戦国時代をこよなく愛する激務サラリーマン、南昌幸です。
こんにちは!
今回は、サバイバルな戦国時代を生き抜いた武将達の中で、誰が最強の武将だったのか?
ゲームなどで数値化されているものもありますが、今回は、私の独自な視線により、ランキング化してみたいと思います!
戦国の世を生き抜いた私達日本人の祖先に思いを馳せながら、人気戦国武将ランキングベスト10、行ってみましょう!
★審査方法
各項目★5段階で評価。その後総合評価。
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ランキングノミネート武将50人選定方法
まず、星の数ほどいる戦国武将の中から、これは!という武将をピックアップしました。
有名無名問わず、5つの項目に目立つものがあった武将を各項目ごとに10名ずつ合計50人ノミネートさせる方法です。
それでは、まずノミネート武将を50人ご紹介しましょう。
※今回いわゆる大大名の総大将クラス(徳川家康、織田信長、豊臣秀吉、武田信玄クラス)は除いています。
1・武器部門10人
※武器自体が持つ強さ有名度を評価!
・前田利家「大典太光世(おおでんたみつよ)」・・天下5剣の一つ!
・細川忠興「歌仙兼定(かせんかねさだ)」・・手打ちにした人数36人にちなんだ名!
・結城秀康「御手杵(おてぎね)」・・天下3名槍の一つ!
・真柄直隆「太郎太刀(たろうだち)」・・5尺3寸(1.6m)の大太刀!
・蒲生氏郷「会津正宗(あいずまさむね) 」・・天皇に献上!
・母里太兵衛「日本号(にほんごう)」・・福島正則から飲みとった槍!
・前田慶次「 平三角造直槍 (ひらさんかくづくりすぐやり)」・・3m以上ある朱柄の大槍!
・伊達政宗「鞍切景秀(くらきりかげひで)」・・鞍まで斬った刀!
・立花道雪「雷切(らいきり)」・・雷を斬った刀!
・森長可「人間無骨(にんげんむこつ)」・・人間が骨の無いように斬れる槍!
ズラッと並ぶと、かっこいい名前や、強そうな名前が多いですね!
次に、純粋に武将たちの個人の戦闘力についてです。
2・戦闘力部門10人
※戦の実力がある人達です!
・柿崎景家(かきざきかげいえ)・・越後七郡並ぶもの無し!
・伊達成実(だてしげざね)・・「勇武無双」!若き伊達家の猛将!
・雑賀孫一(さいがまごいち)・・戦国最強の鉄砲隊!
・水野勝成(みずのかつしげ)・・宮本武蔵を配下につけ、後藤又兵衛も破った男!
・佐竹義重(さたけよししげ)・・一瞬に7人の敵を斬る「鬼義重」!
・後藤又兵衛(ごとうまたべえ)・・武闘派軍師。大阪の陣での死に様はあっぱれ!
・佐久間盛政(さくまもりまさ)・・「鬼玄蕃」と恐れられた鬼神!
・本多忠勝(ほんだただかつ)・・生涯57戦向う傷無しの武勇!
・馬場信春(ばばのぶはる)・・甲斐の国で「鬼美濃」と呼ばれた一国の太守の器量人!
・九鬼嘉隆(くきよしたか)・・最強水軍の海賊大名!
やはり、相当なメンツが上がってきました!
これは選考が難しいですよ。
次に、勝率や勝った数、勝利の重要度を評価しました。
3・勝負実績部門10人
※結果を残した方たちです!
・長野業政(ながのなりまさ)・・箕輪城での籠城戦で6度武田信玄の侵攻を防いだ名将!
・渡辺勘兵衛(わたなべかんべえ)・・大阪の陣で300人斬り達成!
・島津義弘(しまずよしひろ)・・朝鮮の役では10倍の数の敵を粉砕。関が原の敵中突破は伝説!
