戦国時代の映画やドラマやゲームや小説。結構身近に戦国時代のコンテンツがありますよね。
でもたまにこれなんて言う意味?なんて事ありませんか?
なんせ昔の事なんで、使っている言葉もだいぶ変化していますよね。
そこで今回は、戦国時代に使われていて意味や読み方がわからない言葉を、現代の言葉に変換しようと思います!
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戦国時代用語辞典一覧!
あ行
合印(あいじるし)
戦場で敵味方を区別するための目印です。そろいの色の布などが用いられました。
足軽(あしがる)
武士階級ではない歩兵の総称です。初期は用兵や臨時雇いの領民などがほとんどでしたが、後期は武士に準ずる扱いとなっいきました。天下を統一した豊臣秀吉も、はじめはこの足軽という身分からのスタートでした。
足軽大将(あしがるたいしょう)
物頭(ものがしら)とも言います。長柄隊(ながえたい)、鉄砲隊、などの足軽部隊の隊長の事を指します。例としまして、明智光秀が足利義輝将軍に足軽大将として仕えていた事もあります。
穴太衆(あのうしゅう)
近江国(滋賀)出身の石工集団です。優れた技術を持っていたため、各地の城で石垣づくりに従事しました。
有名な城に安土城があります。
関連記事:穴太衆とは?野面石の積み石垣は安土城や比叡山坂本に使用!?
安堵(あんど)
土地などの権利を保証することです。
石落(いしおとし)
城の櫓などに設けられた防衛設備。壁の一部をせり出させていて、そこから下に石を落としたのです。
石垣(いしがき)
城の土台などの防御力を高めるために造られた石積みのことです。
一門衆(いちもんしゅう)
大名の血縁者のことです。組織の中でも幹部クラスの役職を担っていました。
一向宗(いっこうしゅう)
浄土真宗本願寺派のことです。地侍(じざむらい)や農民といった人々を結びつき、大名たちに激しい抵抗をしました。
一揆(いっき)
本来は心を一つにするの意味を持ちます。転じて一致団結した集団や、その行動を指します。戦国時代における一揆は、権力者や富裕層に抵抗する集団や抵抗運動を指すことが多いです。加賀(金沢)一向一揆などは100年ほど隣国の戦国大名(上杉謙信や織田信長)と戦い続けました。
馬印(うまじるし)
指揮官の居場所を示す目印のことです。一軍を指揮する地位にあることを示すステータスとしての意味もあります。
馬揃え(うまぞろえ)
軍事パレードのことです。自らの軍事力を誇示する際などに行います。
馬廻り(うままわり)
大将の警護役に当たる騎馬武者、親衛隊のことです。織田家の馬廻衆には前田利家もいました。
大手(おおて)
城の正面や正門の事を言います。城の正面から攻める軍勢のこともいいます。
大手門(おおてもん)
城の正面に位置する門。追手門とも言います。
か行
花押(かおう)
貴族や武士が用いたサインのことです。自分の名前などを図案化したものが多いです。
関連記事:花押(かおう)・印判の意味や語源とは?現在の印鑑との違いは何?
家中(かちゅう)
大名家の法律のことです。有名なものに、今川家の「今川仮名目録」や武田家の「甲州法度之次第」があります。
家督(かとく)
家を継ぐ人です。戦国時代において家を継ぐ人は、一族の長としての権限や、一族に与えられた役職、土地財産を継ぐ、ということを意味しました。
寡兵(かへい)
兵が少ないことです。
上方(かみがた)
京、大阪周辺のことです。日本の中心は当時京や大阪にありました。
搦手(からめて)
城の裏口や背面のことです。城の背面から攻める軍勢のこともいいました。
間者(かんじゃ)
敵の内情を探るものです。要は、スパイですね。忍者の主な仕事でしょう。
感状(かんじょう)
働きの良い家臣に対して大名が送る賞状のことです。武将の評価基準の一つで、家中での地位や再就職の際の評価に繋がりました。
関白(かんぱく)
天皇を補佐し、政務をつかさどる重要な職務です。豊臣秀吉はこの役職を得て、日本を統治しました。
太政大臣の上の位で、公家の最高位です。
管領(かんれい)
室町幕府の役職で、本来は将軍の補佐役のことです。室町時代、斯波家、細川家、畠山家の三家は管領職を世襲していました。
給人(きゅうにん)
扶持人(ふちにん)とも言います。給料をもらっている家来のことです。
キリシタン大名
キリスト教を信奉した大名のことです。キリスト教の布教や信者の保護をし、南蛮貿易によって力を蓄えました。
高山右近、黒田官兵衛などが有名ですね。
近習(きんじゅう)
主君の身の回りの世話や身辺警護を行う家臣のことです。小姓とは違い、既に名のある武将が多かったです。
武田信玄に仕えた奥近習六人衆(真田昌幸も!)は有名。
国衆(くにしゅう)
領国拡大の際に取り入れられた家臣のことです。外様(とざま)新参(しんざん)とも言いました。
