伊谷には木材が豊富にあり、これを有効活用する事に
気付いた井伊直虎公達。

お金になる商売は、至る所にあるものですね。
でも、それも気付かないと宝の持ち腐れになってします。

その点、瀬戸方久さんはすばらしいと思います。
お金に対する嗅覚や並外れたものをお持ちのようです。

自分自身が10年後には、田舎に帰り、
農業をやりたいと思っていて、その中に
林業も考えたことがあります。

日本は有数の森林王国!

日本の国土の実に7割近くが森林です。
この数値は世界の中でも有数で、
先進国の中では3位だそうです。
(因みに平均は30%)

この資源を活かさない手はないですよね!

そもそもどのような場面で木材は使われていたのでしょうか?

井伊直虎公が木材が使った場面

館の建築や、城郭の建築等、軍事的に使用されていきました。
そして、戦いで損傷すれば再度建築し直したり。

需要がうなぎのぼりに上がっていきました。
また、竹は矢種として育成に力を入れるようにもなっていきました。
このように、戦国時代という背景上、需要がどんどん高まっていったと言えます。

気賀の城にはかなりの井伊谷の材木が使われていましたね!

その後もきちんと産業として根付いていきました。

さらに、井伊谷は湖に近く、そこから京や大阪などに
木材を運ぶことが利点として挙げられます。

かなり、儲けたことでしょう!

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大大問屋になった淀屋

現在の価値にして100兆円以上の財産を築いた大阪の淀屋という大材木問屋も出現します!

天下の台所、大阪を代表する商家になるのですが、それほど儲かる商売だったということです!

井伊谷の材木も、淀屋に下ろされていたりしたかもしれませんね!

環境的には厳しい?

かなりの量の木が伐採されました!

(現代は400年以上の木曽の檜はほとんど無いと言われています!)

後先考えない人間たちの野望は、戦国時代の人たちも一緒ですね、、、。

実際は今は稼ぎにくい

私は山梨に山の一部を代々受け継いでいますが、税金とかかなり安いです。

なかなか、そこを使いみちを探すのは難しいようです。

労力に対して、収益が出ないのが現状でしょう!

 

利益を生み出すのは、山の土地を利用するときのみ!

たとえば、リニアモーターカーが通るので売却した!とか。

 

かつての様に乱伐はいけませんが、産業として残して行きたい資源ではあります!

 

まとめ

森林王国日本は、その昔、戦国時代には、かなりの木が倒され、

売られていました。使いみちも多く、城の建造や、戦火に遭われた街の修復など、

多岐におよび、凄い需要がありました。

 

それを利用し、大問屋になるものも現れ、井伊家もこの流れに上手く乗り、

資金を稼ぎ、産業として根付かせることが出来たようです。

.値段は麻に比べると高価ですが、江戸時代になって、戦争が終わると一気に民衆まで

広がるようになっていきます。

今は衰退している感がありますが、是非復活の狼煙を日本の林業、あげて欲しいと願っております!

 

井伊谷への観光は、ごゆるりと一泊で!

 

リッチに以下のホテルなどどうですか!