戦国時代の最終章、関ケ原の戦いはいったいどこで起こったのでしょう?
現代では岐阜県にある、「不破郡関ケ原町」にその戦場はありました。
この場所は、古くは三関といわれた不破関があった場所です。
「壬申の乱」が起こった場所としても知られています。
西へ行けば、近江長浜、彦根佐和山(三成公の居城)。東へ行けば、大垣(西軍の本拠地)、垂井(竹中半兵衛さん居城があった場所)、名古屋といった
交通の上で要衝の場所でもあります。
重要な場所に位置する関ケ原ですが、その見どころがたくさんあります!
その中でも何点か挙げてみました。
見どころは?
1,関ケ原町歴史民俗資料館
ここは、まず行っておきましょう!
ジオラマ、兜の複製、武具などを展示しており、
歴史の雑誌なども豊富に取り揃えています。
自転車の貸出もあるようなので、活用するのも良いですね。
2,決戦地
笹尾山の石田三成公陣の前が最大の激戦地になったと言われています。
小早川隊が裏切った後の局面で、東軍の軍が三成公の首を目指して
戦った場所です。今は、のどかな田園風景ですが、耳をすませばトキの声
が聞こえてきそうです。
3,徳川家康公の陣跡
ここから采配を振るっていたと妄想すると、緊迫感が出てきますね。
小早川隊は本当に裏切るのか?、福島正則公が本気で三成公を攻めるのか?
等、最後まで家康公は疑心暗鬼に陥っていました。
しかも序盤は西軍有利で戦局は推移してたので、本当に気が気でなかったのでしょう。
準備万端で望んではいますが、勝負は最後まで分からない、油断大敵、
を地で行く家康公の気持ちを想像してみるのも面白いですね。
4,島津義弘公陣跡
このお仁ははじめは徳川軍の援軍として上洛するのですが、最終的に
西軍として関ケ原に参加します。
しかし、西軍にては、策も軍も重宝されず、完全にやる気を失い、
最後は、壮絶な徳川軍中央突破により命からがら薩摩へ逃げ帰ります。
この人の意見を聞き入れ、重宝していたならばまた戦局も変わっていたかもしれません。
でも、受け入れるかどうかは運みたいなところもありますので難しいところですね。
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5,島左近さん陣跡
この人を抜きにして、小説「関ケ原」は語れないでしょう。
三成公の名参謀です。武力も相当に強く、男っぽいところがとっても
魅力です。
最後まで鬼のような戦いぶりを魅せ、相手方の兵隊たちは、後々まで
悪夢にうなされたと言います。
6,最後に大谷吉継公陣跡です
戦の全体像を把握し、小早川隊の裏切りにも備え、最後まで勝利のために
全力を尽くした武将です。
知力、武力、交渉力、人間力等全てにおいてバランス良く備わっている武将だなと思います。病にかかっていなかったらまた違った展開になっていたかもしれませんね。
それにしても、三成公には、相当魅力のある人物が周りを支えていたのですね。それは純粋な三成公の人柄に惹かれて引き寄せられたのでしょう。
小説「関ケ原」
今年の夏、8月26日に公開される映画「関ケ原」ですが、司馬遼太郎先生の作品を原作にされているとのことで、もう一度小説を手に取り読み返して見ています。
まだお読みでない方は是非お読み下さい!
関ヶ原(上巻)改版 (新潮文庫) [ 司馬遼太郎 ]
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関ヶ原(中巻)改版 (新潮文庫) [ 司馬遼太郎 ]
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関ヶ原(下巻)改版 (新潮文庫) [ 司馬遼太郎 ]
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読みながら火傷なさらないように気をつけてお読み下さい!
(登場人物一人一人が熱すぎて火傷しそう!)
「関ケ原」好きだーという人がいたら語り合いましょう!