真田家などの信濃の家々は武田家に取り入れられた国衆ですね。
首実検(くびじっけん)
戦場で討ち取った首を、大将が確認する儀式です。本当に申告した者の戦功かどうかを確認する場でもありました。
曲輪(くるわ)
城の一区画のことです。本丸が城の最終防衛区画で、それより外の区画を二の丸、三の丸、出撃の起点となる馬出(うまだし)、各区画をつなぐ細い区画を帯曲輪や武者走りなどと呼びました
軍師(ぐんし)
戦において、勝つための戦略・戦術を大将(戦の総責任者)に助言する人の事を言います。戦国時代初期の頃は、占いからのアドバイスも多かったようです。有名な大名にはほぼいました。特に豊臣秀吉における竹中半兵衛と黒田官兵衛の二人の軍師は秀吉を天下に押し上げる成果をもたらしました。
現在では、参謀と言えましょう。
軍忠状(ぐんちゅうじょう)
戦場での働きや負傷の度合いなどを大将に申告するための報告書です。論功行賞(手柄の有無に応じて褒美を与えること)の際の判断材料の一つです。
現在では、成果レポートみたいなものでしょう。
軍配(ぐんぱい)
軍配団扇(ぐんぱいうちわ)の略称です。兵を指揮する時に指揮棒として用いたり、占いにも使用しました。武田信玄が上杉謙信との一騎打ちの際に攻撃を軍配で防いだ逸話も(伝承?)あったりなんかします。
軍法(ぐんぽう)
合戦開始にあたって決められる様々な規則のことです。禁止事項が多かったです。武田信玄や今川義元など、戦によって領土を拡大していった大名たちにとって、軍隊の規律を整えるのには必要不可欠でした。
下向(げこう)
京を離れて任地へ向かうことを言いました。現在は東京が首都ですが、戦国時代当時は京都が日本の首都だった関係からこのように言います。
元服(げんぷく)
公家や武家の身分の人が成人になること、またはその儀式のことを言います。元=頭、服=着用を意味し、「頭に冠をつける」という意味を持ちます。おおむね11歳から17歳の間に行われました。
減封(げんぽう)
支配下の大名の領地を減らすことです。
現在で言う、減給ですね。悲しい響きです。
豪族(ごうぞく)
土地を実力で支配する地方の有力者のことです。広い土地や大きな財産を持ち、その土地で勢力を持っていました。甲斐の国(山梨)の武田信玄は、国内の豪族を持ち前のリーダーシップで束ね、戦国最強と呼ばれるほどの軍団を作り上げました。
国人領主(こくじんりょうしゅ)
国人(その土地の住民)であり、その土地の農民層を直接支配した人を指します。地侍(じざむらい)や土豪(どごう)とも言います。徳川家康をはじめ、有名な戦国大名はほぼ、国人領主からの出自です。
虎口(ここう)
城の出入り口の総称です。狭い意味また、「ここう」と読む場合は少し意味が異なり、虎の口という文字通り、危険な場所を意味しました。
小姓(こしょう)
武将の見回りの世話や身辺警護を行う家臣のことです。主に若年者がつき、見習いとして武将から様々な事を学ぶことが出来ました。平時は秘書としての仕事をこなし、戦争時は主君を盾となり守る役割をこなしました。織田信長の森蘭丸や、徳川家康の井伊直政などが有名です。
現在で言えば「社長のカバン持ち」みたいなものでしょう。
拵(こしらえ)
刀剣類の刀身部分を除いた外装のことです。刀身を入れる鞘(さや)と、握る部分である茎(なかご)を入れる柄(つか)と、刀身と茎の間にある鍔(つば)のことを指します。
後詰(ごづめ)
交代、補充を行う後続部隊の事を指します。援軍や、奇襲部隊などの別働隊の事や、敵の後方から攻撃することを指す場合もあります。
戦争に勝つために、重要な要因でした。
御所(ごしょ)
天皇や将軍などの住居のことを言います。転じて天皇や将軍の呼び名として言う場合もありました。
小物(こもの)
小人(こびと)とも言いました。武士に仕え、雑用等を行った使用人のことです。
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さ行
座(ざ)
今で言う「協同組合」のようなものです。商人の属する商人座と職人が属する職人座があります。戦国時代では座に属さなければ商売することが出来ない土地が多くありました。金銭を支払う代わりに商売をする権利を得る、という感じですね。
采配(さいはい)
30センチほどの棒の先に、細長く切った布や獣の毛の房を付けたものです。兵士を指揮する際に、指揮棒として用いられました。
また、指示そのものを指す場合もあり、その場合は「采配を振る」といいます。※「采配を振るう」は間違いです。
侍大将(さむらいだいしょう)
騎馬武者隊の隊長のことを言います。一軍を指揮するもので部将とも言います。
直臣(じきしん)
大名と直接主従関係を結んだ家臣の事を言います。
関連記事:戦国時代の家臣役職制度一覧!堀秀政・前田利家の出世は?
