織田信長公はどういう教育を受けていたのか?
天下をほぼ手中に収めるほどの実力者は
どのように育っていったのか?
気になるところですね!
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織田信長公への教育方法公開!
織田信長公に教えていった方は誰だったのでしょう!
織田信長公を教育した先生は僧、学校はお寺でした!
尾張瑞泉寺の僧「沢彦宗恩」です。
(信長、岐阜、天下布武の字を提言されたと
言われています)
戦国の世、お寺が学校、
僧が先生でした。
カリキュラムは?具体的な教育内容!
ここで、どのようなカリキュラムで
何を学んでいったのかを
整理してみましょう。
7,8歳
7~8歳→遊び中心。
しつけは徹底していた。
協調性や社交性を学ぶ。
9、10歳
9~10歳→読み書き。
11,12歳
11~12歳→看経、手習い、読書、管弦など。
ここからはエリート コース
時間は早朝6時から深夜11まで
徹底的に学びがあります
13歳
13歳→「いろは」「漢字」「文章」
「般若心経」(仏教哲学)
(名言「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」
もここから)
「観音経」(仏教情緒的即応的)
「庭訓往来」(一般常識、教科書)
「貞永式目」(法律)
14歳
14歳→「行書、草書」(崩した形)
「四書」(「論語」「孟子」「大学」「中庸」)
「五経」(詩・書・礼・易・春秋)
(中国の儒教も学んでいきます)
「六韜」(中国の兵法書)
「朗詠集」(漢詩、漢文、和歌を集めた詩文集)
15歳
15歳→更に高度な漢字、読書。
古今集、万葉集、源氏物語
(教養を深めていく)
一方で医術を学んでいく
大体このような流れで、知識、教養を
身につけていったと言われています。
日本国を統治する人を目指す人は
高度な知識、教養が必須だったと
言うことでしょう!
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まとめ
戦国武将の織田信長公は若かりし頃、瑞泉寺の沢庵和尚に
ついて学んでいきました。
7歳から12歳くらいは基礎を教わっていきます。
その後13,4,5歳と結構難しい歴史書や仏教の哲学書などを
学んでいきます。
結構高度な教育だったと思います!
戦国武将とは戦国大名として一国を治めていくのですから、
きちんとした教育を受けていなければとても務まらなかったのでしょう!
いわんや織田信長公は天下を統一していくのですから、教育も必須!
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