日本の歴史の中で、一番ドラマチックで最もエキサイティングで群を抜いてサバイバルだったのが戦国時代です!

毎年のように映画やドラマ、ゲームや小説、テーマパークやイベントなど色んなコンテンツに登場してくる戦国時代。

例えば映画「関ケ原」やシュミレーションゲーム「信長の野望」、イベント「信玄公祭り」や2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」、小説「一夢庵風流記 (新潮文庫)」など枚挙に暇がありません。

そんな現在でも脈々と生きる戦国時代についてもう少し詳しく紐解いて行くことで、より楽しく興味深く戦国時代のコンテンツを楽しむことが出来るはず。

そんな思いから年表を元に戦国時代の全体像をご紹介していきたいと思います!

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戦国時代とは?

戦国時代とは「地方の主権を握った大名が、さらに勢力を拡張し、究極は天下の覇権を取るべく互いに戦った時代」と辞書にあります。

要は、各地の有力武士たちが日本を統治出来なくなった室町幕府に代わり、自ら自分の領土を治め、更には日本の統一を目指した時代ってわけです。

名目だけでは生き残れず、実力が伴わなければ領民から見放され、自然と淘汰されていきました。

本当にシビアな時代です。

群雄割拠の時代とも言われます。

※群雄割拠とは、多くの英雄たちが各地で勢力を張り、争っている状態の事を言います。

でもだからこそ、数々のドラマが生まれたわけですね!

 

戦国時代の期間は?

戦国時代の期間としては、諸説あります。

始まりは「応仁の乱」・「明応の政変」・「北条早雲が伊豆を征服したとき」・などです。

終わりも様々で、「織田信長が足利義昭を奉じて入京」・「豊臣秀吉の天下統一」・「関ヶ原の戦い」・「大阪の陣」と色々です。

戦国時代の定義が「地方の主権を握った大名が、さらに勢力を拡張し、究極は天下の覇権を取るべく互いに戦った時代」です。

その視点で見ると、大名が自らの領地を自ら治め始めるのが、幕府の後ろ盾の効果が著しく薄れた「応仁の乱」付近ですのでここが戦国時代の始まりで、徳川家康が完全に天下を統一して日本中の勢力を支配下に置いた「大阪の陣」までが適切でしょう。

まとめると、室町幕府の中頃に起きた「応仁の乱1467年」から、徳川家康が豊臣家を完全に滅ぼした「大阪の陣1615年」までが戦国時代です

 

戦国時代に至るまで

それでは、そんな戦国時代に至るまでを簡単に見てみましょう。

室町時代初期(戦国時代前夜)

室町時代というのは、初代将軍足利尊氏が開いた室町幕府という政権によって治められていた時代のことです。

室町幕府中期(応仁の乱勃発・戦国時代の始まり)

時代は流れ、8代将軍・足利義政のときは、結構不安定な政治状態になっていました。

なぜかといいますと、守護大名の権力や発言力が高まり、将軍への敬意が失われていった事が、政治の不安定さにつながっていたのでした。

守護大名とは、室町幕府が地方を治めるために任命した軍事・行政官を務めた有力大名のこと。室町幕府中期では、裁判権や年貢を徴収できる権利なども持ち合わせて権力が強まっていきました。

そんな時に起こってしまったのが戦国時代の始まり、「応仁の乱」でした。

★応仁の乱とは?

有力守護大名(畠山家・斯波家)の後継者争いに、将軍の後継者争い(9代将軍候補)が重なり、それぞれの後継者争いに各地の守護大名たちが乗っかり、日本の勢力が東西2つに真っ二つに分れて主導権争いが全国規模で争いが起きてしまった戦いのことです。

室町幕府後期(応仁の乱後戦国大名現る)

11年続いた応仁の乱でしたが、結果和睦が成立します。

しかし、この戦争を通じて室町幕府の力は弱まり、逆に力を強めた守護大名と、没落した守護大名の地位を乗っ取って行く者たちが、各地の支配をして行きます。

この者たちが戦国大名と呼ばれる者たちです。

まさに「地方の主権」を握った者たちが現れるのです。

諸説あり!戦国時代の始まりは明応の政変

応仁の乱の後、各地の有力な守護大名や、それを蹴落として権力を強めた者たちが支配を強めていきました。

しかし、まだ政権としての室町幕府は存続していました。

そんなとき、幕府を支えていた有力な守護大名・細川政元が、室町幕府を補佐する地位を奪取し、政治の実権を握っていきました。

このことで将軍の存在は名ばかりで、細川政元が実権を握るという状態になります。

これを明応の政変といいます。

 

将軍の権力が事実上無くなった、ここを戦国時代の始まりと呼ぶ説が最近の有力説でもありますが、今回は参考までとしておきます。

 

それでは、年表で全体像を把握しておきましょう!

