映画関ケ原にて、平岳大さんが演じる島左近公がどういう男だったのか!
ご説明していきたいと思います!
私は、この夏公開映画「関ケ原」の登場人物の中で、一番好きな武将が
この「島左近公」なんです!
「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。
一言で言えば、「男」なんです!
義の人三成公を支え、妻を想い、戦も強い。最高です!
さらに言えば、役者の「平岳大」さんも出演者の中で、演技がかなり気に入っています!
この、魅力あふれる島左近公を見事に演じ切っていると私は思います!
そんな、平岳大さん演じる島左近公の魅力に迫りたいと思います!
石田三成公との出会い
1540年6月9日(ロックンロールの日)に大和の国(奈良県)に生まれた島左近公は、
石田三成公に仕えるまでに、主君を7回変わっています。
畠山高政公→筒井順政公→順慶公→定次公→豊臣秀長公→秀保公→石田三成公。
自由に生きていますね!
既に筒井順慶公のときには侍大将として合戦と謀略の天才と言われていました。
やはりそれだけの実力を持った男故に、島左近公自ら仕える所を選べるのです。
とにかく、三成公としては、軍事的才能をもった武将を求めていました。
それに島左近公はぴったりでした。
そんな引く手あまたの島左近公を石田三成公が手に入れました
どのように口説いたのでしょうか?
三成公は正に中国三国史の「三顧の礼」を持って島左近公を
口説きました。
一度目は、家来としてお願いします。
二度目は、兄としてお願いをします。
三度目は、友としてお願いをします。
そして、三成公の知行の半分、1万5千石で召し抱えることに成功します。
島左近公にしても、そこまでされて仕えなかったら男として
どうかと思ったのだと思います!
男の気持ちを汲む心意気!だと思います!!
島左近公の人物像は?
「奥山の沼」と人は言うそうです。
深い木陰を水面におとし、しんしんと波一つたてぬ奥山の沼を
島左近公の雰囲気に、人は感じるのだといいます。
その証拠に、笑うと明るい顔になるが、黙るとひどい沈鬱な顔になるのです。
時に、眉を寄せるのが癖で、それがひどくいたわり深い表情にみえたります。
この表情をみた部下たちは、「この殿のためには命はいらぬ!」
と思ってしまうほど!!!
なんか、一筋縄ではいかない感じがしませんか?
私も他の部下たち同様、そんな所に魅力を感じます!
激しい武将のように思いきや、
自分の人生を「詩」として感じるような一面も持っています。
(実際に中国の詩人、杜甫を愛したと言います)
そして冷静に物事を現実的に見ることも出来るのです。
(ある時、三成公は大阪城から城下町を見た時、大阪が繁盛しているのは豊臣家の
お陰といいました。しかし左近公はたまたま都心だからという。郊外に行けば百姓は朝鮮の役で
苦しみ、飢えで死ぬものもあるという。現実を冷静に見ているのが左近公でした)
女性関係はどうだったのでしょう?
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同性から見ても魅力ある左近公ですから、異性から見てもそれは
放ってはおけない存在なのは間違いありません!
奥様は花野さん
奈良の大乗院門跡に仕えている医者で、北庵法印の娘です。
北庵法印といえば天下に聞こえる名医、その娘を妻に!
「花野」(中越典子さん演じています)さんといいます。
歳は関ケ原当時40くらいになります。
(島左近公は60歳ですね。20下の奥様です。)
今で言う、年の差婚です!
年下にモテる?!
左近公は特に歳幼い乙女にさわがれることが良くあります。
私がもし、女だったら、吸い寄せられるように
他の乙女のようにお慕い申し上げるのだと確信します!!
また島左近公も、聚楽町や堺の妓楼にて女遊びをしています。
目的は情報収集ではありますが、左近公も嫌いではないのでしょう!
金魚屋のまりあさん
「金魚屋」という妓楼の、まりあさんという遊女を特に指名していたようです。
金魚屋の妓楼から堺の海に浮かぶ和船などを見ながら、グラスの酒をなめながら
まりあさんと南蛮の話をする。
とても絵になります!!!カッコいいいいいっ!
愛宕町、分銅屋の朱鳥さん
島左近公は、朱鳥さんのひざを枕に、盃に注がれた酒を飲むのが
極楽と言っていました!
「酒の左近」とのあだ名も持つ島左近公は、
直後に徳川方の武士と切り合いになる時もお酒を飲んでいました。
酒の飲み方も、酒には飲まれず、キッチっと仕事をする!
憧れちゃいます!
