織田信長は能力主義!
織田信長は、戦国時代という混乱に満ちた時代を制圧し、天下統一直前まで行きました。
その秘訣が、部下の登用や使い方にあったんだと思うのです。
それを今回は分析してみようと思います。
織田信長天下統一前提条件として
織田信長は天下統一という大目標を掲げました。これがミッションです。
目的は、戦争のない、平和な世界を作ることです。
そのためには、まずは戦争を制しなければなりませんでした。
「天下布武」(武力で天下を制圧する)がコンセプトですね!
戦争を制するためには、強い軍隊を作り、そして戦争に勝つことが大事でした。
個々の戦に勝ち続けること。これが小目標になりました。
まとめますと
★大目標・・天下統一
★目的・・平和な世界
★コンセプト・・天下布武
★小目標・・戦に勝つ
となります。
そのために、必要な人員を揃え、適材適所に配置していくように人事を組んで行ったのです。
まさに王道のやり方だと思います!
兵農分離を導入
その軍隊は、今までですと、農業に従事している人を戦争の時に兵隊としてかりだしていました。
しかし、それですと、農繁期に戦があった場合、兵隊を集めることができなくなってしまうというデメリットがありました。
なので、戦争の為の兵隊を予め雇うことにしたのです。
これなら、いつ戦争が起きてもすぐに出陣できますし、戦争がない間は、訓練が出来るので、どんどん強い軍隊が出来ます。
これを兵農分離といいます。文字通り、「兵」と「農」を分けたのですね。
プロの傭兵軍団だと思ってくだされば良いです。
織田家がきちんと戦に勝つことのために契約するってことです。
目標、目的がはっきりしていましたので、織田信長もその道筋に沿って、部下の登用、組織編成をビシッと行って行ったのです。
そこのこだわりは「能力主義」です。
とにかく、能力第一で家臣を登用・雇用した事が一番で、縁とかコネとか、地位がとか、全く問いませんでした。
人物重視と言っても良いでしょう。
だから、
昔ながらの古い考えしか持てなかったり、きちんと仕事をしないでサボってばかりいたり、
とそういう姿勢で仕事しちゃう人は、織田信長の嫌いなところでした。
では、織田信長の人物登用ポイントを2つ見てみましょう!
①出身は問わない
大名が抱える軍の兵は、普通大名の一族と、領地近くの小さい領主などで構成されていました。
つまり、代々その大名に仕えているような者ばかりでした。
織田信長は、血筋や家柄など関係なく、能力さえあればどんな人間でも登用しました。
織田信長軍は、後に5つの軍団にまとまっていきます。
そのうち3つの軍団団長は、羽柴(豊臣)秀吉、明智光秀、滝川一益という武将たちでした。
彼らは、織田家にとっては新参者だったのです。
織田5軍団
●近畿・・・明智光秀(新参)
●北陸・・・柴田勝家(父の代からの重臣)
●関東・・・滝川一益(新参)
●中国・・・羽柴秀吉(新参)
●四国・・・織田信孝(信長3男)
身内も一人はいっていますが、新参者がここまで重要な地位を占めているっていうのは、織田信長の
絶妙な配置、登用にほかならないでしょう!
参照記事:織田家臣野球チームベストメンバー9!最強ランキング付!
②能力がなければ捨てられてしまう
能力さえあれば登用されましたが、逆に能力がなかったり、信長に対する忠誠心が欠けていたりすれば
容赦なく捨てられました。
その考えは、古くから織田家に仕えていた家臣に対しても変わりませんでした。
仕事にたいする態度に対しても厳格でした。
処罰された家臣
また、仕事をサボったり、余計なことをする人間も容赦しませんでした。
無断で仕事をサボった人間の処罰
織田信長の留守中に遊びに出かけたお城の女房たちを、一人残らず殺してしまった事もありました。
勤務中のおふざけに対しての処罰
二条城の修理をしている時に、近くを通った女性をからかった人夫を、ものも言わず斬り殺したこともありました。
不倫していた家臣を解雇
キリシタンの家臣が不倫しているのを知り、一度は見逃すも、キリスト教の教えに反していると判断し、解雇!
参照記事:荒木村重公はじめ、戦国武将に嫌気がさした時オススメの人生!
なかなか厳しい処罰がくだされていたのですね。
でも、これくらいやっていないと、きちんとやっている人が報われません。
そして、評価する織田信長への不満が溜まっていってしまいますよね。
でも、この辺りの感覚は、現在でも取り入れられると思うのです。
だめなものはダメ出し、良いものは良いと言っていないと、何が悪くて何が良いのか、部下はわかりませんよね。
この辺、きっちりと表現していたので、最速で日本をまとめ上げれたのだと思います!
最後に
織田信長は人生の間にほぼ日本を統一しました。
49歳で死ぬわけですが、父織田信秀の家督を継いでから、実に32年程で
その道筋をつけるところまで行ったのです。
これはすごいことですよ。
部下には荒くれ者のいれば、詐欺師みたいのも、暗殺者だっていたでしょうから
それらをすべてやりくりしてたどり着いた秘訣にこの人の扱い方が
絶対にありました。
今宵は、そんな織田信長の実績を胸に刻み、「ここらでよかろうかい」