大河ドラマ「西郷どん」第一話、めちゃめちゃ面白かったです!
私は動画で何回も何回も見ちゃいました。
その中に各郷中の子どもたちが鎧を背負って競い合う「妙円寺詣り」という行事が出てきます。
これは戦国時代の薩摩の武将「島津義弘公」を偲んで行われる行事なのですが、
どんな行事なのか、もう少し詳しく知りたいと思いました。
今回は、この妙円寺詣りについて見てみたいと思います。
(ちなみに西郷どんのドラマの中でスタートした場所は精矛(くわしほこ)神社といって、ココも祭神が島津義弘公なのです)
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妙円寺の歴史
妙円寺は1390年にもともとは守護大名大内義弘公の娘の供養のために建立されました。
その後、島津家によって尊崇を受けてきましたが、特に島津義弘公は帰依が厚く、その後、義弘と妻の墓所となったため、島津家の中でも有数の寺となりました。
明治2年に廃仏毀釈という政府の政策で破壊されますが、明治13年に跡地の近くに復興されて現在に至ります。
初めに妙円寺があった場所には島津義弘公を祭神とする徳重神社が立っています。
島津義弘公とは武将としても優れていますが、家臣を大事にし、家族も大事にする人としても素晴らしい人物でした。
そんなエピソードはこちら→島津義弘公を偲んだ妙円寺参り。家族想いの外科医武将!
妙円寺詣り
鹿児島市内から日置市伊集院町までの約20㎞の道のりを歩いて島津義弘公を参拝する伝統行事の事を妙円寺詣りと言います。
関ヶ原で敗れる西軍に属した島津義弘公は、敗走する時敵に背を向けるのでなく、意表をついて敵の正に陣の中を突破して帰還を果たします。そんな義弘公をしのび、太平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするため、鹿児島城下の武士たちは、関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)、往復40キロの道のりを、鎧兜に身を固め、夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺に参拝し始めたのが始まりです。廃仏毀釈で妙円寺が壊されて徳重神社にかわってからも名前はそのままで参拝は続きました。
現在も鹿児島三大行事として受け継がれ、
郷土芸能の奉納や武道大会、家族連れで賑わうウォークリーなど、10万人を越す人出でにぎわいます。
関ケ原で敵中突破し帰鹿を果たした島津勢。その苦難を偲び鹿児島城下の武士達が義弘公の菩提寺・妙円寺(現・徳重神社)に参拝したことに始まる #妙円寺詣り 。あの西郷や大久保も参加したといわれる鹿児島県日置市の詣りは今週末21、22日開催!https://t.co/uDYyUGuTTv pic.twitter.com/HA9BBswOsW
— ユカリノ (@yukarino_news) 2017年10月20日
基本情報
妙円寺詣りの基本情報をお伝えしますね
住所 | 鹿児島県日置市伊集院町徳重1786 |
開催日 | 毎年10月第4日曜日とその前日(新暦) |
電話 | 099-248-7380 日置市観光協会 |
開催場所 | 日置市伊集院町徳重神社近辺 |
公式HP | 日置市HP |
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地図
妙円寺詣りの歌
大正4年に作られた歌です。
関が原の戦いから島津義弘が帰還するまでを歌にしています。
22番まであるのですが、私が好きな歌詞は21番です。
ここではその21番をご紹介しますね。
21,
興亡総べて 夢なれど
敵に背を 見せざりし
壮烈無比の 薩摩武士
誉れは永遠に 匂うなり
どうです。かっこよくないですか?
動画もよろしければ
最後に
人として、武将として、みんなに愛された島津義弘公の最大のピンチ、関ヶ原の戦いからの帰還を偲んで行われる妙円寺詣り。
合計40キロを移動する結構過酷な詣でではありますが、これで島津公たちの苦労を偲ぶことができれば本望ですね。