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江戸から明治へ!この歴史的瞬間をわかりやすく知りたい!
幕末の皆がいろんな考えを持ってそれぞれの理想を追い求めて動いていた時代。
そして260年程続いた武士政権が幕を下ろし、新たに天皇中心の日本が生まれた瞬間。私達の祖先はこの熱くてやけどしそうな時代を戦争によって乗り越えます。
その戦争を「戊辰戦争」といいます。
誰と誰が戦い、どんな目的を持って戦っていたのか?
どんな戦いだったのか?
そんな疑問を解くため、わかりやすく紐解いてみたいと思います!
いってみましょう!
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戊辰戦争概要

 戊辰戦争

戊辰戦争とは?

一言でいいますと、日本の主導権を巡る権力争いです!

名前の由来

明治元年が干支で戊辰の年のため

戦った相手は?

新政府軍(薩摩藩と長州藩、土佐藩が中心。朝廷も)
旧幕府軍(旧江戸幕府(徳川家)、会津藩、桑名藩、奥羽越列藩同盟9

新政府軍の目的

徳川家を政治から完全に追放したい

旧幕府軍の目的

政局に参加したい

期間

1年5ヶ月

年表

年号出来事
慶応3年(1867)
12月9日
王政復古の大号令
12月25日
薩摩藩江戸藩邸焼き討ち
慶応4年(1868)
1月3日
鳥羽伏見の戦い
2月17日赤報隊事件
3月6日甲州勝沼の戦い
4月11日江戸城無血開城
4月19日宇都宮城の戦い
4月20日会津戦争
4月22日会津藩降伏
4月25日元新選組局長近藤勇処刑
5月2日北越戦争
5月3日奥羽列藩同盟成立
5月6日奥羽越列藩同盟成立
5月15日上野戦争
明治元年(1868)
12月15日
蝦夷政権樹立
明治2年(1869年)3月25日宮古湾海戦
4月9日箱館戦争
5月11日元新選組副長土方歳三戦死
5月18日戊辰戦争終結

結果

新政府軍の勝利

戦死者

13550人

戊辰戦争の3大ポイント

大砲

1,日本初の近代戦争

この戦争は、外国から輸入された武器を使用されました。
ちょうど海外ではアメリカの南北戦争が終わり、ヨーロッパではクリミア戦争が終わり、武器が余っていた所、ちょうど良いタイミングで日本に需要があり、じゃんじゃん流入してきました。
両軍とも西洋銃や大砲を使用した近代戦争と言えるでしょう

2,戦死者が少なかった

西洋の強力な武器を使用したのにもかかわらず、双方あわせて死者は13550人でした。
決して少ない数ではありませんが、アメリカ南北戦争(4年)の62万人関ヶ原の戦い(半日)8000人に比べると単純比較できませんが、犠牲は最小限で政権交代を成し遂げた戦争だったと言えます。
特に、旧幕府軍の首都である、江戸城が無血開城された意味はとてつもなく大きかったと言えるでしょう!

3,近代的な戦後処理

戦争の常として、負けた方の首謀者は、処刑されたりしますが、戊辰戦争では逆に新政府の要職につくなど
珍しい処理が行われました。この事が、日本の国力の損傷を最小限に抑え、近代化社会の成立を早めた最大の原因と言えるでしょう。
それでは、日本全国を縦断した主要な戦局を個々に見ていきたいと思います!

戊辰戦争の戦局

鶴ケ城

1,王政復古の大号令

倒幕派の公家、岩倉具視が中心となり、第15代将軍徳川慶喜から政権を奪うためのクーデター(暴力的な手段での政権奪取)のことです。
これにより、天皇が新政府の誕生を宣言することに成功します。
同時に、徳川慶喜の辞官納地(すべての官位を辞め、徳川家の全所有地を朝廷に納める)ことが決定します。
このことで、旧幕府側は相当怒りまくります!当然でしょう。

2,薩摩藩江戸藩邸焼き討ち事件

旧幕府軍を挙兵させるために、薩摩藩により浪士たちに江戸で挑発運動を促します。略奪暴行悪事限りなく。見かねた江戸の警備を任さrていた旧幕府軍の庄内藩は薩摩藩藩邸を焼き払い、交戦状態に突入します。
これは、薩摩の指導者、西郷隆盛の主導のもと行われ、思惑通りになりました。
とにかく新政府軍としては、戦争でしか旧幕府軍を納得、説得することは不可能と見て、戦争が起こるようにふっかけたのでした。
その挑発にまんまと新政府軍はのってしまったと言えるでしょう。

3,鳥羽伏見の戦い

朝廷による徳川慶喜の処分決定、薩摩藩の挑発により、憤る徳川慶喜は新政府軍に対して挙兵します。
ぶつかったのは京都の鳥羽伏見
旧幕府軍は新政府軍の3倍の勢力があり、過信もあったのか、戦争準備が完全に終わっておらず、新政府軍に攻め込まれます。錦の御旗が新政府軍になびいたことも勢いを増す要因となります。
また、新政府軍は淀城にいた譜代大名稲葉正邦の裏切り、津藩の裏切りと続き、劣勢に追い込まれます。
一時旧幕府軍は勢いを盛り返しますが、夕方になったからといって、新政府軍は撤兵を始めてます。なんと!
また、指揮官が前線で指示しない勢力では勝る旧幕府軍は統率が取れず、新政府軍に完全に大敗を喫します。
最後は総大将徳川慶喜が大阪城から抜け出し江戸へ引き上げてしまい勝負ありました。

