蒲生氏郷(がもううじさと)とは文武に優れ、人使いにも長け、経営感覚、政治感覚も抜群の物を
持っていた稀有な近江(滋賀)に生まれた戦国武将です!
引用;wikipedia
しかしその人生は有為転変で、上司は初め織田信長、次、豊臣秀吉へ。
領地は近江から伊勢、伊勢から会津へと
転々と上司、そして各地を廻る苦労した人生を送ったことでも知られています。
そんな能力はあるけど、苦労の人生を歩んだ蒲生氏郷の
部下に対しての泣ける美談と、松坂商人を生み出した逸話を今回、
取り上げようと思います。
とにかく男らしいいのです。そして、優しい!部下思い!
是非知っていいただきたいお話です!
では早速見て見ましょう!
蒲生氏郷と部下の風呂での逸話
日野の領主、蒲生氏郷が抱えていた問題とは?
蒲生氏郷が近江(滋賀県)、琵琶湖の東に位置する日野一帯を治めていた頃の話です。
領地内にある、日野城に居を構えていた蒲生氏郷は、収入の割に、多くの家臣を雇っていました。
そのために、給料が家臣全員にきちんと行き届どかないっていう
悩ましい問題を抱えていました。
貢献した家臣には報酬で報いたいところなのですが、そのお金が無かったのです。
どうにかして家臣の功績に報いる方法はないものだろうか?
悩んだ末に蒲生氏郷はある方法をひらめきました。
それは、
「自宅へ招待する作戦」でした。
領主自ら部下をおもてなしする!
お金がないなら、行動で示そう!伝えよう!ってことで、
部下の休日の日に、自宅に呼び、おもてなしをしたのです。
どんなおもてなしだったのでしょう?
蒲生氏郷の料理のおもてなし
まず、はきちんとお礼を言うことは無論の事。
手柄に対して、十分な報酬を渡す事が出来ない。かわりに礼をしたい
とごちそうをするのです。
ごちそうと言っても、お金はないので、大した物を出せるわけではありません。
それでも部下にとっては嬉しいものです。
風呂でのおもてなし
更に蒲生氏郷はこう言います。
酒を飲む前に風呂でも浴びてこい
言われたとおり風呂にはいると今度は風呂の外から声がします。
湯加減はどうだ?
どういうことだろう?と風呂の外を覗いてみると、
頭を布で包んだ男が一生懸命火を吹き立てていました。
その男は何と、蒲生氏郷その人でした!
こ、これは・・・
部下は言葉を失いました。
領主自ら部下の風呂の湯加減を行っているのです!
どうだ湯加減は?
とまだ声が聞こえます。
部下は、風呂に入りながら、目頭が熱くなり、感動の涙がつーーと
頬をつたって行くのでした。
部下は、風呂の湯の熱さと感激による熱さで身体は沸騰状態!
結構な湯加減でございます・・
やっとのことで声を絞り出しました。
なんていい話なのでしょう!
蒲生氏郷の行動の影響は・
このことは口コミで日野の噂になりました。
この風呂を「蒲生風呂」と名付けられ、
「私も殿の風呂をちょうだいしたい」と一躍日野や他の戦国武将達の間で有名になったのでした。
家臣たちは一層日々の仕事に励むようになったのは間違いないでしょう。
素晴らしい。
蒲生氏郷の気持ちは?
お金でも領地でも報いることが出来ない報酬を、情愛と行動で補う!
これに尽きるでしょう。
普段から
部下に対しては報酬と情の2つが必要である。これがやる気のもとだ!
と言っていた蒲生氏郷ですから、それを実践したに過ぎないのでしょうけど
部下は本当に嬉しかったでしょうし、やる気100倍になったのではないでしょうか?
松坂商人の誕生
豊臣秀吉による領地替え
蒲生氏郷は、豊臣秀吉により、近江の日野から三重の伊勢へ領地替えになりました。
豊臣秀吉としては、能力のある蒲生氏郷を知行を上げて不満が出にくいようにして
京都大坂から遠ざけたのです。危険視していたのでしょう。
伊勢は反織田信長勢力がいて油断ができない。お主にこの地方の鎮圧を任せる
と上手く乗せて、蒲生氏郷の領地がえを実行したのです。
豊臣秀吉、さすがやり手ですね。
蒲生氏郷の気遣い
さて、近江より伊勢にやってきた蒲生氏郷。日野より世に聞こえる近江商人である
「日野商人」を連れてきました。
伊勢にはこれまた世に聞こえる「伊勢商人」がいました。
2つの力を持つ商人達が同じ領地に混在することになります。
それぞれプライドがあります。
両方共自らの商人名を名乗っていました。
商人たちのプライド解決から生まれた「松坂商人」
蒲生氏郷はいざこざが起きないように解決策を考えました。
それは?
もう一つの名前を考える!でした。
共にこれからは松坂商人と名乗れ!
で生まれたのが「松坂商人」でした。
松坂の名前の由来は
ちょっと強引感がありますが、この名前の由来は両者が納得の行くものでした。
「松」は日野商人の故郷、近江日野に神社がある場所を「若松の森」と呼んでいた事から一文字をもらいました。
「坂」は蒲生氏郷が新しく治める地域に坂が多かったことから受け入れる側から一文字。
よって、ここから2文字を合体させ、「松坂」と地名を決め、
「四五百」と言っていたこの地域の名前をも変えてしまったのです。
これにより、公平さが担保され、お互いの商人の意識改革をも敢行し、
新しい国として歩み始めることが出来たのです!
蒲生氏郷、天才ですね!
最後に
部下のためにごちそうと風呂のおもてなしを与えられない報酬のかわりに与える。
プライドある商人を地名を変えることで解決する。
他にも生涯、数多くの失敗があるのでしょう。
でも蒲生氏郷の良いところは、どんな状況でも腐らずに、前向きに問題解決を考え、実際に行動しクリアーして行くことです。
何よりも部下のことを考えてから行動するというのは、領主であることの最低条件です。
私も蒲生氏郷の生き様を少しでも学びたいと思います!