姓
ここで、きっちりとちょっとむずかしい気性や人を試す知恵を持っている織田信長のもとで、
働き、評価されます!
2,次に普請奉行
堀は、足利義昭の仮住まいの普請奉行(家を立てる枠組みを仕切るひと)を任されます。
他にも様々な奉行職を歴任しています。
3,領主へ!
そして、きちんと仕事をこなす堀秀政は、ついに近江国の坂田で大名になります。
ホップ・ステップ・ジャンプを確実に上った堀秀政は分かりやすい出世街道をまっしぐらでした!
次に、ちょっと寄り道をしましたが、確実にビックなクラスに成り上がった大名を
ご紹介しましょう。
前田利家です。
前田利家(まえだとしいえ)の出世街道
最終的には加賀百万石の礎を築き、豊臣秀吉のもと、5大老を務めることになる
前田利家を見てみましょう。
1,小姓
やはりここから始まりました。織田信長の小姓としてメキメキと頭角を表します。
2,馬廻
そこから、馬廻になり、織田信長親衛隊である、赤母衣衆のリーダーに抜擢されていきます。
ここまでは順調でした。
しかし、ここで事件を起こし、(織田信長が寵愛した部下と諍いがおき、前田利家はその部下を殺してし逃げてしまいます。
やってしまった!
これを知った織田信長は激怒!死も覚悟した前田利家でしたが、周りの武将たちの嘆願に
命は助けられ、浪人として過ごす時期がありました。
3浪人時代(フリーター)
ここで前田利家は挫折するのですが、なんとか許さえていない戦に参戦し、功績を上げること
でやっと、主君、織田信長にお許しを得るのです。
4,鉄砲奉行
様々な戦に参加する中で、戦関係の奉行を務めるまでになっていました。
これは、実力もそうですし、主君からの信頼が高かった事が言えるでしょう。
5,大名、そして初代加賀藩藩主に!
そして、ついに10万の大名になり、そこから着々と領地が大きくなり、
加賀百万石に後になる、加賀藩の初代藩主になるのです!
最後に、天下をとった豊臣秀吉の、すぐ下の部下。
日本国の幹部。5大老に就任しています。
ここに、出世極まるって感じです!
最後に
戦国時代の家臣たちの役職と、実際に出世していった戦国大名の
軌跡をたどってみました。
出世をしているのは、やはり、主君の近くにはじめはいて、そこから出世街道に乗る
パターンが多いようです。
現在でも、有名な社長の側にいて、その経営術を学び、自分でその学んだものを
活かしていくっていう手法を用いる人は多いですよね。
それと一緒です。
私も、結果を出していて、実力者の近くにいって、学ぶようにしたいと思います!