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戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長南昌幸がお届けする

ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます!

 

今は、時計があり、時刻を知ることが簡単に出来ます。

待ち合わせもそうですし、仕事のはじまり、学校の終わり、

食事する時、などすべて時刻で語られます。

 

「12時にお昼ね」とか、「今日は、17時まで仕事!」とか

使いますよね。

 

当たり前のようですが、戦国時代は今と同じような時刻を使ってたのでしょうか?

 

その違いを調べてみたくなりました。

ご興味のある方はご覧ください!

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戦国時代の時刻

懐中時計のイラスト

今のように時計はあったのでしょうか?

調べてみますと、戦国時代よりも1000年以上前、

天智天皇が水時計や日時計というものを設置していたことから

当時にもあるにはあったようです。

 

でも、一般的には全く普及せずに戦国時代に至るというのが実情のようです。

日本はじめての機械式時計

戦国時代にキリスト教の布教のため日本に訪れていたザビエルが、機械式時計を

中国地方を治めていた戦国大名の大内義隆公に献上しています。

これが、日本はじめての機械式時計と言われています。

 

しかし、時の数え方が日本とは全く違うので、実際には使えませんで、ステイタスシンボルにしかなりませんでした。

 

なので、実際、戦国時代には流通している時計は皆無だったようです。

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戦国時代はどのように時を数えたか?

時計はありませんでしたが、それでも日本独自の時刻の決め方がありました。

まずは、時刻の表記について

今のような、「1,2,3,4,、、、。」という数字ではなく、「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い。」というような、中国で使用されている十二支を時刻に割り当てて使用しました。

 

日の出と日の入りを基準に決めていた関係から、

(正確には日の出30分前、日の出前の白白明るくなる「薄明」と、日の入り30分前、日が暮れて誰の顔が分からなくなる暗さの「誰れ彼」(たそがれ)を基準にしていたようです)

日の出=卯の刻

日の入り=酉の刻

とその2箇所を基準に残りを決められていました。

不定時法という時刻法について

1、まず一日を昼と夜に分けます

2,それぞれ6等分します(その一つを一刻と言います)

(この一刻は季節や場所に左右されるので、その長さは異なる。故に不定時法)

夏至の頃の、昼の一刻は2時間40分、夜の一刻は1時間20分。

その差、1時間20分ありました、、、。

太陽が長く出ている季節のときは昼の一刻が長くなるって話です!

 

戦国時代の方の時間確認方法

太陽のキャラクター

手っ取り早いのは、空を見上げる方法でした!(そーらーをみなよ~♫)

不定時法がそもそも太陽を基準としているので、

太陽の位置を確認することで今の時刻を知ることが出来ました。

 

今のように秒単位ということはなく、かなりアバウトですが、

大まかに時刻を皆が簡単に確認することが出来る点は

優れているな!と思います!

 

そして、時間に追われアクセクすることもそれほどなかったのでは無いでしょうか?

 

ある意味羨ましかったりします!

 

では欧州はどうだったのでしょうか?

日本と欧州の時刻の数え方の違い

欧州では定時法が基準でした。(機械式時計はまさに定時法でした)

その違いをまとめてみました。

定時法(欧州) 不定時法(日本)
一時間の長さ 同じ 異なる
季節に変動される? されない される
基準とするもの 時計 太陽
場所によって変動する? されない される
年によって変動する? されない される

というな感じでした!

定時法は現代と一緒なので、すでに欧州では時間に追われる

生活をしていたのでしょうか?進んでますね!

 

まとめ

戦国時代の頃は、まだ時計も普及していなく、時刻の数え方も

現代とは違うやり方で、太陽の位置で決める方法を取っていました。

 

確かに不確かですが、それほどきっちり時間に縛られる必要性も

なかったのでしょう。

 

そんな時代が羨ましくもあります!

 

調べていくと面白いですね!勉強になります!