戦国時代の年表

戦国時代初期(有名戦国大名たちの誕生と世代交代)

戦国時代始まりの出来事が立て続けに起こります。

そして、戦国時代を彩る有名な戦国大名たちが続々誕生して行きます。

一方で、その父親たちの世代は次々とこの世を去り、世代交代が進んでいきます。

そして、織田信長による天下統一へ!という流れが見て取れます。

新しい時代への移行ですね。

年号出来事
1466応仁の乱起こる(原因は8代将軍義政の後継者争いと守護大名の後継者選びトラブル)
1477応仁の乱終了(和睦だが、東軍側にいた足利義尚が9代将軍になる)
1486太田道灌暗殺される(江戸城を築いた戦の天才が殺される事件)
14879代将軍足利義尚が鈎の陣(まがりのじん)へ(幕府の権威を復活すべく守護大名の六角氏を懲らしめる戦。結果、途中で将軍はお亡くなりになります。あらら)
1491北条早雲、伊豆を征服(関東に北条家あり!と知らしめた出来事)
1493幕府の管領(政治の責任者)細川政元が幕府の政治の実権をほぼ握る(これが明応の政変
1494足利義高10代将軍となる(細川政元の操り人形のような存在です)
1495北条早雲が小田原城を奪う。(小田原の繁栄はここが始点です)
1497蓮如が石山本願寺を創建する(後の大阪城が造られた場所です)
1508足利義稙11代将軍となる
1510松永久秀誕生!(日本初の爆死者)
1519今川義元誕生!(東海一の弓取り)
1521武田信玄誕生!(甲斐の虎)
足利義晴12代将軍となる
1522柴田勝家誕生!(織田家家臣)
千利休誕生!(茶道の名人)
1523毛利元就、毛利家当主となる(毛利家、後の大大名への始まり。三本の矢で有名)
1528明智光秀 誕生!(大河ドラマ麒麟が来る、主人公!)
1530上杉謙信誕生!(越後の龍)
1534織田信長誕生!(後天下統一目前まで)
1536伊達稙宗が「塵芥集」を制定。(伊達家の分国法です)
1537豊臣秀吉 尾張に誕生!(後天下統一を果たす)
1538前田利家 尾張に誕生!(傾奇者。後加賀百万石の祖)
1541武田信玄、父信虎を追放し甲斐の領主となる
北条氏康、北条家の家督を継ぐ(3代目)
1542美濃(愛知)の斎藤道三が守護大名の土岐頼芸から自立。下剋上に成功。
徳川家康 三河に誕生!(後の江戸幕府を開く)
1543ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が伝来。(強力な武器登場。戦が変わる)
1545浅井長政 近江に誕生!(淀、初、江三姉妹の父親)
1546足利義輝13代将軍になる(剣豪将軍です)
1546武田勝頼 誕生!(後長篠の戦いで破れる)
1546武田信玄「甲州法度次第」を制定(結構厳し目の法律です)
1547徳川家康、織田家に人質として行く
1548織田信長、斎藤道三の娘、濃姫と結婚
1549フランシスコ・ザビエルが鹿児島からキリスト教の布教を始める
1551織田信秀死去(織田信長の父親です)
1553第一次川中島の戦いが始まる(武田信玄と上杉謙信との戦いです。全5回)
1554甲相駿三国同盟締結。
1556斎藤道三、長良川の戦いで敗死。(息子の義龍に殺されました)
蒲生氏郷 近江に誕生!(文武両道の優秀な人)
1560桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を破る(今川義元死亡)
石田三成 近江に誕生!(後の豊臣五奉行の一人)
1561上杉謙信が関東管領(関東を治める役職)となる
1562織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ。
1565松永久秀が剣豪将軍足利義輝を二条城にて殺す。
1566毛利元就が尼子氏を滅亡させる。(月山富田城の落城)
1567織田信長が斎藤龍興の稲葉山城を落城させる(斉藤氏の滅亡。そして天下布武始まる)
伊達政宗 米沢に誕生!(独眼竜ですね)
1568足利義栄が14代将軍となる。
織田信長が足利義昭を奉じて入京する(将軍を動かすポジションにつく!)

さあ、戦国時代の始まりに主要な戦国大名たちは誕生して、元服していきます。

だいたいみんな揃ったかな。

次、中期を見てみましょう。

戦国時代中期の年表(織豊時代(織田豊臣の略です)とも言います)

戦国の中期は織田信長が天下統一をほぼほぼ仕上げ、最後、豊臣秀吉が一度完成させるという流れです。

見てみましょう!