地頭(じとう)
鎌倉・室町幕府の役職の一つです。警察権と裁判権を併せ持ち、地方を支配しました。室町中期に守護大名による領国支配が成熟すると、地頭は名実共に消滅していきました。
守護(しゅご)
鎌倉幕府、室町幕府の役職の一つです。軍事指揮官であり、行政官でした。地頭を監督する役割を持ち合わせました。税や年貢を徴収する権利を持ち合わせるようになってからは影響力が増し、領国を支配するようになっていきました。
守護大名(しゅごだいみょう)
地方の支配権を確立した守護のことを言います。守護大名はその後、戦国大名になるものと、没落していくものと分れていきます。
駿河(静岡)を支配した今川家や、甲斐(山梨)を支配した武田家は。守護大名から戦国大名になり変わって行きました。逆に足利将軍家有力一門の斯波氏は戦国時代には勢力を失っていきました。
出奔(しゅっぽん)
逃亡して行方をくらますことです。逐電とも言います。現在風に言えば「バックレ」ですね。
城主(じょうしゅ)
城とその周辺の領土の支配者のことを言います。独立勢力としての城主から、大名の家臣まで身分は様々でした。
庶子(しょし)
側室・妾など、正室(正妻)以外の女性から生まれた子供のことを言います。徳川2代将軍の徳川秀忠も西郷局という側室から生まれた庶子でした。
地割(じわり)
領民に対する土地の割当の事を言います。農地の割当や、都市部の区画整理も含みます。
殿(しんがり)
退却する際に、最後尾で敵軍の追撃を防ぐ部隊やその指揮官の事を指します。有名なところでは、織田信長が九死に一生を得た「金ヶ崎の戦い」において、豊臣秀吉や明智光秀らが殿を務めたと言われています。
陣僧(じんそう)
戦死者の供養のために従軍した僧侶のことを言います。時宗の僧侶が特に多かったようです。僧侶は学識が高いため、敵方への使者や、文筆の用意をしたりもしました。
陣触(じんぶれ)
軍令の一種です。招集命令のことですね。
陣屋(じんや)
陣(戦時の軍隊がいる場所のこと)に設営された簡易宿泊施設のことです。
戦国大名(せんごくだいみょう)
幕府の後ろ盾無く、独自の支配権を確立した、地方の有力者のことです。
先鋒(せんぽう)
合戦の際に戦闘に立つ部隊やその指揮官の事を指します。先手、先陣、とも言います。先鋒を務める武将は名誉とされていました。
関ケ原の戦いの先鋒ははじめは豊臣秀吉子飼いの武将、福島正則隊の予定でしたが、手柄を取られないように、徳川側の武将、井伊直政・松平忠吉隊が抜け駆けしたとされています。
奏者(そうじゃ)
戦国大名からの要望を関白や将軍に伝える仲介者、または仲介する事を言います。
惣領(そうりょう)
一族の長の事です。当主ですね。惣領息子とは家督を継ぐ息子の事を意味します。
た行
大名(だいみょう)
元来は、有力農民である、「大名主」、または「大名田堵(だいみょうたと)」が由来と言われています。
地方を支配した守護を守護大名と呼んだことから、転じて地方の権力者のことを、「大名」と呼ぶようになりました。
関連記事:武将・武士・侍・大名・殿様の意味と違いを簡潔にお伝えします!一言で言えば?