・水谷正村(みずたにまさむら)・・結城四天王の一人で負け知らずの猛将!
・甲斐親直(かいちかなお)・・60余戦して不敗の最強坊主!
・可児才蔵(かにさいぞう)・・宝蔵院流槍術奥義を持つ!関ヶ原最多討ち取り数!
・加藤清正(かとうきよまさ)・・国内無敗!虎退治伝説の勇将!
・北条氏康(ほうじょううじやす)・・8倍の数の敵を破る戦国三大奇襲の武将!
・島津家久(しまずいえひさ)・・島津拡大路線を支え、龍造寺隆信を討ち取った名将!
・吉川元春(きっかわもとはる)・・勝率は8割超える。毛利元就の息子で、戦の天才!
結果を残す人イコール強い人という考えかたで見ていきましょう。
とにかく勝たなければ滅びる超サバイバル時代。
勝てる武将は優れた武将であるでしょう!
次に、主君に対して、厚い忠誠心をお持ちの方々です。
4・忠誠心部門10人
※忠義に厚い人物たちです!
・朝倉宗摘(あさくらそうてき)・・朝倉家の武力を強大に成し得たスーパーNo.2!
・山県昌景(やまがたまさかげ)・・武田軍最強の元祖赤備え。武田家を守り続けました!
・真田幸村(さなだゆきむら)・・日本一の兵と呼ばれた戦国最後の名将。豊臣家に捧げました!
・立花宗茂(たちばなむねしげ)・・忠義も武勇も天下無双の戦国武将サラブレット!立花家を継ぎました!
・山中鹿之介(やまなかしかのすけ)・・尼子家の再興に全生涯を捧げた忠義の武将!
・太田道灌(おおたどうかん)・・30戦以上扇谷上杉家の危機を救った将!
・福島正則(ふくしままさのり)・・賤ヶ岳一番槍の武功が光る!豊臣秀吉を崇拝しています!
・井伊直政(いいなおまさ)・・徳川四天王の全身傷だらけの赤鬼!家康の小姓上がり!
・島左近(しまさこん)・・三成の秀吉への想いに命を捧げた文武両道の得がたき将!
・直江兼続(なおえかねつぐ)・・主君景勝を支え、上杉家を守り続けた名将!
皆、各々の家で、かなり重要なポジションにいる人達ばかりですね。
そして、後世まで名を残した人達。
忠義に厚いことは、武将としては必要な生き様でもありますね。
最後に、戦国の世を頭脳で駆け抜けた方たちです!
5,知力謀略部門10人
※名参謀、または謀将として活躍した知力に優れた方々です!
・黒田官兵衛(くろだかんべえ)・・秀吉に天下を取らせた大軍師!
・竹中半兵衛(たけなかはんべえ)・・無血開城の極意を知る天才軍師!
・山本勘介(やまもとかんすけ)・・武田信玄の信濃侵攻を支えたスーパー軍師!
・太原雪斎(たいげんせっさい)・・甲相駿三国同盟をまとめ上げた今川家の名軍師!
・真田昌幸(さなだまさゆき)・・徳川軍を2度も退け、真田家を守り続けた智将!
・本多正信(ほんだまさのぶ)・・徳川家康の天下の裏には正信の謀略あり!
・豊臣秀長(とよとみひでなが)・・秀吉の天下統一を支えた超功労者!
・片倉景綱(かたくらかげつな)・・伊達政宗の側にこの人あり!奥州制覇に無くてはならない人!
・宇喜多直家(うきたなおいえ)・・戦国の世を主君を裏切りながら大名まで上り詰めた中国の三大謀将!
・明智光秀(あけちみつひで)・・計略と策謀の達人。本能寺の変はその最たるもの!
賢そうな方と、ずる賢そうな方が揃いましたね。
この方達がいなければ、きっと未だに日本は混乱しているでしょう。
確実なアドバイスは、絶対です!
