Pocket

戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けする

ブログへお越しくださいまして誠にありがとうございます!

スポンサーリンク

慶長5年(1600年)の9月15日、関ケ原の戦いがおきました!

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

早朝にはじまった戦いも6,7時間で昼過ぎには本戦は終わり、

西軍は敗走し、東軍はそれを追いかけて行く戦いにかわります。

 

西軍の中心メンバー、石田三成公はまだ傷ついた体を癒やしている最中でしょう!

 

宇喜多秀家公や明石全登公たちは必死に逃げている最中でしょうし、

 

佐和山城の石田家の家臣たちは、必死に攻防している最中でしょう!

 

1600年の短いようで長い一日がこうして終わっていきます、、、。

 

でも、関ケ原が起こった日、慶長5年(1600年)の9月15日ですが、

これは旧暦の話といいますよね。

 

では新暦で言うと、慶長5年(1600年)の10月21日なんですよね!

 

これはどっちが正しいのか?

 

よく分かりません!

 

この旧暦と新暦のずれを知りたい!と思い立ちました!

なぜ2つの歴があり、どこからが新暦で、どこまでが旧暦なのか?気になった次第であります!

 

あと、もうひとつ気になった点がありまして。

 

もし新暦で見た場合、関ケ原の戦いの日はなんと!私の誕生日と一緒なのです!

(10月21日!)

なので、これは、「俺の誕生日に関ケ原の戦いがあったんだぜ!」と言えるものなのかどうか?

 

このへんをはっきりさせたかったのです!

 

では調べていきましょう!

 

暦とは?

暦とは、時間の流れを、年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたものです。

「こよみ」の語源は、江戸時代の国学者、谷川士清(たにかわ ことすが)の「和訓栞」(わくんのしおり)(日本初の五十音順に配列された国語辞典)に出てくる「日読み」(かよみ)からきていると言われています。

 

ちなみに「日」は「ふつか」「みっか」などというように、「ひ」の交代形で「」と読み、

「よみ」すなわち「読み」は、「数える」を意味し、「日読み」で「日を追って数える」を意味します。

 

変換をまとめると、「日読み」→「かよみ」→「こよみ」となっていったようです。

 

漢字は「屋内で整然と稲をつらねる上部の象形と、下部の「太陽」の象形から、

日の経過を整然と順序立てる事」を意味したところから来ています!

スポンサードリンク

3つの暦について

暦を大きく分けると、「太陽暦」「太陰暦」「太陰太陽暦」の3つに分けられます!

それぞれ簡単にご説明して行きます!

 

 

太陰暦

月のイラスト

太陰暦は、月の満ち欠けの周期を元に作られた暦です!

 

月の満ち欠けと、太陽の動きは関係が無いので、季節としてはどんどんズレが生じてしまいます。

 

現在では、潮の干潮情報が重要な、漁師さんなどが使用しているようです。

 

太陰太陽暦

太陰太陽暦は、月の満ち欠けと太陽の運行を組み合わせた暦です!

 

太陰暦のズレを解消するために「閏月」が導入されました。

 

ざっくり言いますと、3年に一度、1年を13か月にして暦のずれを解消させていたようです。

 

日本で飛鳥時代以来明治時代の途中まで使われていいた暦です。

 

太陰太陽暦を「旧暦」と呼びます!

 

戦国時代の関ケ原の戦いの時は、この太陰太陽暦が採用されていたのですね!!

 

太陽暦

太陽のイラスト

太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた暦です。

 

世界公式基準で、現在は一番ズレの少ないグレゴリオ暦を日本では採用されています。

 

これは、今現在使われている、「新暦」です!

 

日本の暦が旧暦から新暦に替わったのはいつ?

日本では、1873年(明治5年)12月2日までは太陰太陽暦(旧暦)で、

翌日より太陽暦(新暦)に移行しています

 

すなわち、太陰太陽暦(旧暦)1873年(明治5年)12月3日は、

太陽暦(新暦)になおすと、1873年(明治6年)1月1日となります。

 

では関ケ原の戦いがあった日を新暦で言ってもいいのか?

 

暦は分かりましたし、関ケ原の戦いのときに採用されていた旧暦のことも分かりました。

 

さて、結局、関ケ原の戦いの日は新暦で言っていい?でしょうか?

 

これは、難しい問題ですね!

 

関ケ原の戦い当時、日本では旧暦が採用されていたので、「やはり旧暦かな?」

とも思いますし、でも、世界基準で当てはめた場合、「正しいのは新暦だし!」

とも思います。

 

関ケ原の戦いの説明などは基本的に旧暦が載っていて、括弧して新暦が載っていたりします。

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代慶長5年9月15日西暦1600年10月21日

引用https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

ううう!ウイキペディアもこうです。

映画「関ケ原」の公式サイトも同じ表現でした!

世の中は、やはり旧暦がメインなのですね!

 

そういうことにしましょう!

 

でも、私の心の中では、10月21日をもう一度「関ケ原の戦い」があった日という事で

捉えたいと思います!!!

 

まとめ

暦は「日読み」が語源で、三種類の暦が大きく分けてありました。

 

そのうち、旧暦は太陰太陽暦、新暦は太陽暦といい、日本では1873年に

旧暦から新暦に移行し現在に至ります。

 

関ヶ原の戦いは、当時の暦を採用すると、旧暦(太陰太陽暦)9月15日です。

しかし、今の季節の暦に合わせると新暦(太陽暦)10月21日でした。

 

様々ある関ケ原の紹介の記事などは基本的に旧暦で載っていますので、やはり旧暦が

メインで採用されていることは認めつつ、私の中では、新暦を心のなかで、採用して、

俺の誕生日に関ケ原の戦いがあったんだぜ!」と言いたいと思います!!