大河ドラマ「西郷どん」始まりました!
引用:Wikipedia
西郷隆盛の人生を庶民的な目線で、女性的な目線で、描いていくドラマです。
早速一話が始まり、何度も繰り返しみちゃいました。
本当にエネルギッシュで、弾ける演技、画面越しに演者の魂が伝わるドラマになっています。
まだ観られていない方は再放送や動画でも見ることが出来ますので、次回からでも良いので
見てみてください。
見逃した場合でも、動画や私の記事を読んでいただければ大体はわかるようになっていますので
是非ご覧くださいね。⬇
大河ドラマ「西郷どん」まとめ記事
より色んな情報を取り揃えました。
下の記事も是非ご覧くださいね⬇⬇
大河ドラマ・西郷どん(せごどん)のネタバレまとめ!西郷隆盛は~
さて、今回は、鈴木亮平さん演じる西郷隆盛を、色んな歴史上の6人の偉人がどのように西郷どんをみて
評価したのか?まとめてみました。
実際に見た人の意見がやはり正しいですよね。
それでは見てみましょう。
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トップバッターは島津斉彬さんです。
島津斉彬(しまずなりあきら)
引用:Wikipedia
薩摩藩の藩主として西郷隆盛の上司として師として西郷隆盛を導いた人物です。
優れたリーダーシップで薩摩藩を雄藩に押し上げ、幕末の中央政界で活躍した人物でもあります。
そんな島津斉彬が評価した言葉は?
「身分は低く、才智は私のほうが遥かに上である。しかし、天性の大仁者(だいじんしゃ)である」
✰大仁者ってところが言い得て妙です。斉彬も西郷の計り知れない器、懐の深さをひしひしと感じていたのでしょうね。
仁者としてはずば抜けているってことですね。なるほどなるほど。
それでは2人目見てみましょう。
坂本龍馬さんです!
坂本龍馬(さかもとりょうま)
引用;Wikipedia
神戸の海軍操練所が閉鎖になった折には薩摩藩にお世話になったことも。
妻お龍との新婚旅行は鹿児島を西郷の案内のもと訪れています。
薩長同盟では、とてもお世話になった人物です。
そんな坂本龍馬さんが評価した言葉は?
「少し叩けば少し響き 大きく叩けば大きく響く」
✰利用の仕方によって重要な役割を果たすと評価しました。逆を言えば、誰も叩かなければ利用価値のない強大な釣り鐘に過ぎないということを示唆しました。
だから、薩長同盟では思いっきり西郷を動かし、奇跡の同盟を成功させるに至ったのでしょう。
西郷隆盛という人を大きく叩く人がいなければならないというわけでしょう。なるほどなるほど。
それでは3人目行ってみましょう
勝海舟さんです
勝海舟(かつかいしゅう)
引用:Wikipedia
勝海舟の新政権構想を聞き、西郷隆盛は感服。知略優れた人物と絶賛します。
江戸城無血開城では勝海舟と西郷との交渉の賜物でした。
そんな勝海舟さんが評価した言葉は?
「識見、議論では西郷に負けぬが、天下の大事を決する人物はかの西郷である」
✰斉彬の評価に少し近いですが、決断力、行動力、突破力、実行力など、実際に動いて、事を成してしまうパワーを勝海舟は
評価しています。実際明治維新が成し遂げたられたのは西郷隆盛のパワーがなければなり得なかったものです。
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そして4人目は、木戸孝允(桂小五郎)さんです
木戸孝允(きどたかよし)
引用:Wikipedia
長州代表として薩摩代表の西郷隆盛とは反目し合ったり、薩長同盟で手を結んだりと、切っても切れない関係になります。
しかし、明治6年の政変では、完全に対立関係に。修復不可能となってしまいます。そして自身ストレスで脳に障害を負ってしまいます。
そんな木戸孝允さんが評価した言葉は?
「忠実、寡欲、果断な男ではあるが、大局を見られないのが欠点だ」
✰人物や能力は評価する一方で、全体像を見れないと結論付けています。木戸は下関で西郷にすっぽかされ、薩長同盟もはじめは西郷のプライドで話が進まず、明治新政府では、長州閥の排除に加担する西郷と完全に溝ができてしまうのでした。そんな彼なので、評価も欠点で終わっています。評価に値するところもあるが、結局駄目だ、と言わんばかりです。感情も若干入っているでしょう。仕方ありません。
そして5人目は板垣退助さんです
板垣退助(いたがきたいすけ)
引用:Wikipedia
土佐藩の首脳として薩土盟約を結んだ事などから西郷と関わりを持ちます。明治新政府では、征韓論で同じ考えを示しその同調します。その後の西南戦争では、西郷と共に挙兵することも検討するのですが、結果的には自重することを選択します。
そんな板垣退助さんが評価した言葉は?
「維新の三傑と並べていうが、木戸や大久保とはまるで算盤のケタが違う」
✰板垣は西郷を手っぱなしで褒め称えました。器の大きさの事を言ったのでしょう。もはや人間のレベルを超えている領域に達しているのではないでしょうか?その高評価は最後まで続きました。
そして最後6人目は山県有朋さんです
山県有朋(やまがたありとも)
長州藩の山県も西郷に対して最後まで敬愛の念を持ち続けた一人でした。財界との癒着を指摘され、西郷から絶縁されても、西南戦争が勃発しても西郷への想いは変わりませんでした。西南戦争では止戦の手紙を送り続けました。また山県は、自らは人徳が欠けることを自覚していて、実務を自分が担当し、西郷がトップとして君臨する体制を理想としていました。
「気宇闊達、千万人の大軍を統率して能く平然たるべき天成の大英雄」
✰まさに役割分担、適材適所。西郷がトップにいてくれるだけでものすご~く安心感があるのは何でしょう?
千万人だろうが、すべての兵士の士気を挙げられるパワーを持っています。
山県の理想のように、西郷がトップに立ち、周りを山県達実務派が固めたら、どんな明治政府になっていたでしょうね?
ちょっと興味あります。
最後に
総評すると、とっても大きな器の持ち主だったことは間違いありませんね。
とにかく大きすぎるので、それをうまく使える人が必要ですし、周りで議論、実務、などをこなしてくれる人がいることが必須です。
明治維新までは、叩く人には斉彬、坂本龍馬がいました。明治維新では、、ちょっと見当たらないですね。
実務は多くいましたね。
うまく使える人が明治維新も生きていたら、また違った選択肢を選んでいたのかも?