年号出来事
1568織田信長、諸国の関所を廃止行き来が自由になり、より経済活動が活発化されます)
15代将軍に足利義昭がなる(室町幕府最後の将軍です)
1569織田信長、ルイス・フロイスにキリスト教の布教を許す(フロイスは「日本史」を書いた方)
1570姉川の戦い(織田・徳川連合軍と朝倉・浅井軍との戦)
1571比叡山の焼き討ち(僧侶の武装化や、怠惰さへの戒め。)
1572三方原の戦い(武田軍が徳川軍との戦い)で徳川家康大敗する。
1573織田信長が15代将軍足利義昭を追放し、室町幕府滅亡
武田信玄死亡。(甲斐に戻る途中、駒場で死去)
朝倉家と浅井家滅亡。小谷城落城。(豊臣秀吉大活躍)
1575長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍勝利。(織田軍の鉄砲が大活躍!)
1576織田信長、安土城に居城を移す。(襖絵は狩野永徳作)
1577松永久秀 信貴山城で死亡(名茶器の平蜘蛛もろとも吹っ飛ぶ)
1578上杉謙信、病死(脳溢血?お酒の飲み過ぎ?)
1579明智光秀、丹後(兵庫県周辺)を平定する。
家康の嫡男信康と、妻築山殿を信長の命令で殺害
1580織田信長、石山本願寺との戦いに勝利する。
1582本能寺の変明智光秀謀反を起こし、織田信長自害。
山崎の戦いで豊臣秀吉が明智光秀を破る。
清州会議開かれる。(織田家の後継者を話し合う)
1583賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家と妻のお市の方、死亡。
豊臣秀吉、大阪城の築城始める
1584豊臣秀吉、小牧・長久手の戦いで徳川家康と戦う
1585豊臣秀吉、長宗我部元親を降し、四国を平定。
徳川家康と豊臣秀吉の妹が政略結婚。
1586豊臣秀吉、太政大臣になる。(朝廷の一番高い位です)
1587薩摩の島津義久、豊臣秀吉に降伏する。
バテレン追放令発令。(キリスト教の勢力が強くなりすぎます
北野で大茶会が開催される。(黄金の茶室あり!開催は1日のみ)
1588刀狩をおこなう(僧侶や農民から武器を奪うもの。平和ならばいらないよってこと)
1589キリスト教の禁止(キリスト教の勢力、影響力が強くなりすぎましたね)
1590伊達政宗、豊臣秀吉に降ります。(白装束を着て覚悟を決めたことは素晴らしいです)
小田原の戦いで北条氏滅亡。(北条氏が最後まで言うことを聞かなかったのです)
豊臣秀吉による、天下統一が確立!

織田信長が、天下統一間近で家臣の明智光秀に襲われ、自害。

そして流れは一気に豊臣秀吉へ!天下統一を成し遂げました

 

しかし、秀吉が成し遂げた天下統一は脆弱な部分がありました。それはまさしく後継者の問題。

戦国時代の始まりも後継者問題がきっかけでした。

その命題にきちっと答えを出したのが、徳川家康でした。

豊臣家にとどめを刺し、300年近く続く徳川政権の土台を作り上げた家康の手法はすごいです。

 

戦国時代後期では、徳川家康が豊臣家を滅ぼし、世襲制による仕組みを作った上での天下統一を果たすまでを見ましょう。

これで戦国時代も完結です。

戦国時代後期の年表(徳川家康の天下統一まで)

年号出来事
1590徳川家康、関東へ領土替え。江戸城に入る。
千利休、豊臣秀吉に自害させられる。(豊臣秀吉が少しおかしくなり始めていました)
1592文禄の役。最初の朝鮮出兵を行う。
1593豊臣秀頼 誕生!(秀吉の待望の後継者が誕生します)
1595豊臣秀次、高野山で自害。(要らない人物は切る。恐ろしい)
1597慶長の役。2度めの朝鮮出兵。(お金も人材も失うばかりの戦争は利益がありませんでした)
1598豊臣秀吉、伏見城で死亡。(最後はひっそりと亡くなりました)
1599前田利家、死亡。
長宗我部元親、死亡。
1600関ケ原の戦い。東軍リーダー徳川家康対西軍リーダー石田三成との戦いは東軍の勝利!
1603徳川家康、征夷大将軍に任命される。(徳川幕府を開く!
1605家康の息子の徳川秀忠が2代将軍を受け継ぐ。(徳川家が政権を担うことを宣言)
1614大阪冬の陣後、大阪城の堀を埋める。(真田幸村の活躍あり!)
1615大阪夏の陣により、豊臣家は滅亡。(大砲作戦がテキメン!)
「武家諸法度」と「禁中並びに公家諸法度」を制定する。(法律をきちんと整えました)
1616徳川家康、死去。(法律、軍事、経済、外交と仕組みを整え、最大の敵を滅ぼし亡くなりました)

天下統一した豊臣秀吉としては、朝鮮、そして明を攻める気満々でした。

しかし、まだまだ脆弱な国内事情はそれを許しませんでした。

徳川家康は、関東で虎視眈々と天下のチャンスを狙っていて、そして見事ものにしました!

最後の最後にゲットです!

まとめ

戦国時代について年表を元に全体像をご紹介していきました

そこにでてくる登場人物や出来事など、結構有名な事が多かったのではないでしょうか?

また新たな発見もあったのでは?

今回、ざっくり戦国時代の全貌をご紹介しましたが、戦国時代は奥深いです。

他にも戦国時代関連の様々な記事をご紹介していますので、ご興味がございましたらお読みいただければと思います。

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参考文献

「日本の歴史」中公文庫

「図解戦国武将」新紀元社

「戦国武将ものしり事典」主婦と生活社

「戦国大名の日常生活」講談社選書メチエ

「戦国時代大全」KKロングセラーズ

「信長公記」