織田信長はバリバリ仕事をした今で言う、敏腕経営者!

天下統一目前まで行って、本能寺の変で家臣の明智光秀に襲われ自害した

男です。

しかしながら、群雄割拠の戦国時代をほぼ統一するまで持っていったその実績は

織田信長だから出来たことで、普通の人にはなし得なかったことでしょう。

 

その織田信長が行った仕事を経済的な観点から5つ挙げてみました。

とっても合理的な仕事を堪能してください!

①領内の関所を無くした

引用:wikipedia

★目的

通行障害を無くし、通行や運送をスムーズにするため。

★メリット

流通や交通が促進され、商売や運送が頻繁に行われ、都市が潤い発展することにつながるため。

 

織田信長は、美濃(岐阜)を攻めた後、室町幕府前将軍の弟、足利義昭を押し立て、京都に上りました。

1568年、織田信長35歳の頃、自分の支配下に入った地域で関所(主な国境や道路で、出入りする旅人や荷物を調べるための場所)を無くしていきました。

関所がなくなったことで、人々は違う土地を自由に行き来することが出来るようになり、大いに町は発展していったのです!

通行税という収入を撤廃してまで、商業の発展による収入を見込んでいた織田信長。

これは先を見越した投資感覚が織田信長には備わっていたのでしょう!素晴らしいです。

 

そして、さらに加えてもっと都市が栄える作戦を実行しています。

②道路を整備した

関所を無くすと同時に、道路の整備も行ったのです。

★目的

通行や運輸がスムーズに行われるようになる

★メリット

関所撤廃と同じく、道路が凸凹ではなくスムーズに動ければ、それだけ移動時間も短縮され、

品物も安全に運ぶことが出来ます。よって、商人が集まり、商業が活発になっていくのです。

 

道幅を一定に広げ、橋のないところには橋もじゃんじゃん掛け、さらに言えば、海のルートや港も整備し、

より流通がスムーズに安全に早く出来るようにしていきました。

必要なところにはお金をかける。

これで、商い(商売)をしたり、旅をしたりするのに便利になったのはもちろん、戦もときにもすばやく行軍出来、

その威力が発揮されました!

 

そしてさらに都市が繁栄するために、いままで足かせになっていた古い制度を撤廃しました。

③楽市楽座を作った

それまでの商業では、「座」(寺や神社、公家から特別な権利を与えられた、商人の集まり(組合)の事)

という組織が力を持っていました。

この「座」に加入していないと「市」(市場)に店を出して商売をすることが出来ませんでした。

戦国時代には、商業が発達し「座」に入れない商人も、秘密で商売をしていたりしていました。

多くの大名は、彼らを取り締まろうとしましたが、織田信長は違いました。

「楽市楽座」はこんな規制を取り払い、誰でも、一定の場所代を払えば、自由に商いを行えるようにしたのです。

すごいですね!

★目的

誰でも自由に商売が出来るようにする。

★メリット

商才のあるものが制度に阻まれず、良い食品、サービスなどを商売ができ、人々が豊かになり、商売人が集まり、

商いが活発になり、お金が動き、利益が上がる!

 

 

④検地を行った

国の経済が栄えるためには、商業と共に、農作物を管理する必要がありました。

織田信長は、土地の広さなどを記してある「土地台帳」を土地の領主に差し出させ、年貢(お米・当時の税金)の量を確認したのでした。

本当は広い土地を持っているのに、正しい量の年貢を払っていない領主もいましたので、検地が行われることで、

慌てる者もいたようです。

特に寺社に対して重臣の滝川一益や堀秀政などが現地へ出向き、検地を強力に進めたことは有名です。

しかし、台帳の差し出しを拒んだ槇尾寺などは、寺と僧侶が焼き払われてしまう悲惨な結末を迎えた事例もありました。

織田信長と寺との確執はこういうところからも引き起こされたのでしょうね!

★目的

農業管理を行い、所有者に正しく年貢を納めさせること。

★メリット

農業収入をしっかりと得ることが出来ます。

 

⑤キリスト教を保護し西洋の文化を取り入れた

1543年にポルトガル人から鉄砲が伝えられ、1549年にはスペインのフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えました。

織田信長は、当時「南蛮」と呼ばれていた西洋の文化を取り入れて行きました。

キリスト教については、織田信長自身は信者ではありませんでしたが。

しかし信長は、日本にある寺や神社の堕落に相当腹を立てていました。

キリスト教を保護することで、自分に反発する寺や神社を抑え込もうとしていたのかも知れません。

また、キリスト教の宣教師達が持ち込む、様々な品は、織田信長の興味を引き、とっても大事にされていきました。

★目的

貿易で利益を得、銃や武器を仕入れるため。

日本の宗教勢力の力をそごうとした。

メリット

日本の町が更に発展することができる。

宗教勢力を弱め、自軍の軍事力をアップ出来る。

最後に

天下統一をするために必要不可欠だった、商業の繁栄と、流通のスムーズ化。

織田信長は徹底して国の商業をサポートし続けました。

行ったことは?

1、関所の廃止

2,道路の整備

3,楽市楽座

4,検地を徹底した

5,キリスト教と西洋文化を保護

ですね。

これらにより、相当国力がアップし、軍事力を身に着け、

織田信長は並み居る敵を撃破していったのでした!

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