戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けする、

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映画「関ケ原」の中で、豊臣秀吉公が各大名を集め、

豊臣秀次公の自害について報告される場面がありました。

 

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

 

そんな公式の場所に徳川家康公は、公式の場で着る服装で行きませんでした。

 

そんな徳川家康公の姿をみて、石田三成公は、呆れている場面があります。

余程、三成公は家康公が嫌いなんだなって感じられる場面であったりします!

 

そんな映画の場面を見て、戦国武将たちの服装について気になってきました。

公式の場合の服装は?

普段の服装は?

 

早速調べてみましょう!

戦国武将の服装

普段着とビジカジ(小袖肩衣

 

石田三成

小袖

小袖はもともと肌着、つまり下着として平安時代までは使用されていました。

それが、鎌倉時代になると上着として使用されて、その後、戦国時代になると

丈が長くなったり、装飾が施されるようになったりしました。

平時の衣装として重宝されていました。

肩衣

肩衣は、文字通り「肩までの衣」という意味で、袖のない着物です。

小袖と組み合わせて着ます。

これは、今風に言うと、「ビジネス・カジュアル」って感じです。

仕事着でもあるけど、そこまでカチッとしていない服装って感じです。

江戸時代の「(かみしも)」につながる着物です。

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公式の服装

直垂

直垂(ひたたれ)は襟が垂直に縫い付けられている着物のことです。

戦国時代では、礼服としてみなされるようになります。

今でいう「スーツ」にあたる着物ですね!

要するに「正装」です!

大紋直垂

直垂の中でも、大紋直垂は、大きな家紋を染め抜いたもので、

戦国時代の武士の正装としては最上に位置しました。

今で言うと、高級ブランドの「スーツ」って感じですね!

天下の殿様の御前に出るときはこの格好でしょう!

素襖直垂

大紋よりも略式で家紋も小さく染められています。

大紋直垂に継ぐ礼服と言えます。

今で言うと一般的な「スーツ」って感じですかね!

束帯

公家の正装です。が、武士も肖像画を描かせるときなどは、

貴重な機会ということで、この公家の正装を着ることも多かったようです。

まとめ

戦国時代の普段着は「小袖」でビジネスカジュアルとなると小袖に肩衣を

合わせて着ていくようになります。

 

公式の礼服、正装となってくると、「直垂」で、そのうち格式が高いものを

「大紋直垂」。略式のものを「素襖直垂」と読んでいます。

 

 

さらに、肖像画をかいてもらうときは、公家の正装、「束帯」だったります!