「さっ!シュッ!ピョーーーーン!」
身のこなしが身上の忍者の中でも、トップクラスの跳躍術を持つ忍者が
唐沢玄蕃(からさわげんば)でしょう!
信濃(長野)の戦国武将・真田昌幸に仕えた忍者です。
特に人並み外れた跳躍術で有名な真田流忍者の一人です!
今回は、唐沢玄蕃の跳躍術である「飛び六法」がどれほどの跳躍なのか?
忍者としての実績、逸話にはどのような物があるのか?
忍者の世界を垣間見てみましょう!
唐沢玄蕃(からさわげんば)とは?
はじめは上杉謙信方の城であった、岩櫃城(群馬県吾妻郡)の城主斉藤憲広の一族の唐沢杢之助(初代唐沢玄蕃)のもと生まれたのが、二代目唐沢玄蕃でした。
今回ご紹介する、跳躍術が長けていたのがこの二代目唐沢玄蕃でした。
幼名は「於猿」と言い、小さい頃から名前のごとく、身のこなしは優れていたのでしょう!
小さい頃から修験場で修行していて、もともと才能があったのか、「忍び名人」と呼ばれるほど、
忍術に長けていた忍者でした。
特に、跳躍術は飛び抜けていて、火薬術もなかなか優れていたようです。
後に、岩櫃城は武田軍に属していた武将、真田幸隆・昌幸の手により落城し、そのまま唐沢玄蕃も
真田幸隆・昌幸のもとに仕えることになるのです。
ちなみに忍者の頭領は出浦盛清でした!
参照記事:出浦盛清は真田・武田家に仕えた伝説の実在した忍者!厳しい統率者
ここに、真田忍者「唐沢玄蕃」が誕生します!
それでは、唐沢玄蕃の代名詞である忍法「飛び六法」の中身を見てみたいと思います。
中身を知ると驚愕ですよ!
早速見てみましょう!
「飛び六法」とは?脅威の跳躍力!世界記録級!
信濃の山奥で、木々の中を飛び回りながら、相当な修行のもと、磨き上げた技術でした。
忍法「飛び六法」の凄さ、どのようなものだったのか?
6つの凄さがあります!
①『上』助走もせず中腰になった膝をすっと伸ばしただけで、六尺の高さを跳ぶ!
(六尺=1.8メートル!)(ちなみに世界記録は1.29メートル)
②『前』利き足から踏み出す幅跳びは、十二尺を飛び越える!
(十二尺=3.6メートル!)(ちなみに世界記録は3.47メートル)
③④⑤『左・右・後』左右と後方へは、九尺を跳ぶ!
(九尺=2.7メートル!)
⑥『下』高さ四十尺の高さから楽々と着地の音も立てずに飛び降りた!
(四十尺=12メートル!)(ちなみに清水寺の舞台から地上まで13メートル)
要するに、「上下前後左右」の6方面に対しての跳躍力とその質が半端ないってことです!
唐沢玄蕃の脚を見てみたいものです。
相当いい感じの筋肉がついていたんでしょうね!
そんな超越した技術を身に着けた唐沢玄蕃が城を攻略した逸話があるので見てみましょう!
尻高城(群馬県吾妻郡)を焼き落とす!
上司の真田昌幸がなかなか攻め落とせなかった城が有りました。
そこで、「もうこれは唐沢玄蕃の跳躍力と、火薬術を使うしかないだろう!」
ということで、白羽の矢が唐沢玄蕃に当たったのです。
早速、仲間の忍者の割田新兵衛と共に、得意の跳躍術で城に侵入することにまず成功します。
そして、火薬を使った火術で、城のあちこちに火を放ち、城内の敵を大いに撹乱し、
悠々と城を後にしたと言います。
真田昌幸軍がなかなか落とせなかった城を、いとも容易く抜くとはやはり只者ではない!
忍者の力凄まじき!
金の馬鎧を持ち帰る!
もう一つ逸話を!
尻高城攻略の後、中山城にも真田昌幸の命令で、唐沢玄蕃は忍び込みます。
同じように焼き落とす事が目的でした。
と、その前に偵察です。
今回は、尻高城よりも守りの固い城でしたが、得意の跳躍術を使い、城壁を登り、
城の中にまんまと侵入することに成功します。
偵察していると、城主の中山安芸守は酒宴の最中でした。
そこでの余興、100回打ってやっと1回音が鳴ると言われる
ヘッタクソな鼓を頑張って叩いていました。
ああ、中山さん、センスが無かったのですかね?
一部始終を偵察していた唐沢玄蕃は、これなら敵汲みやすし、と思ったんじゃないでしょうかね?
ともあれ、酒宴も終わり、夜も更け、火薬術でまたしても火を放ち城内を混乱に陥れようと
納戸に入るため、見張りの兵士の息遣いに合わせながら呼吸して、バレないように上手く忍び込みました。
すると、立派な金の馬鎧を見つけるのです。
(中山安房守が関東管領(関東を管轄する役職)からもらった物)
唐沢玄蕃、「これは、鼓もたたけない中山殿には不釣り合いでしょう」と
火をつける代わりにこの立派な馬の防具を盗んで帰りました。
任務を果たさずに大丈夫だったのかな?とも思いますが、
その後、生きているので、許されたんでしょう。
後年、唐沢玄蕃は
この立派な馬の防具を着けて戦場に出て、大いに目立ち、武田信玄にその名前を知ってもらったと言います。
良かったですね!
最後に
跳躍と火薬の術に長じた真田忍者、唐沢玄蕃は、忍者としての仕事を得意の飛び六法で
確実にこなしていきました。
金の防具を盗んだことは、ちょっとご愛嬌なのかも知れませんが?
後年は関ケ原の戦いにも、真田昌幸の長男、信之のもと、東軍として参加しております。
その跳躍力、今も生きていて陸上競技でオリンピックを目指したら、
金メダルを狙えるかも?