4,赤報隊事件

新政府軍東山道鎮撫総督指揮下の一部隊、相楽総三を隊長とする赤報隊が味方であるはずの新政府軍に「偽官軍」の烙印を押されて襲撃・処刑されます。年貢半分を求めた相楽は、豪商と付き合いがある新政府軍首脳から切り捨てられたのでした、、、。

5,甲州勝沼の戦い

新選組局長の近藤勇は、甲府城で新政府軍を迎え撃つからと、その了承を徳川慶喜に求めています。
最終的に甲州行きの命令が下されて近藤勇は甲陽鎮撫隊として新政府軍を討つため甲州へ向かいます。
しかし甲州城は先に新政府軍に入られ、進軍する新政府軍と勝沼で衝突
山上から攻撃する新政府軍にたまらず近藤達は敗走します。

6,江戸無血開城

江戸城

勝海舟は徳川慶喜から終戦処理のすべての責任を託されました。
すでに徳川慶喜に戦する気持ちはありませんでした。
勝海舟はなんとしても江戸での合戦を避けなければなりませんでした。
そこで、新政府側の西郷隆盛と山岡鉄舟を使者に交渉を続け、大奥の篤姫の西郷への働きかけもあり、
江戸城を無血開城することに成功します。

7,宇都宮城の戦い

徳川家康が祀られている聖地、日光で新選組副長土方歳三、大鳥圭介は新政府軍と激突。
宇都宮城を巡る激しい攻防の末、新政府軍が勝利し、土方歳三らは北へ敗走することに。
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8,奥羽列藩同盟、奥羽越列藩同盟

先に徳川慶喜は、新政府軍に対して謝罪を行っていました。
旧幕府軍である、東北、北陸の奥羽越列藩たちも同じく謝罪の嘆願書を提出します。
しかし、その嘆願書を新政府の長州藩士世良修蔵は却下します。
その措置に怒った奥羽越の諸藩は同盟を結び、新政府と戦う道を選びます。
目的は、会津と庄内藩を救うための同盟
ただ、すべての藩が主戦派でなく、救うべき会津藩の劣勢により裏切る藩が続出します。
結果、同盟は破綻。東北、北陸も新政府軍の手に落ちました。

9,会津戦争

鶴ケ城

京都守護職を担当した松平容保率いる旧幕府軍会津藩・奥羽越列藩同盟と新政府軍は各地で激突。
「花は白河」と言われた白河城の攻防を始め、戦局は新政府軍の勝利により進み、会津藩の本城、鶴ケ城も一ヶ月の籠城の末、兵糧も尽き、降伏、開城となりました。
ここでは幕末のジャンヌダルク、山本八重などの活躍も見られましたが、
白虎隊はじめ、幾多の悲劇がこの戦いで生まれることにもなったのです。

10,新選組近藤勇、処刑

旧幕府の主戦派近藤勇、江戸板橋にて処刑されます。新選組で一世風靡した局長もここで力尽きます。

11,北越戦争

旧幕府軍で長岡藩と言えば軍事強国として名高い藩でした。
その長岡藩を主導したのが、新潟にある長岡藩家老、河井継之助でした。
当時日本に3門しかなかった最新鋭の機関銃、ガトリング砲を引っさげ、新政府軍と死闘を繰り広げました。
長岡城を奪還する奇跡を見せますが力尽き、河井継之助は会津に向かう途中足に受けた銃弾が元で死亡します。ううっ。

12,上野戦争

大村益次郎

奥羽列藩同盟が成立した少し後、江戸城無血開城に不満を持つ旧幕臣たちが上野の寛永寺に集まりました。

ここには徳川慶喜が謹慎していて、慶喜を警護する目的で続々と集まったのでした。彰義隊をはじめとしてその数3000人ほど。
慶喜が水戸に謹慎の場所を移し慶喜は完全に戦意喪失しますが、残った彰義隊はいきり立ちます。
上野に攻め込むは長州藩の戦の天才大村益次郎率いる新政府軍。
両者の戦いはこの上野の地で、慶応4年5月15日に始まりました。
新政府軍のアームストロング砲の破壊力や、大村益次郎の戦術により半日で旧幕府軍は瓦解。
上野を護っていた旧幕府軍は敗走と同時に泥棒に変じ、なんとも言えない後味の悪い戦となりました。
ああっ。

13,蝦夷政権樹立

五稜郭

東北まで攻め落とされた旧幕府軍は最後の砦を蝦夷(北海道)にもとめます。
榎本武揚と土方歳三を中心とした最後の旧幕府軍は松前城と五稜郭を占領して体制を整えようとしました。
榎本武揚は、軍艦を元に海軍力で力をつけ、蝦夷に独立政権を樹立し、旧幕臣を救おうと考えていました。
しかし、軍艦を暴風雨で失い、防御の甘い五稜郭では、新政府軍には全く歯が立ちませんでした。
唯一土方歳三が気を吐き、善戦しましたが、それもつかの間、最後は敵陣に突っ込み銃撃され絶命!
残る1300名の兵の助命と引き換えに榎本武揚は降伏し、独立政権を成し遂げること無く、
ここに、戊辰戦争は新政府軍の完全勝利で幕を閉じます。

最後に

駆け足で戊辰戦争を見てまいりました。
勢いのある新政府軍と劣勢の旧幕府軍ではやはり戦の優劣がついてしまうのも無理はありません。
本気で戦う事を望んだ人も少なかったと思います。
次の時代を考えればそれも理解できます。
しかし、そんな中悲劇に散った方たちのドラマは私達の胸を打つものがありました。
明治という、夜明けを迎えるに必要不可欠の戦いだった戊辰戦争
いかがだったでしょうか?
戊辰戦争がなければ明治を迎えられなかたわけで、私達は感謝しなければいけないでしょう。