内裏(だいり)
天皇の住居のことです。私的、プライベート区域のことですね。
嫡子(ちゃくし)
正妻から生まれ、家督を継ぐ予定で一番年長の子供のことを言います。
茶坊主(ちゃぼうず)
主君の身の回りの世話(茶の湯の手配や、来訪者の案内など雑用)をする、剃髪(髪を剃っていた)姿をした者のことを言います。織田信長仕えた茶坊主で、すごい横柄な態度で侮辱され続けた家臣の前田利家が怒り、信長の目の前で惨殺された十阿弥は有名どころです。現在ですと秘書のような役割ですね。
調略(ちょうりゃく)
謀の事を指します。敵を騙し、事を有利に勧めるための手立てのことです。政治的工作の事を指します。
戦争をせず、損害を最小限にして戦に勝つ方法としては、とても有効な手段でした。
関ケ原の戦いで、東軍の武将、黒田長政が、西軍の武将、小早川秀秋を調略し、東軍に勝利をもたらしたことなどが挙げられます。
使番(つかいばん)
合戦中の伝令役のことを指します。武田信玄に仕えた「百足衆」などが有名ですね。
天守(てんしゅ)
城の中心部に築かれた最大規模の櫓のことを指します。戦が始まると、司令部として機能しました。織田信長が築城した安土城は「天主」という漢字を当てますが、天主とは神のことを意味しますので、信長自身を神として表現したと考えられています。
青田刈り(あおだがり)
籠城(城に立てこもって戦う状態)する敵地の青田(まだ実っていない稲)を刈り取り、兵糧不足を狙って敵を消耗させる事を指します。
転封(てんぽう)
支配下の大名の今までの領地を召し上げ、別の領地を与えることを言います。他の言い方で「国替え」とも言います。今ですと「左遷」ですね。
同朋衆(どうぼうしゅう)
将軍の近くで雑務や芸能の役目を担った人を指します。有名なところで伝統芸能である「能」を大成した観阿弥世阿弥がいます。
現在で言うと、お抱え芸人みたいなものでしょう。
取次(とりつぎ)
主君と家臣との間の意思疎通に介在する仲介人のことを指します。
主君から家臣に文書で伝える時は、一度取次が主君から伝えられた内容を文書化(奉書)し、それを家臣に伝えるような仕組みとなっていました。
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な行
撫切(なでぎり)
城を攻め落とした際、城に立てこもっていた人間を皆殺しにすることを言います。
東北の武将、伊達政宗が、小手森城を攻め落とした際に、女子供、犬までもすべて殺害しました。これはまさに撫切!残酷です。
縄張り(なわばり)
城の設計図のことを指します。古くは実際に現地に赴き、縄で設計を行ったことが語源です。
忍者(にんじゃ)
大名や領主に仕え、また独立して諜報活動、暗殺、破壊活動等を仕事にしている者です。
現在で言えば、スパイのようなものですね。
は行
陪臣(ばいしん)
大名の家臣のその家臣・家来の事を言います。大名との主従関係はそこにはありません。そのため、どんなに強大な勢力をもっている陪臣も、格式的には直臣の下に位置しました。
半役(はんやく)
軍役(武士が主君に拠出すべき兵力や兵糧のこと)に定められた数・量の半分を意味します。
被官(ひかん)
大名の支配下に入った武士や地方領主のことを言います。彼らを支配下に置くことを被官化する、といいます
火攻め(ひぜめ)
敵の城下に放火することを意味します。直接交戦することは少なく、武将の初陣に使われることもあった城攻めのやり方です。
評定(ひょうじょう)
今後の方針を決める会議のことを言います。関ヶ原の戦いでの東軍の方針が固まった「小山評定」や、いつまでたっても結論の出ない会議のたとえとして使われる「小田原評定」などは有名です。
兵糧攻め(ひょうろうぜめ)
敵軍の補給を絶ち、抵抗力を奪い落城を狙う戦術です。
豊臣秀吉による、鳥取城攻めはまさにこのやり方で攻め落としました。城を完全に包囲したため、城内では餓死者が続出する事態となりました。
奉行(ぶぎょう)
主君の命令を受けて、各種の仕事を担当する役人のことを言います。内容は多岐にわたり、織田信長の奉行には「相撲奉行」なるものも存在していました。
普請(ふしん)
築城の際に行う土木作業の事を言います。築城そのものや補修工事、その他の土木工事を指すこともあります。
※天下普請とは、江戸幕府が全国の大名に行わせた土木作業の事を言います。江戸城や名古屋城などが知られています。
譜代(ふだい)
大名に代々仕えている家臣の事を言います。徳川家康における「松平家」などが上げられます、
扶持(ふち)
現在で言うところの給料です。当時は、金銭だけでなく、米や土地で支払われることも多かったです。
関連記事:一両いくら?戦国時代の貨幣価値甲州金から簡単に換算してみた!
