「大博打のはじまりじゃーーー!」
と叫んだ武将と言えば策略の天才、真田昌幸です。
群雄割拠の戦国時代。
生きるか死ぬかの超サバイバル時代。
そんな時代の戦争を勝ち抜くために、
武力だけでは相手の思うつぼ。
相手の出方を読み、的確な策略を仕掛ける!
そして、自軍よりも大勢な敵を粉砕する!
そんな夢のような戦を実現してきた人達が真田昌幸はじめ、
戦国時代にはたくさんいました。
今回、知略、策略で戦国の世を勝ち抜いてきた、戦国武将たち10人を
ランキング方式でご紹介していきたいと思います!
[ad#co-1]
最強戦国武将ランキング知略軍師編
★採点基準
1,軍事的戦略、戦術力
2,家を繁栄に導く先見判断力
3,戦国を生き抜く外交力
4,強い国を作る内政力
5,教養・文化・情報力
※徳川家康、織田信長、豊臣秀吉など、大大名で総大将クラスは除いてランキングしています。
それでは5部門それぞれ行ってみましょう!
1,軍事的戦略、戦術力10人
●島左近・・三成を影で支え、世紀の大合戦、関が原にチャレンジした猛将!
●竹中半兵衛・・「昔楠木、今竹中」と呼ばれた智将!
●真田昌幸・・上田合戦で徳川軍を翻弄し勝利!
●真田幸村・・大阪の陣での真田丸の貢献度多大!
●太田道灌(おおたどうかん)・・扇谷上杉家に幾多の勝利をもたらす!
●立花道雪・・大友家の躍進に多大な影響を及ぼした超重要家老!
●斎藤道三・・油売から戦国大名に知力で成り上がる!
●角隈石州(つのくませきそう)・・大友宗麟に仕えた占いを得意とする軍師!
●朝倉宗滴(あさくらそうてき)・・朝倉家3代に仕え、繁栄に大きな影響を及ぼした家臣!
●島津歳久・・祖父から「始終の利害を察するの知計並び無く」と評されるほどの実力の持ち主!
やはり戦に勝って生き残るには、戦略や戦術が大事だということですね。
次に先を見通し、最適な判断をし続けた武将たちです!
2,家を繁栄に導く先見判断力10人
●本田正信・・家康を「君臣の間、相遭ふこと水魚の如し」で征夷大将軍に!
●宇喜多直家・・主君を追放し、信長に付、戦国大名と成り上がった!
●藤堂高虎・・主君を7人変え、最後は伊予今治20万石の大名になる!
●太原雪斎(たいげんせっさい)・・甲相駿三国同盟を成立させ、今川義元を軍師として支えた!
●毛利元就(もうりもとなり)・・策略に継ぐ策略で、中国地方の覇者となる!3本の矢は有名
●黒田官兵衛・・豊臣秀吉を天下統一に導いた名軍師!
●榊原康政・・時に秀吉や信長とも対等に議論し徳川の地位を保った!
●島津家久・・龍造寺隆信を討ち取り少曽我部信親を討ち取った島津最強智将!
●丹羽長秀・・オールマイティな能力と先見性で信長から秀吉に仕えた!
●真田信之・・父と弟と違う道を歩み徳川に仕えた結果、真田家存続につながる!
判断力や方向性が確かな方たちを選びました。
実際の結果が物語っていると思います。
次に、隣国や敵方への交渉力です。
戦わずして勝つ、などの孫氏が残した兵法を
実際の行動に落とし込んだ方たちです。
3,戦国を生き抜く外交力10人
●山本勘助・・陰陽道を用い、外交力にも長けた武田信玄の軍師!
●鍋島直茂・・仕えた龍造寺家を九州三大勢力になるまでにかなり貢献した!
●片倉景綱・・伊達政宗を支え、存続の危機を持ち前の交渉力で乗り切る!
●板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)・・秀吉に茶を振る舞われるほどの外交力の持ち主!
●安国寺恵瓊(あんこくじえけい)・・大毛利家の外交を担った。備中高松城での秀吉との和睦交渉は有名!
●黒田長政・・関が原での西軍調略は見事!
●小早川隆景・・村上水軍を交渉の上味方につけ、毛利軍の将来を決定づけた勝利をもたらす!
●井伊直政・・関ヶ原後の薩摩藩和平交渉、山内一豊の土佐入援助等、外交能力発揮!
●蜂須賀小六(はちすかころく)・・毛利氏との講和条件による領地境界線交渉で活躍!
●結城晴朝(ゆうきはるとも)・・北条と上杉の大勢力の間で外交力を発揮し生き延びた!
