「エイエイエイ」「エイエイエオウ」
戦国武将たちが勝どきを上げる時の掛け声です!
戦国時代は戦に継ぐ戦。日本全国が乱れて、自らが生き残るため、
勝ち残らねばなりませんでした。
自らが強くなるか?強い武将にお世話になるか?付きつ離れつ、策を弄したり、
騙し騙し、様々な手を尽くし、生き残らなければなりませんでした。
そんな、時代でしたから、合戦はとても多かったのです。
しかし、合戦と言えどもそこは無法地帯だけではなく、一定のルールがあったりしました。
今回、そんな合戦上のルールを見てみたいなと思います!
ルールを知ることで、また、時代小説、歴史番組、ドラマの味方がより深く、楽しく見れることうけあいです!
それでは行ってみましょう。
合戦のルール・作法
まずは出陣前のルール作法について見てみましょう!
戦勝祈願の験担ぎ!
出陣前には戦勝を願い、様々な儀式が行われました。
また、作法・ルールとしてしなければいけないこと、してはいけないことがきちんと決められていました。
要する、当時の常識ですね。
では行ってみましょう!
兜の上に締める上帯の端を切って捨てる
これは、生きては帰ってこない!という覚悟をしめす為の儀式です。
槍の又左・前田利家が出陣する時に行いました。
上帯の端を切ることで、鎧を結んでいる帯が解けなくなり、
一度着た鎧を脱がないという決意を表すことになりました。
この行為の意味を知っていた兵士たちも、これで必死の覚悟を決めたのでした。
最高に鼓舞されますね!
さすが加賀百万石前田家の礎を築いた武将です!胆が座っています!
三献の儀
徳利に酒を入れ、大将の前に置きます。
肴は打鮑(うちあわび)と勝栗の2種類。もしくは昆布を加えた3種類。
この肴を食しながら、三三九度で酒を飲みます。
(3度注ぐのを3回繰り返します。肴を食すごとに盃を替えて飲みます)
この3種類の肴には意味がありまして、
打鮑と勝栗には→打ち勝つ!という意味。
昆布には→喜ぶ!という意味が込められています。
大将が家臣一同の前で、この儀式を行い、
注がれた酒を家臣全員が飲み干すことで一体感も生まれ、縁起を担ぐことになるのです。
これは相当気が引き締まる儀式ですね!
飲み干してからいざ出陣ーーーーー!ってなるのでしょう!おおっ武者震い!
現在の駆けつけ三杯に名残を見ることが出来ます。
女性は遠ざける
出陣前は禁欲を強いられていました。
しかも3日間も!?これは若い人には特にきついですね!
また、当時は女性は不浄とされていて、特に産後33日間は手を触れさせてもいけませんでした。
なんと!これは天の授かりものなのにね。
体力を使いすぎちゃうっていうこともあったのでしょうかね?
往亡日の出陣は避ける!
一年間に12日在ると言われる往亡日。この不吉と言われている日は出陣は避けていました。
この辺りの吉凶を判断するのは軍師の仕事だったりします。
三と七は縁起がよく、四は縁起悪い
三は「三つ」と読み、「満つ」とも読めるので、縁起良いとされています。
また、七は「天地人」の三つに、「東西南北」の四つを足して七つになり
縁起が良いとされました。
そして、四は死を想像させるので嫌われ、四ではなく二を2つ並べて四としました。
まあ、こだわりがありますね!
北は縁起悪し
具足を着ける時は北向きではだめ!だったり、
特に北東は鬼門と言われ、文字通り鬼が出入りする方角ということで陰陽道的に忌み嫌われました。
参照:徳川家康公側近、「天海」が江戸を守った風水の驚愕の事実!
それでは出陣後に武将たちが意識していたルール・作法を見てみましょう!
戦いの最中のルール作法
いざ出陣しても、色々なルールがありました。
戦いの最中も決まりごとを気にしながら戦っていた戦国武将たちは偉いと思います!
それではみてみましょう。
落馬するなら右へ
大将が落馬した場合、右へ落ちるのは吉ですが、左へ落ちるのは不吉とされました。
細かいところですね!
鳥で吉凶を占う
鳥が自軍から、敵軍へ飛べば勝ち!
敵軍から自軍へ飛べば負けを覚悟する!というような占いです。
根拠は乏しいのですが、当時は信じられていました。
今までの経験上ということも多分にあったのでしょうね
鬨の声(ときのこえ)
出陣の際は、みんなで「エイエイオウ」と言います。
これは出陣の最中の鬨の声です。
(鬨の声とは、みんなで上げる声のことです)
数が多いほど、こだまして、相手に半端ないプレッシャーを与えることが出来ます!
また、勝利の後に上げる声のことを、「勝どき」といいますが、
これはまず大将が「エイエイエイ」と叫び、その後軍勢が「エイエイオウ」と続きます。
下の動画では1分40秒辺りに勝鬨の声が収められています。
力強い声ですね!
合言葉・合印
戦場では、敵味方入り乱れたり、夜だったりと、相手が味方か敵かわからなくなることがありますね。
そこで考えたのが、味方だけに通じる合言葉や隠れた目印でした。
大将や軍師が決め、戦闘開始直前に、兵士に知らされました。
これは敵に悪用されないようにするためでした。
例
●武田家では→「谷」に対して「山」
●上杉家では→「山」に対して「麓」
●近江浅井家では→「南風吹く」は攻撃。「北風吹く」は撤退という意味で使ったりしました。
●大阪夏の陣の徳川側の合言葉は「旗」でした。
この言葉さえ分ればそれを使って落ち延びることや付け入ることも出来たわけです。
情報戦ですね!
相手の身分で変わる首実験
論功行賞の証拠品となる敵の首、首級。
どんな格の敵を討ち取ったのか?
これは出世するかしないかにとても大きな影響を及ぼすものでした。
また、敵の首級だからといって、ぞんざいに扱うことは禁じられていました。
礼を尽くし、首の実験は寺で行い、その装いは甲冑を着用することなどが決められていました。
また、その首級が見苦しくならないように、化粧をすることもありました。
特に大将クラスの首級はきちんとルールがありましたが、雑兵に対しては雑なものだったようです。
そりゃあ数が多くあれば、そうなっちゃいますよね。
関ヶ原のときなど、相当死者も多く、勝った徳川軍側の武将、竹中重門が農民を使って
まとめて首塚をつくり葬った例もあります。
参照:映画「関ケ原」の舞台・関ケ原で、戦国武将の心霊スポット?!「関ケ原ウオーランド」のご紹介!
また、お歯黒にして、身分が高く見せようとしたという例もあります。
参照:関ケ原西軍本拠地 大垣城 たらいで逃げたのは「おあむ」!
まとめ
戦には様々なルールや作法があることがわかりましたね。
なかなか面白いですね。
なんでもありそうな戦国時代にあって、礼を尽くすところも見事なことです。
今にも繋がることもありますね!ちょっと親近感があああ!