奉書(ほうしょ)
上位のものから受けた命令を、より下位のものに伝えるために発行した文書のことです。
堀(ほり)
敵の侵入を防ぐために、城や屋敷の周囲に掘った深い溝のことを言います。そのままにして通路として利用する空堀や、水を満たした水堀などがあります。形の違いでは、薬研堀(薬研(薬草をする時に使う器具)に形が似ていることから)や、箱堀などという種類があります。
本陣(ほんじん)
総大将が戦の時、陣取る場所のことを言います。合戦中の司令部であり、側近たちが総大将の周囲を固めていました。
ま行
水攻め(みずぜめ)
敵城の周囲を水没させて補給路を経つ戦術のことを言います。有名なところに、豊臣秀吉が水攻めを用い落城させた備中高松城があります。石田三成が攻めた忍城では失敗に終わった例もあったり。
水手(みずのて)
城の水源のことです。通常は井戸を指しますが、周囲の河川や池、沼を指すこともあります。
ここを絶たれると、一気に籠城が不利になってくるため、水手を狙った城攻めは多く行われました。
武田二十四将の一人、横田高松の志賀城攻めでは水手を切り、見事攻め落としています。
目付(めつけ)
家臣団を監視する役割でおかれていた役職です。合戦時は軍目付(武将が勝手な行動を取らないように監視)という役職もおかれました。武将たちの手柄の根拠となる証拠を確認する役割もありました。「目」とは、まさに監視の「目」ですね。
現在で言う、本部付けの監査人ですね。
物見(ものみ)
戦場での偵察や警戒、またその任務に当たる人のことを言います。斥候(せっこう)とも言いますね。
や行
お館/お屋形(おやかた)
武将の邸宅のことを言います。そこを中心に政治を行っていたため、転じて武家の棟梁の事を指す事もありました。
例;「お館様は~」
櫓(やぐら)
城の防衛施設となる建物の総称です。役割や由来によって様々な名称の物が存在します。
天秤の形をした国宝彦根城の「天秤櫓」や、江戸城の焼失した天守閣の代わりを務めた「富士見櫓」などは有名なところです。
猶子(ゆうし)
公家や武家の社会で、他人と親子関係を結んだ養子のことです。そして、家督相続を前提としない養子の事を言います。
この制度を利用して豊臣秀吉は公家の近衛家の猶子となり、公家の仲間入りを果たし、関白の座を仕留めたのでした。
なんとも都合の良い制度ですね。
祐筆/右筆(ゆうひつ)
現在で言うところの「書記」です。文書の作成や記録を行いました。織田信長の一級資料として残る「信長公記」の著者である太田牛一が挙げられますね。
会合衆(かいごうしゅう)
商業都市で自治の指導的な役割を果たした組織とその構成員のことを指します。
堺が有名で、福岡の博多や三重の大湊などでも存在していました。
寄親・寄子制度(よりあい・よりこせいど)
戦国時代における家臣団管理システムの一つです。大名が有力家臣に家臣を預け、自分の代わりに管理させました。
与力(よりき)
地方の足軽大将などの中・下級武士(直臣)が、大名・有力武将に軍事目的で従う事を指します。
また、大名のもとに大名が加勢として組みこまれたケースが織田政権で見られました。柴田勝家の元に前田利家がいたり、明智光秀の元に細川幽斎がいたりして、大軍団を編成していました。この場合の前田利家や細川幽斎を与力大名と呼びます。
ら行
乱波(らっぱ)
忍者の呼び方のことです。主に東国で使われていました。ただの乱暴者である山賊・ごろつきを指すこともありました。
他にも透っ波、草、軒猿、細作(さいさく)など、様々な呼び方があります。
塁(るい)
敵の侵入や攻撃を防ぐために土などを盛り上げたもの、土のものを土塁、石のものを石塁といいます。
禄(ろく)
封禄(ほうろく)とも言います。現在で言えば、年俸制に近しいですね。
まとめ
戦国時代の言葉で、わかりにくいものを中心に取り上げてみました。小説や映画などを見ていてわからない言葉が出てきたりしたら、参考にしてみてください。
日本語って奥が深いなあって思います。