「喧嘩・殺害・刃傷・・・」様々な事件が戦国時代には起こりました!

当時の人々はその事件や問題を、どのように解決していたのでしょうか?

 

現在のように裁判があったのでしょうか?

 

それとも、放置されていたのでしょうか?

 

答えは、「はじめは自力救済で徐々に裁判の制度の原型が出来つつあった」です。

 

どういうこと?ってなりますので、今回は、戦国時代の六角という戦国大名が制定した分国法「六角氏式目」を絡めながら、

事件解決方法について紐解いていきたいと思います。

 

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戦国時代はじめの事件解決方法は「自力救済」

戦国時代の事件解決方法は、基本的には「自力救済」でした。

自力救済とは、簡単に言えば、「やられたらやり返す」「敵討ちをする」など、事件を自分の力で解決するやり方のことです。

要するに、奪われた自分の権利は、自力で回復することが求められていました。

 

喧嘩をふっかけられたら、やり返して勝つことで解決を図り、仲間が殺されたら、敵を討つことで問題を解決させるのです。

そこには第三者はいません。当事者で解決するってことです。

 

即実行できる点はメリットでしょう。誰の判断や指図を受けることなく報復することが出来ますから。

 

しかし、これで問題が解決するのでしょうか?

 

答えは、ほぼ「否」です。

 

もちろん解決する場合もあるでしょう。

完膚なきまでに叩きのめしたり、お互いに納得の行く報復なら。

 

しかし、大抵は、泥沼化ですよ。

永遠ループです。

 

やられたらやり返す。やられた側はやり返す。そしてまたやり返す。繰り返しです。

 

これでは問題解決に一向にたどり着きません。

 

第三者による裁判はなかったのでしょうか?

 

いやいやありました。

近江の戦国大名「六角氏」が持つ分国法(法律)に裁判制度を作ろうとした事が示されています。

裁判制度を導入した六角氏とは?(背景)

六角氏は戦国時代には南近江を治めていた戦国大名です。(血筋は源氏の流れをくむ名家です)

場所でいうと安土城がある辺りです。

参照:日本100名城安土城は織田信長が住んでいた!アクセスと周辺施設ご紹介!

 

居城は観音寺城。日本で初めて本格的に石垣を用いた山城として知られています。(経済的には楽市を織田信長に先んじて行っています。結構最先端をいく家でした!)

 

六角氏は室町後期の足利将軍を支援するなど、中央政局に影響を持っていましたが、

やがて、家臣から反目を浴び(観音寺騒動)、国力が低下し、最終的には織田信長によって滅ぼされるという運命をたどってしまう悲劇の大名です。

 

※観音寺騒動とは?

六角氏が家臣から反目を浴びた理由は、正当な理由なく、重臣を殺害してしまったことです。

それに怒った家臣たちが六角氏の居城観音寺城を攻め、当主六角氏は城を逃げ、城は家臣たちの手によって焼失してしまうのです。

その後、六角氏と家臣は仲直りをしますが、その領主としての権威は著しく低下してしまいました

 

 

でも、六角氏は、家臣から反目を浴びながらも、国を支配していかなければなりません。

 

そこで、家臣(蒲生定秀たち)からの起草により、「六角氏式目」という分国法(法律)を家臣承認の元、制定したのです。

 

六角さん、責任逃れしないで良かったです!でも家臣からの起草ってことで、家臣に領主が縛られるっていう側面もありましたので、

ちょっと領主としては、やりづらかったのではなかろうか?

 

プライド的には厳しい部分もありますよね、きっと!

 

その「六角氏式目」の中に裁判を定義している一条がありました。

 

それはこうです。

たとえ父が殺され子が殺されても、我慢し、六角氏に訴え出るように。六角氏はその罪に基づいて速やかに処罰をくださなければならない。

訴え出ることをせずに、報復におよび武装をして攻めかかるなど、法に背くものは、たとえ被害者だとしても問答無用で処罰される

 

とあります。

 

六角氏を調停人として裁きを受けるように明記しているのです!

これが裁判制度につながる重要な条文でした。

 

罰則が書いていないのでどれほどの効果があったのかは不明ですが、殿様が裁くということに意義がありました!

 

 

では、その裁判を起こすのにいくら位かかったのでしょう?(裁判費用・訴訟銭)

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戦国時代の裁判費用はいくら?

結構高かったのではないでしょうか?

 

調べてみました。

 

「原告・被告双方が訴状に添えて、1貫200文ずつ奉行所に提出する」とあります。

 

※現在の価値では、1貫が15万円位で、200文が3万円くらいですので、合わせて18万円!!

そこそこ高いですね!

 

参照:戦国時代の貨幣を現代の価値に直して見ました!

 

でもこの位の高目の値段にしたほうが、裁判を連発しなくなるというメリットがありました。

 

さらに、「御裁決があり、正否が確定した場合、敗訴した者の1貫は寺社修理費用として没収。

勝訴したものの1貫は封を付けたままお返しする。

各200文は奉行人の手当とする。」と続きます。(表1)

 

(表1)

品目敗訴したら勝訴したら
1貫(15万円)寺社修理費用に当てられる(全額)本人に返還(全額)
200文(3万円)奉行所手当になる奉行所手当になる

 

要するに裁判に負けると18万円は返って来ないのです!ああああ!敗けたくありません!

 

ただ、200文(3万円)を奉行所に支払うという形になっていますが、200文と定額化したことで、

裕福な家が裁判所に賄賂を送るのを防ぐ一定の効果があったようです。

 

 

現在の費用と比較すると

訴訟費用としては、現在かかるのは、手数料や書類作成や旅費などくらいなので、例えば100万円を請求する規模の裁判だと

3万円くらいのものでしょうか?これは裁判所などに支払う金額ですね。

 

裁判所に払う金額よりも、とにかく一番かかるのが弁護士費用です。

 

着手金と報酬金などで、30万円くらいは軽くかかっちゃいますね。

なので、合わせて33万円程度!高い!(表2)

 

しかも敗けると勝った側に請求額を支払わなければならず、三重苦の様相を呈してきます!

それに比べれば、戦国時代の裁判はお安い?

 

(表2)

品目戦国時代現在
訴訟費用・手数料(裁判所・奉行所)3万円3万円
奉行所手当・弁護士料15万円30万円
合計18万円33万円

 

まとめ

国を治めるために「自力救済」だった事件解決方法を、なんとか「裁判型」にして行こうとした

戦国時代の琵琶湖のほとり、近江の大名六角氏を中心に見てまいりました。

 

反目をかった家臣から起草されましたが、結果的に、「自力救済」を「裁判」に持っていく内容を盛り込むことが出来ました。

 

「六角氏式目」が制定された翌年に六角氏が滅亡してしまうという、悲劇が起こってしまいますが、

この分国法(法律)を世に出したことにはとっても意義がありました。

 

しかしながら時代が早すぎました。

 

戦国の世とは、乱世の世。

 

勝ったものが強く、生き延びれる。

 

そこには法律の出番は少ないものでした。(法律が知れ渡るのも遅いし、実行されるのも遅いし費用もかかる)

 

でも、この裁判の流れは消えることなく、むしろ天下が定まり、治世の世になってから、効果を発揮するようになっていくのです。

六角氏の苦労が報われて、本当に良かったです!

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