さて、役者は出揃いました!
この中から、戦国武将ランキング、最強を決めて行きます!
決め方は、5つの項目を判定して、総合的にランキングを決めました!
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戦国武将ランキング!最強武将は?
それではまず第10位からです!
ジャカジャカジャン!
第10位 柿崎景家
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
上杉謙信に仕えた猛将。そして初期の筆頭家臣でした。
特筆すべきは、甲斐の虎、武田信玄を第4回川中島の戦いで先鋒を務め、戦国最強武田信玄本隊を壊滅的に追い詰めたことが最大の武勇でしょう。
戦いに出れば常に先鋒隊をつとめ、柿崎景家の名を出すだけで敵が逃げ出すほど恐れられていました。
越後の龍、上杉謙信がが絶大の信頼をおいた七手組大将はその戦闘力で10位ランクインです!
第9位 蒲生氏郷
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
幼少の頃から織田信長に目をかけられ、信長自身の娘を娶らせる約束をするほど
優秀な子供時代。三つ子の魂百までですね。
織田信長の家来として、数々の武功を上げています。
また、秀吉の小田原攻めで夜襲をかけられた際は、逆に相手を単身背後から槍でなぎ倒していったという戦闘力の高さです。
伊達政宗を抑えるために会津に配置されたことも戦争実績による所が大きいでしょう。
所有していた刀は、会津新藤五、鉋切長光、会津正宗、國俊4振りあり、いずれも名刀でした。
文化人としても一流で、茶の湯の最高峰、千利休の弟子、利休七哲の筆頭です。
松阪城や会津若松城の築城者で、敵に攻め込まれないようにかなり工夫がされていた所、知力も相当高いと言えましょう。
関連記事:蒲生氏郷は部下への褒美を風呂で補う!松坂商人生みの親!
第8位 片倉小十郎(景綱)
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
伊達政宗の剣術の師であり、軍師でもありました。
知勇両方を兼ね備えた武将です。
伊達政宗が奥州で覇を唱えることが出来たのも、軍師としての片倉景綱がいたからにほかなりません。
それほど的確なアドバイスを与えていました。
豊臣秀吉から大名の誘いがあっても断るほか、主君の政宗を差し置いて自分の子どもを
持つ訳にはいかないと、子どもを降ろさせようとするほど忠義に厚い人でもありました。
天下に轟く名将と言えるでしょう。
第7位 吉川元春
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
勝率(対戦相手の内容込で)ならこの人の右に出るものはいません。
それほどの戦の天才でした。
毛利元就が拡大した大毛利家を、軍事面で支え続けました。
その勝率は8割を越えます。
尼子氏、大内氏を滅亡に追い込んだ手腕は高く評価すべきところでしょう。
第6位 山中鹿介
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
戦国の楠木正成と言えるほどの忠義者です。
尼子氏の家臣として、一度は滅亡した尼子家を3度も復興させようと行動したその生き様は、江戸時代の教科書に載るほど。
武器は天下5剣の一つ、三日月宗近を所持し(伝説)、普段は長さ264センチの石州大太刀を使用するという
腕力の持ち主。
武力は特に一騎打ちで発揮され、3人の勇将と一騎打ちでいづれも勝利し、生涯66以上の首験をあげる程の実力の持ち主でした。
忠義ナンバー1!
第5位 井伊直政
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
徳川四天王であり、徳川三傑であり、徳川十六神将である井伊直政。
まさに、徳川家康のために生きた人生でした。
小姓の頃から、家康の命を刺客から守るなどの働きをしていました。
武力は、武田軍の赤備えを継承し、「井伊の赤鬼」と恐れられました。
実績も、高天神城、小牧長久手、小田原攻め、関ヶ原などで武功を立てました。
小田原城内まで唯一攻め込んだり、関ヶ原で島津豊久を討ち取ったりと、抜群の働きを魅せました。
徳川家康が幕府を開けた一番の功労者は井伊直政だという記録もあるくらいな人物です!