相手があっての戦国時代。
シビアな交渉が繰り広げられたのでしょう。
次に、戦に勝つには、身内がきちんとしていなければ、
やはり足元をすくわれかねません。
そんな内政の仕事をきちんとこなしてきた方たちです!
4,強い国を作る内政力10人
●豊臣秀長・・秀吉を支え、天下統一に貢献した超No.2!
●鬼庭綱元・・若くして伊達家の奉行を務めた超政治官僚!
●浅野長政・・秀吉政権5奉行の筆頭。太閤検地を実施!
●石田三成・・堺奉行、検地奉行として実務力を発揮。秀吉政権を支える!
●村井貞勝・・京都南蛮寺の建設や、京都四条の架橋、京都所司代など行政面で有能!織田家臣
●森蘭丸・・信長の小姓で諸事奉行、加判奉行を務め、非凡な事務力を魅せた!
●大久保長安・・金山、銀山奉行として能力は高し!武田信玄から徳川家康に仕えた
●大谷吉継・・朝鮮の役での兵站業務の能力の高さは超一流。形部として奉行職も務めた!
●直江兼続・・上杉景勝のもと、新田開発、繊維の材料による収益、開墾、など国力の充実振りは随一!
●毛利隆元・・財力を確保する才能を持ち合わせ、国力を高めた!
豊臣秀吉のもとで働いた方が多いようです。
実際、徳川家康が開いた江戸幕府の原型は、
豊臣秀吉時代に定められたことって多いのです。
最後に、文化人であること、学問、歴史をきちんと学んでいたかってところです。
また、優れた書を残した武将も選びました。
5,教養・文化・情報力10人
●宇佐美定満・・越後流軍学の祖でもある上杉四天王のひとり!
●細川幽斎(ほそかわゆうさい)・・和歌,連歌、囲碁、料理、猿楽など、当代一流の文化人!
●細川忠興・・情報収集能力が卓越していて、政権中枢とも手紙でやり取りするほど!
●蒲生氏郷(がもううじさと)・・利休七哲の一人で、茶、歌人、キリシタン、経営者などどれをとっても一流!
●古田織部・・茶の湯を通じて、朝廷、貴族、寺社、経済界とつながりを持ち、大名に多大な影響力を持っていた!
●高山右近・・茶の湯とキリスト教の道に生きた敬虔なクリスチャン!
●前田慶次・・見た目は奇抜な傾奇者だが、連歌、文学、茶の湯に精通する文化人の一面も!
●高坂昌信・・甲陽軍鑑を書き記した美貌の智将。!
●大内義隆・・貿易を背景にした経済力と長門を西の京と呼ばれるほど栄えさせた実力は本物!
●明智光秀・・多くの学問に通じ、和歌や茶の湯も好み、信長の天下布武に多大の貢献をした武将!
[ad#co-1]
さあ、50人出揃いました!
この中から、誰がベスト10に入っていくのでしょうか?
さあ、発表していきましょう!
最強戦国武将知略軍師編ランキングベスト10
第10位 真田昌幸
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
何と言っても、天下の徳川軍を2度も退けた上田の戦いはかなり特筆できる戦です。
昌幸の策なくして、この勝利はありえませんでしたから、すごいです。
そもそも、上田城を家康のお金で作らせたり、計画性は緻密すぎます。
また、国衆をまとめたり、生き残るために寝返りを繰り返したりして、
一歩間違えれば即滅亡って所、ギリギリのラインで助かってきました。
運も強かったのだと思います!
第9位 明智光秀
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
9位は明智光秀です。
織田信長が天下布武を掲げて、実際に畿内地方を制圧することが出来たのは、
この人の手柄がとても大きいです。
教養、外交力、内政力、安定したものを持っております。
ただ惜しかったのは、秀吉のように、信長の感情を上手くコントロール出来なかったところでしょう。
謀略が多すぎて、ひねくれた性格になってしまったのでしょうか?
結果、自分が滅びることになってしまいました。
惜しい!
第8位 豊臣秀長
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
農民出身のこの人の政治的、内政手腕は、ただならぬ才能を感じさせます。
治めにくい土地の領主となっても、法律の整備や、寛大な処置などから上手く治め、
九州征伐では、島津軍と和平交渉を成功させるなど、兄、秀吉の強力なサポートをしています。
52歳で亡くなってから、豊臣政権は一気に崩壊へと突き進みますが、
秀長が生きていたら秀吉に讒言をしながら天下を維持出来ていたのでしょう。
これまた惜しい!
第7位 大谷吉継
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
兵站能力、船奉行、戦争の後方支援での功績は抜群。
他家のお家騒動の仲介役。
関ヶ原での、裏切り込みの戦略作り。
敦賀5万石の城主。
病に冒されながらも数々の仕事をこなしていった智将でした!
