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戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長の南昌幸がお届けする

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織田信長公は、かなりの相撲好きだったようで、相撲取りを大勢集めて、

一日中相撲を取らせ、それを飽きること無く見物していたそうです!

 

そして、召し出された相撲取りには賞品が出たというのですから、

そりゃおすもうさんも鼻息荒いですよね!

 

と、織田信長公と相撲の話に入る前に、簡単に相撲の歴史を

ご紹介しておきますね!

相撲の歴史を簡単にご紹介致します!

相撲の取組のイラスト

歴史を遡ると1500年前になります。

日本書紀に出てくる、大和(奈良県)に住む「當麻蹶速」(たいまのけはや)と、出雲(島根県)に住む「野見宿禰」(のみのすくね)との垂仁天皇7年7月7日に行われた天覧試合が相撲の起源といわれています。

お互いに足を上げて蹴りあい、長い戦いの末、「當麻蹶速」(たいまのけはや)は肋骨と腰の骨を折り、命を落としてしまいます、、、。なんともいた堪れない気持ちになりますね。

ふたりとも名前、難しいですねえ。

「777」とゾロ目の日にちにになにか縁起を感じます!七夕の行事に余興として行われるようになっていったそうです!

 

そもそも相撲は、五穀豊穣の吉兆を神に占う農耕儀礼でした。これが宮廷での恒例行事となり、相撲節会(すもうせちえ)という宮廷儀式へと発展していくことになります。

 

それから、職業的な土地の相撲が室町時代になると各地を巡業し、普通の人々の間にも相撲が広がっていくことになるのです。この頃から、地方巡業なるものがあったとは興味深いです!

 

特に織田信長公は、武士の戦闘の訓練として相撲を積極的に取り入れていきます!

結構頻繁に場所を開き、そして訓練と共に、優秀な部下を発掘することも

同時にやっていきました。一石二鳥ですね!さっすがー!

 

それでは織田信長公が開催した主な取り組みをご紹介致しましょう!

織田信長公が相撲を催した「常楽寺相撲大会」

織田信長

 

1570年3月3日に開催されました。初期の頃ですね!

参加者は、近江(滋賀県)国内から相撲取りを集めました。

場所は、滋賀県の安土、常楽寺港の砂浜で行われたようです。

目的は、有能な人材を獲得するために開催しました。

さらに、単に結果だけではなく、内容も重視したと言われています!

優秀者は☆鯰江又一郎青地与右衛門の2名はかなりの強さでした!

賞品は、のし付きの金銀飾りの太刀脇差しを与えられ、家臣に召し抱えられ、相撲奉行になったと言います!

 

結果的に、腕自慢の人が集まり、優秀な人材を採用できました!

これに良くした織田信長公は、その後も相撲大会を開催して行きます!

 

安土山相撲大会其の一

1578年2月29日に開催です(冬春場所ですね!ちょっと寒いかな?裸ですものね!)

安土山にて開催されました!

日野の長光という人物が一番活躍され、骨に彩色を施したが賞品でした!

行司を務めたものには「御服」がプレゼントされました!

 

優秀者は23名!士官方法としては最適な方法ですね!

このように猛者をどんどん発掘していきました!

 

安土山相撲大会其ノ貮(超豪華賞品!)

1578年8月15日(夏場所ですね!ど真ん中!暑かったでしょう!汗だくですね!)

安土山にて開催!

1500人を超える参加者!今までで一番参加者が多いのでは無いでしょうか?

近江以外にも京都からも参加者を募ります。今回は募集枠を大幅に広げてみたようです!

各武将が配下の力自慢のものを率いて参加しました。織田信長公に名を売る大きなチャンス!

相撲奉行も11人揃えます。蒲生氏郷公や掘秀政公などの有名武将も参戦!

遂に、力自慢の武将達も自らの力を試してみたくなったのでしょう?

ウズウズしていたのが想像できます1

行司は木瀬蔵春庵・木瀬太郎大夫の2名のみ。2名ですべての勝負を取り仕切っていたので、

かなりの長時間になりました。待っている人たちは何をしていたのでしょうかね!

午前8時から午後6時までの長時間開催!長ッツ!

この時の開催の賞品が超豪華!14人に与えられました!本当に豪華なんです!

内容は、

従来の太刀、脇差し、服に加え知行(領地)100石なんと「私邸」もプレゼント!!!!

大盤振る舞いですね!家までもらえる相撲大会はなかなかないでしょう!

どんなレベルの家を与えられたのでしょうかね!

終日織田信長公自ら賞品を与えたといいます!

 

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京都の二条新邸の大会

織田信長公は、今度は、公家の皆様に相撲を見てもらおうと考えました!

当時の、日本の役人トップの方たちなので、その印象向上も兼ねて開催したのでしょうか!

 

1578年10月5日開催!秋場所ですね!秋晴れの中開催されたのでしょうか!

 

公家の摂家、清華家の前で開催!なので場所が京都の二条です!

 

(公家は朝廷(政府)に仕える貴族のことで、最上位が「摂家」その次の位が「清華家」となります。

 

なので、当時の天皇に仕える最上流貴族達が見物に来られていたことになります!)

 

(織田信長公の意図は、相撲大会すらも何か天下を見据えた布石があるように感じられなりません)

 

【ちなみに役人の最上位は太政大臣ですが、それになれる家が決まっていました。

摂家5家近衛九条二条一条鷹司

清華家9家(久我・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門・今出川・広幡・醍醐)

武家清華家6家徳川毛利小早川前田宇喜多上杉)の者に限定されていました。】

 

公家の皆様も大層楽しまれたことでしょう!

織田信長公は着々と天下統一へと近づいて行くこととなるのです!

 

安土山ナイター相撲大会!

遂に、夜まで開催するようになってきました!

昼だけでは終わらなかったのでしょう!

 

1580年6月24日場所は定番の安土山です

 

この日は夜になるまで開催され、途中提灯をつけてのナイター大会になりました!

 

それもなにか乙なものがありますね!

 

この大会では大野弥五郎さんが召し抱えられたとの記録が残っております!

 

夜にお強い方だったのでしょう!?

力自慢のものは引き続き採用されています!

戦争で結構活躍する方もいらっしゃったようです!

 

結局1581年までは引き続き行われていきます。

相撲大会を開催ごとに優秀なものを採用し、

天下統一に一定の役割を果たしたと思われます!

 

その翌年1582年、織田信長公は、本能寺の変で自害をすることとなります、、、、。

まとめ

見てきましたように、もともと相撲がお好きだったこともありますが、

優秀なものを取り立てたいという目的や、武芸の訓練のためという意図が

あり開催されていました。

 

この目的は、実際に達成できたんだと思います!

毎回10から20名程の強い部下を採用できたのですから!

 

プレゼントで家や知行までもらえてしまうなんて!

強い人はお得ですね!

 

織田信長公に興味を持たれた方はコチラもお楽しみになれる内容となっております!

 

 

 

これだけ相撲に熱が入っていた織田信長公が相撲の歴史に大きな貢献をされたことは間違いなく、

行司や相撲のルールなどの原型はこの頃形造られたそうです!

 

織田信長公は、こんなところにも足跡を残されていたのですね!すごっ!