人たらし天下人・豊臣秀吉!
「日本国中がわしの庭じゃ!」
農民出身からどんどん成り上がり、ついには天下統一を果たし、
日本の経済の仕組みを整えた、
豊臣秀吉の言葉を今回は見ていきたいと思います。
人情あふれる言葉を使われていた秀吉ですが、
その中でも今回は、「夢」「金」「信」「敬」「哀」の5つをピックアップしました。
身分的に、最下位から最上位までの視点をすべて見てきた秀吉の経験が詰まった言葉達を
ぜひご堪能くださいませ!
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「夢」夢に近づくために大事な事!
「夢は大きいほど良いというが、わしはすぐ手の届く事を言っている」
私がこの言葉を聞いた時、かなりガツンと来ました。
私はこの言葉を信じて日々の作業を続けていると言っても過言ではありません。
それほどの感銘を受けました!
意味は?
「大きな先にある夢も夢であるが、ちょっと頑張れば叶う事も夢である。
それを叶えることを大事にしている」
夢を実際に叶えた豊臣秀吉だからとっても説得力があります。
一つ一つ出来ることを確実に積み上げて、その先にあるのが目指した夢。
秀吉も、目の前のある課題を乗り越え続けててっぺんにたどり着いたんだなあって
思うと胸が熱くなります!
私も目の前の事をこなしていきます!
「金」金は天下のまわりもの。大いに投資作戦。
「かように年を取って財宝集まり来るをほどこさざれば、慳貪(けんどん)くずれとやらんに遭う由なり」
意味
「このように年を追うごとに財宝が集まるのを、施さないと欲深くて、倒産の憂き目に
遭うかも知れない」
お金を使うことによって、世の中が活性化していき、良き世の中になるのと同時に、
自分も上手くこの社会に生き残る事が出来るようになる!との意味合いが込められています。
大阪が今日経済的に大いに発展しているのは、紛れもなく秀吉のおかげです!
私も、家庭を守る父親として、上手くお金を使っていかなければならないな、と思います。
使う時は使おう!
背景
秀吉が、関白になった後、諸大名に対して「金くばり」という政策をしました。
理由は、「ケチは身を滅ぼす元」という、シンプルな理由でした。
これがまた大盤振る舞いだったのです。
なんと総額金6000枚(6万両、現在の価値で26億円)プラス銀2万5000枚が諸大名に配られました!
さすが天下人!大きなプレゼントですね。
日本の大名がホクホク!(庶民は厳しかったようですが、、、)
もらった大名たち、上手く使ってね!
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「信」上司の命令をかわし、勇気を持って信頼を貫く事!
「汝の身の上においていささか心元なき事侍る、この上は人質に取り、急ぎ退き候へ」
意味は?
「身の上(秀吉の敵である宇留間城主大沢)に、いささか不安な出来事が起こるので、このうえは私(秀吉)を人質にして、退去するがよい」
※不安なこと→信長に殺害されること
※私を人質にして→それを口実にすれば逃げることが出来ると考えた策
背景
秀吉は、得意の調略で、美濃と尾張の境目の領主を味方につけていきました。
宇留間の城主、大沢次郎左衛門もそのうちの一人でした。
しかし、大沢は剛の者だったため、秀吉の上司、織田信長から秀吉に、「大沢を殺害せよ」と命令が降されます。
「これはいかにしたものか?」
なんとか大沢の命を助けたいと考えた秀吉は、自らが人質となりその隙きに逃げるように助言をします。
私が、この言葉を知った時、秀吉を「かっこええ!」って純粋に思えました。
鬼のような上司、織田信長からバレたら殺されるに決まっている状態で、
敵でありながら、同じ戦国を生き抜く大沢を助けるため、信を貫いた秀吉、最高です!
このことで、秀吉の人気は周りの領主からどんどんうなぎのぼりに上がっていったのです。
いかにして味方につけ、その人を生かしていくかっていうお手本ですね。
何をやるにしても人がいなければ出来ませんもの。
人は大事にしましょう!
「敬」たとえ敵だとしても、敬意を払う事!
「筑前守(秀吉)もおのおの(敵の城主清水宗治)ご存分の結構(切腹して開城する決断)深く感じ申す、いささかも相違の儀、あるまじく候。さすが城主、神妙に侍るよし」
意味
「秀吉もおのおの方のご存分に深く感じ入ったので、いささかも相違はありません。
さすが備中高松城主に任ぜられただけの事はあります。
城兵をご哀燐なされるのは、返す返すも立派で優れた考え方であります。」
背景
豊臣秀吉の備中高松城の水攻めで、城主の清水宗治が切腹と引き換えに開城することに決まりました。
(開城することで民衆たちを救うことが出来た)
その際、秀吉が清水宗治に伝えた言葉です。
敵であっても、その行為が筋が通っているものなら、認め、敬意を表する、というのが秀吉流。
このように、敵にも敬意を表せる人間力が、天下をとれた大きな理由のひとつなのでしょう!
他人の事を認めるという行為はなかなかプライドが高い人には難しいかも知れません。
でも、その殻を破った時、新たな景色が見えるのではないでしょうか!
そして、最後の言葉は?
「哀」哀愁に満ちた最後の言葉
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢」
意味
「葉から地面に落ちて消える朝露のように儚い我が身であることよ
自分にゆかり深い難波での在りし日の出来事は、まるで夢のようであった」
一代で農民からのしあがり、日本の天下を統一した秀吉の最期は
儚いものと自ら捉えています。
生前の思い出は、特に自らが建てた難攻不落の名城、大阪城がそびえる難波での
出来事がやはり目に浮かぶのでしょう。
日本中の物産が大阪に集まり、加工されそして全国へ散っていく仕組みは、秀吉ならではの発想でしょう。
しんみりと日本とさよならされました。
まとめ
戦国の世の中、上司織田信長が半ば天下統一を果たしたのを引き継ぎ完成させたのが
豊臣秀吉でした。
しかも、生まれは農民で、そこから成り上がりで、天下統一を果たした、日本の英雄でした。
その秀吉の発した言葉を再度おさらいしてみましょう
1,「夢は大きいほど良いというが、わしはすぐ手の届く事を言っている」
2,「かように年を取って財宝集まり来るをほどこさざれば、慳貪(けんどん)くずれとやらんに遭う由なり」
3,「汝の身の上においていささか心元なき事侍る、この上は人質に取り、急ぎ退き候へ」
4,「筑前守もおのおのご存分の結構深く感じ申す、いささかも相違の儀、あるまじく候。さすが城主、神妙に侍るよし」
5,「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢」
今一度あなたの人生の指針に加えられてはいかがでしょう?
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