大奥とは、江戸時代、将軍の御台所(正室、奥様)、子女、側室、側室候補、お世話役、などが住んでいた場所の事をいいます。

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大奥に住む将軍の妻たる人の元に、将軍が通い、お世継ぎをつくる事が最大の目的です。

広さ6000坪(東京ドーム2個分)で部屋数600,経費160万、働いている人1000人以上のかなり大規模な組織でした。

現代からすると、無駄なことのように見えますが、当時、将軍を繋いでいくことはとっても超重要なことでした。

そんな、日本の将来を左右する可能性がある、大奥の組織を切り盛りできる人は、そんじょそこらの人ではまとめられませんでした。超個性的な人たちがトップに君臨していました。

今回は、そんな超個性的な大奥トップの方たちにスポットライトをあてて見たいと思います。

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大奥奥女中御年寄の事件

御年寄とは、大奥の実質的(御台所を除く)な最高権力者のことです。

大奥の全ての事を差配することが出来ました。

例えるなら、

江戸の政治で言えば「老中」。

現代政治でいえば「総理大臣」。

会社で言えば「社長」です。

ってくらい権力がある人なのです。

そんな権力があった、代表的な御年寄の方々を見ていきましょう。

代表的な御年寄

絵島(えしま)

絵島は、7代将軍家継の生母、月光院に仕える御年寄でした。

主人の名代として、前将軍家宣の墓参りに、上野寛永寺と僧上寺へ赴きました。

その帰り、芝居小屋、山村座で歌舞伎役者生島新五郎の芝居を見、その後あろうことか生島達を

招いて宴会をはじめてしまったのでした。

早めに切り上げて帰ればよかったのですが、宴会が長引き、大奥の門限(午後4時頃)を過ぎてし

まったのです。

結局奥の中に入れず、その騒ぎが広まり、評定所の審査により、絵島は遠島。山村座は廃座。江

戸中の芝居小屋は夕刻の営業禁止。などなど、関係者1400人が罰せられた大事件に発展してしま

ったのでした。

※閑話休題

将軍家斉時代、大奥の女中とお寺の住職が寺で密会していた事がバレる事件がありました。

延命院事件と呼ばれるものです。

この寺の住職、日道は、歌舞伎役者、初代尾上菊五郎の息子で、かなりの男前だったようです。

(歌舞伎役者はモテますね。ちなみに大河ドラマ「西郷どん」に出てくる清水寺の住職月照役は、尾上菊五郎の子孫の5代目尾上菊之助さんです。これも何かの奇遇?)

男子禁制の大奥にいる女中たちは、唯一外出出来る理由である墓参りを口実に、お寺に行きこの

男前と密会を重ねていました。

結局全てバレ、日道は死罪。女中たちは大奥を追われました。

大奥のシステムに人間の本能としての制御に限界があったともいえるかもしれません。

 

 

瀧山(たきやま)

瀧山は、13代将軍家定、14代将軍家茂、15代将軍慶喜時代に御年寄を務めました。

大政奉還時には、最後の締めくくりを行った、大奥最後の御年寄です。

瀧山はきちんとした人で、家茂の生母実成院が酒癖が悪く、乱痴気騒ぎを起こしていると、風紀

を乱すという理由で、再三注意します。

しかし実成院は聞く耳持たずで、言うことを全く聞かない。

なんてこともあったようです。

瀧山の努力虚しく、、。苦労したでしょうね。

 

幾島(いくしま)

薩摩藩士の娘で、篤姫付きの御年寄として活躍しました。

今度の大河ドラマ「西郷どん」では、南野陽子が演じることが決まっています。

一橋慶喜を支持し、江戸城無血開城の達成のため、篤姫の使者として西郷隆盛と交渉し、見事交渉を成功させています。

凄腕のおばさまです!

