明智十兵衛光秀が金ヶ崎の戦いの殿(退却戦)を成功させた秘訣は?
明智十兵衛光秀は、金ヶ崎の戦いの殿(退却戦)を成功させました。
どのようにしたのでしょうか?
★金ヶ崎の戦い(退却戦)
織田信長は、国力を大きくするため、日本海有数の貿易港を領地に持つ、朝倉家がほしかったのです。
なんとか朝倉家と戦争を起こし、やっつけて領土を自分のモノにしたい!
そこで、「将軍へ拝謁するために上洛せよ!」と朝倉家に文を送り、上洛しないところを狙って大義名分の有る戦争をふっかけることに成功します。
織田軍は連戦連勝で、もう一歩で朝倉家の本拠地、一乗谷城まで攻め込みますが、親戚関係の有る浅井家が織田を裏切り、織田軍の背後から攻め込
んでくるので、そこから撤退する必死の戦いのことです。
その撤退時に敵からの攻撃を防ぐ役目を明智十兵衛と木下藤吉郎が受け持つのです。
これを「センゴク」という漫画から、紐解いてみたいと思います。
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同じ殿を任された明智軍と木下軍!主導権はどちらに?
木下隊の下につく明智隊
明智光秀は、死にかけの部下にトドメを容赦なく刺し、木下軍に魅せつけます。
明智軍は木下軍のように生ぬるくは無いぞと!明智軍が当然主導権をと言わんばかりに。
空気が明智に流れようとしたところ、木下の部下、仙石久秀が「何の真似じゃそりゃ!」と。
そして一転、「明智様のやり方をやってみます」と明智軍と共に戦う姿勢を見せます。
明智は木下たちを、「馬鹿だが自分たちより強い生命力を感じる」と認めます。
そこですかさず木下藤吉郎が「俺の下につけや!光秀」と。
空気を作った明智も「仰せのままに、木下殿」といい合いの手を。
男と男の間髪入れぬ主導権争いは、木下藤吉郎が取ることで同意が出来ました。
すごい、なんか、良い!
明智の作戦「殺し間」
上手く合流出来た明智、木下の2隊は、明智の戦法「殺し間」を採用することにしました。
追ってくる朝倉軍を、この明智必殺の戦法で殲滅し、逃げ切ろうとの作戦です。
そのために囮が必要。
明智が囮に指名したのは、仙石秀久。まさに合流のきっかけを作り、明智のやり方をやると宣言した木下藤吉郎部下、仙石秀久でした。
作戦実行
鬼の形相で篝火の横で陣太鼓を一人叩く仙石秀久。
「ドン!ドン!ドン!」
陣太鼓の音につられて本隊がいるものと思い込みおびき寄せられる朝倉軍。
「一人しかいない!」
と気づいたときにはすでに時遅く、深く入り込んだ朝倉軍は、両脇から斜めに発射される
明智軍の火縄銃の弾丸にことごとく殲滅せしめられます。
この両脇からの弾丸の交差する場所、これこそ「殺しの間」。
恐ろしい戦法です。
「殺しの間」の成功
追手の朝倉軍の先駆け隊を殲滅したことで、木下、明智両軍は、織田信長を無事に京都に撤退させることに成功します。
木下、明智軍も無事にそれぞれ347名、60名と、多くの死傷者、逃亡者を出しながらも撤退することが出来たのです。
奇跡の撤退劇でした!
まとめ
明智と木下、2隊上手く合流出来た。これがまずひとつの勝因でしょう。
そして、囮の役目を仙石がきっちりと果たし、明智の鉄砲隊の正確さで朝倉軍の追ってから見事撤退することが出来ました。
男たちの、プライドを上手く越えた場所でタッグを組んだ作戦が大成功したのです!
この後、裏切った浅井長政は、、、。怖くて想像出来ません、、、・