参照:徳川家康公が井伊直政公を採用!有能な部下に必要な3のポイント!
第4位 加藤清正
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
豊臣秀吉に見出された賤ヶ岳七本槍の一人。
朝鮮の役でもほぼ負けること無く、満州まで攻め込むという実績を残しています。
現地では「鬼上官」と恐れられ、虎退治をした逸話も残されています。
武器は、十文字三日月槍で、片側が折れてからは片鎌槍として使い続けました。
秀吉と家康の両方に忠誠を誓い、それを貫き通しました。
新撰組局長近藤勇も憧れる、戦国武将の鏡ですね。
さあ、ここから、ベスト3です。
比類なき強さを見せてくれます
第3位 山県昌景
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
戦国最強を誇った、武田軍団からは山県昌景がランクイン!
その中でも武田四天王に数えられる猛将。
若き頃は「源四郎(昌景)の赴く所敵なし」と評されました。
信玄の西上作戦では、先鋒としてことごとく三河、遠江の城を落とし、下地を作ることに
成功しています。
強すぎた山県昌景の赤備えは、最強部隊の代名詞となり、勇猛な武将ですら震え上がったと言います。
最後は勝頼の決定に不本意ながら従い、長篠で織田・徳川連合軍の前で壮絶な死を遂げています。
武将としての生き様をココに見ました!
第2位 立花宗茂
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
高橋紹運という風神と恐れられた武将の息子として生まれ、
さらに立花道雪という雷神と恐れられた武将の婿養子となる人物。
実父、養父とも九州で相当名前の知られた武将で、二人の薫陶を受けた
立花宗茂は、厳しく育てられた超サラブレットと言えます。
実際の実力、戦歴も素晴らしく、岩屋城の戦いで実父が島津軍に討たれると、
猛烈に反撃し1000人以上を死傷させたり、
肥後の一揆では伝家の宝刀笈切り兼光を振りかざし
馬上で7人斬り落とし、一騎打ちで相手を倒すなど、鬼神の活躍を魅せました。
秀吉の評価で、「東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双」と褒めたたらえた
勇将です。
70歳を越えてまで戦争に参加していた生涯現役の武将です。
2位、おめでとうございます!
関連記事:立花宗茂は高橋紹運の実子で養父は道雪!西国最強武将だ!
さあそして戦国武将ランキング天下一一位は?
ジャーーーーン!
第1位 本多忠勝
引用:Wikipedia
1,武器 | |
2,戦闘力 | |
3,勝負実績 | |
4,忠誠心 | |
5,知力 | |
総合評価 |
出ました、大トリ、真の武将は本多忠勝です!
名前の由来は「ただかつ!」とにかく勝つために生まれてきた本多忠勝。
徳川四天王の、徳川十六神将・徳川三傑であり、天下3名槍の一つ、蜻蛉切を操る、天下無双の類まれなる猛者です。
徳川軍として惨敗した三方ヶ原の戦いでは、武田最強の山県昌景との戦いを退け、鬼美濃馬場美濃守の猛攻も切り抜け、見事家康の危機を救っています。
そして特筆すべきは、57戦して、戦でついた傷が一つもないことでしょう。
別に逃げ回っているわけでもなく、実際に戦場の前線に出てもいますが、
実力とともに、運も相当強かったのでしょう!
一位に相応しい戦国武将だと思います!
最後に
戦国の世を駆け抜けた武将たちをランキングしてみましたが、どの武将も個性が強く、皆自分の人生を自分のやり方で生きた方たちでした。
その生き方に磨きをかけたからこそ、今もこうして語り継がれる武将として影響を私たちに与えてくれているのだと思います。
そんな武将たちを愛し、そして、私達の人生にプラスになるように良い部分は吸収行ければいいなって思います。
今回はとても楽しかったです!
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