 

以上、ここまでは、御年寄を観てきました。

実はこの御年寄のもう一つ上の階級があるのです。

それが「上臈御年寄」という階級です。

これは、大奥女中の名誉職みたいなもので、御台所の相談役みたいな位置づけですが、階級としては最上級に位置します。

会社でいう、「会長」ですね。

京都の公家の女中さんがなることが多く、お飾り的な役職ではあるのですが、中には超権力を持ってしまった方もいました。

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権力を持った上臈御年寄

では見てみましょう。

綱吉時代の右衛門佐局(うえもんさつぼね)

元々、霊元天皇のもとで仕えていて、宮中随一の才女として名が知られていました。

その後、鷹司房子の推薦で、大奥に入ると、大奥の総取締役を担いました。

その権力を用いて、

公家の娘を綱吉の側室として迎え入れることに奔走したのでした。

権力を誇示するためには、自分の知ったものを大奥に取り込むことが第一条件でした。

綱吉、家宣と家継時代の豊原(とよはら)

豊原は、10代にして、天皇に仕える掌侍(ないしのじょう)の4人のうち首席を勤めるほど優秀でした。

やはり優秀な人でないと、大奥のトップは務まりません!

その後、右衛門佐局の後継者として大奥に入り、3人の将軍の上臈御年寄を勤めました。

君臨しますねえ。

その間、自分の姪っ子を大奥に入れ、上級女中ににしたりと権力を示し続けました。

やはり、身内を取り込むのが権力維持には必要でした。

家治と家斉時代の高岳(たかだけ)

高岳は、明和期に大奥の筆頭上臈になり、権力をもちました。

仙台藩主伊達重村が官位昇進の実現のため、賄賂を高岳に贈った事もあるようです。

その賄賂とは、高岳の家の増築でした。悪ですね!

こういった賄賂が横行していたのも、この頃の特徴でしょう。

家慶時代の姉小路(あねこうじ)

家慶時代の上臈御年寄、姉小路は、大奥だけでなく、表の人事にもガンガン口を出していた人でした。

大名家の養子縁組、婚姻などの斡旋の、大名から大奥への窓口になっていました。

その為、姉小路の部屋には、金銀が入れられた菓子折り(賄賂)が積まれていたといいます。

権力の悪用です。逆に言えばやり手かもしれません。

さらに、姉小路が食べていた天ぷらが原因で、本丸御殿が火事になり全焼、数百人の死者が出

てしまうという大惨事を引き起こします。意外とおっちょこちょい?

しかも、その原因を他の人になすりつけるという有様。ひどすぎます。それはやっては駄目でしょう。

一方で、薩摩藩の姫、篤姫を家定の御台所にする交渉をするなどの仕事もしていました。それは

ナイスジョブ!

家定時代の歌橋(うたはし)

家慶の子どもの家定の乳母も努めていた歌橋は、家定の実の母、本寿院よりも権力を持っていた

といいます。

とにかく、家定は人前に出ることを極端に嫌い、挙動も少しおかしく、顔にコンプレックスもあ

り、引きこもり将軍でした。

そんな中、歌橋のみ心を開いたようです。

将軍が心を開いた人というならば、権力も自ずと持ち合わせるでしょう。

家定が死ぬ直前の2年間の御台所は姉小路が交渉し薩摩藩から呼び寄せた姫、篤姫でした。

最後に

様々な、個性的な大奥の権力者達を見てきました。

閉鎖的な世界であるからこそ、逆に色んな個性が生まれたり、事件が起こったりしたのでしょ

うね。

 

歴史って面白いってつくづく感じる今日このごろです!

下は、今回ご紹介した人の簡単な表です。

名前備考
 絵島 絵島生島事件起こした御年寄
 瀧山 大奥最後の御年寄
 幾島 篤姫の教育係だった御年寄
 右衛門佐局 綱吉時代の上臈
 豊原 3将軍の上臈
 高岳 賄賂をもらった上臈
 姉小路 表の人事も口出した上臈
 歌橋 家定の乳母だった上臈