妙善さん「椿井妙さん」との仲
妙善さんは、かつては島左近公との間に一女をもうけた間柄です。
しかし、その娘を5歳で亡くすと、小野の里に尼として隠れてしまっていたのです。
ある時、島左近公は、狙いに来た武士を成敗した後に妙善さん(当時35,6歳)の庵に立ち寄ります。そのときは、一夜を共にし、朝早くには庵を出て行くといった忙しさでしたが、このひとときが、2人にとってはとても濃密な時間となったことでしょう!
島左近公が一番女として魅力を感じていたのは妙善さんだったと思います。
可憐で、鮮やかで、男の考えを尊重しながら行動出来る。
そういう所に島左近公は惚れていたのだと思います!
さすが、いい男にはいい女!ですね!
映画では壇蜜さんが演じています。ぴったりですね!
軍師としての島左近公!
この関ケ原に通じる壮大な戦争絵巻を考えたのは、島左近公と上杉景勝公の家臣
直江兼続公です。
東北の上杉家と西の石田家が徳川家を挟み撃ちする!という大風呂敷です。
大風呂敷すぎるだろう!!!!
でも、ありがとうございます!
こんな大ドラマを後世に残していただいて!
そんな、一世一代の戦略を実際に実現させてしまうあたり、稀代の軍師
と思います!!
賢い武士としての島左近公
徳川方の刺客に狙われた時、自ら名乗りをあげ、一人ひとり刺客を
切り捨てていきます。
狙われていたことを察知していた左近公は、徳川方が闇討ちを仕掛けたことを
大げさに言いふらしながら切り捨てていったと言います。
(佩刀は初代包永二尺六分八寸であったでしょう)
狙われていたことすら利用してしまうこの合理性。
なかなかに賢すぎます!
忍者を手玉に取る戦術家!
ある時、徳川方の忍者、源蔵達に命を狙われます。
しかし、そこは島左近公。地形や風向きなどを緻密に分析し、
襲い来る忍者を切り落とします。
首領格の源蔵は、影からその始終を見守り鉄砲で島左近公に
照準を合わせるのですが、結局撃てずに終わります。
源蔵の背中は汗でびっちょりです!
暗殺のプロの伊賀の忍者をこんな思いにさせるなんて!
理由は、島左近公が化物に見えたからだといいます。
常に戦術を使い、堂々とした態度で貫き通す!
こんなお人の命を狙うには、相当の胆力がいるでしょう!
関ケ原の緒戦、杭瀬川の戦い!
島左近公は、突如大垣城付近の赤坂に現れた家康公の情報に
動揺する兵卒達を落ち着かせ、士気をあげるため、仕掛けます。
敵は、若干11歳の中村一忠公。父親は豊臣家三中老の一人、中村一氏公です。
(直前に一氏公は亡くなっています)
東軍に寝返った中村家は、どうしても家康公の目が気になります。
さすれば仕掛ければ若い中村氏は必ずそれに応じてくると島左近公は踏みます。
かくして中村軍はその誘いに乗り、島左近公はまずは勝利をおさめ
味方の士気をあげることに成功します。
この勝利も相手を読み、自陣の様子を読み、そして決断した戦いでした。
この状況把握力!本当に自分も欲しいい!!!
そして関ケ原本戦です!
黒田長政公、細川忠興公の軍と戦った島左近公。
ここの戦いだけをみるとはじめは、かなり優勢でした!
島左近公の掛け声「掛かれー!掛かれー!」は黒田隊の兵卒を
青ざめさせ勢いを削がせ、退却を余儀なくさせました。
これぞ「鬼左近」!!
統率力も抜群で、数で勝る黒田、細川軍を蹴散らしていきます!
このまま行けば勝てる!
戦況を見ていた三成公もそう感じていました。
(山に陣取る多くの軍団が本当の味方であれば、、)
しかし、敵もただではいません。狙撃班が組まれ、島左近公を狙い撃ちにします。
すると、島左近公の、左肘、左脇、馬に命中してしまいます。
状況は一転して敗走モードになります。
負傷しながらも辛くも退却し陣に戻ります。
厳しい状況に追い込まれていくツ!!!
最後の戦い!
いよいよ西軍の敗戦が確実になっていた頃、
島左近公は、軍師として武将として最後の仕事に取り掛かります。
まずは、三成公を落ち延びさせる算段を用意します!
そして、最後の自らの死を最も華やかなものにするために
突撃するものを募ります。
すると、残っていた100人近くことごとくが死の突撃を志願します。
「いよいよ我家は物好きぞろいよ!」
と嬉しそうにいったと言います。
部下から最後まで慕われていた島左近公。
こんな男の下で働いてみたい!
本当に思います!
最後は、関ケ原の野に散っていきました、、、。
でも、その魂は私達の心のなかに受け継がれています!
島左近公よ、永遠に!!!
島左近公をもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事も楽しめる内容となっております!