第6位 竹中半兵衛
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
天才軍師登場!
若かりし頃から戦術に関してはこの人を置いて右に出るものはいないでしょう。
稲葉山城の乗っ取り、黒田官兵衛の息子を助ける、兵糧攻めを秀吉に授ける、
八幡山城の調略、など、策略をもってそれらをほぼ成功させています。
36歳の若さでなくなってしまったので、もう少し長生きしたら、更に功績がみれたのに
惜しい!スーパー軍師でした。
第5位 小早川隆景
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
毛利元就の3男です。
3本の矢の一人。
特に政治や外交面、水軍の指揮官としてその才能を発揮していました。
大内氏を滅ぼしたり、尼子氏を滅ぼしたり戦争の才能もさることながら、
新たに支配した伊予の国もしっかりと安定して治めることが出来る所、
類まれなる才能を感じさせます。
秀吉を持ってして、「日本の西は隆景に任せれば全て安泰である」、と言わしめています。
最大最高級の褒め言葉ですね!
第4位 直江兼続
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
越後の諸葛亮!
軍師として、政治家として、あらゆる面から主君、上杉景勝を支えました。
越後では、新田開発や、布を京都で売りさばいたりと経済的におおいに繁栄しました。
その後山形米沢でも、鉱山開発、殖産産業と後の上杉鷹山のお手本となる活躍を魅せました。
今でも使える政策としては、リストラはしない!人は財産!とはとても素晴らしい考えを持っていました。
関ヶ原の戦いでは、最上と伊達を従えて、徳川を西の石田三成と挟み撃ちする
壮大な大風呂敷をぶち上げますが、これはさすがに無理でした。
そういう大きなロマンも持ち合わせていた素晴らしい智将です!
第3位 太原雪斎
引用:https://ameblo.jp/777atlantis/entry-10797033047.html
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
今川義元の養育係としてスタート。
その後軍師のような形で、戦にも大将として出陣し、城を落城させたり、
隣国の甲斐の武田信玄、相模の北条との同盟を結び、西へ攻め込む土台を整えるなど、
様々な戦略を成功させています。
僧なので、学識は高く、人質でいた徳川家康も雪斎の教えを受けています。
後の天下人も育てちゃうなんて素晴らしいです!
今川義元も海道一の弓取りと言われていた大名ですから、雪斎の教育方法は、
かなり的を得たものだったのでしょう!
第2位 蒲生氏郷
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
この人は、とにかく多方面に才能を持っていた人です。
幼くして、信長から「婿にする」と目をかけられるあたり、
ただものではありません。
実際の戦争では、次々と軍功を上げていく活躍を魅せました。
また、会津での伊達政宗の抑えとしての役割を、策略により成功させます。
結果、伊達家の44万石分を氏郷はゲットし、92万石まで増やしています。
内政も会津若松城の修築や城下町の整備などを積極的に行い国の強化をしています。
何をやっても結果を出せた氏郷。
唯一残念なのは、40歳で亡くなったこと。
もう少し見たかった!
第1位 黒田官兵衛
引用:Wikipedia
1,戦略戦術力 | |
2,先見判断力 | |
3,外交力 | |
4,内政力 | |
5,教養文化力 | |
総合評価 |
さあ、栄えある智略ランキング1位は、黒田官兵衛でした!
秀吉の元、数々の戦争で戦略、戦術、交渉など腕を振るいました。
とにかく「戦わずして勝つ」事を目指していましたから、戦後は敵の勢力を吸収して、
更に強大になっていくという勝ちパターンを持っていました。
(高松城水攻め、鳥取城兵糧攻め、小田原征伐などなど)
官兵衛は主要な秀吉の戦いには参加しており、天下統一にかなり貢献しました!
大阪城の縄張りも官兵衛が行い、戦争にも対応出来、都市機能もある、そんな欲張りな
城、城下町づくりに取り組んでいたりしています。
また家臣、領民への信頼関係を重視し、強固な家臣団(黒田24騎)を形成したことも素晴らしい業績です。
死角が見当たらない黒田勘兵衛。
最強知略軍師に相応しいですね!
まとめ
今回は、知略に優れている戦国武将をランキングしてみました。
最強の知略軍師は黒田官兵衛になりましたが、
本当に最強だと思います。
賢いって、今も昔も重宝されるのです。
しかし、賢いだけでなく、人望もついてくる人が、やはり後世に名を残していくのですね!
関連記事
戦闘タイプ、剣豪タイプなどの武将のランキングもあります!
よろしければお立ち寄りくださいね