大河ドラマ「西郷どん」楽しく拝見させていただいています。
その中に出てくる薩摩藩を治める島津家。
この島津家というのは平安時代から薩摩を治めているといいます。
そして、鹿児島だけでなく、九州をほぼ全土制圧した時代がありました。
それが島津義久の時代でした。
ちょうど戦国時代の頃です。
最強の島津4兄弟がいて、その長兄が島津義久です。
さらに島津義久が教訓としてまとめたものが、江戸時代の終わりに現れる28代藩主斉彬、そして明治維新の成立に尽力した西郷隆盛にも影響を与えたのだといいます。
二人の情報はこちらをご参照ください
現代の処世術としても優れた内容の義久の教訓。
「島津に暗君なし」と言われたその教えに私もあやかろうと思います。
今回は島津義久の教訓を紐解いてみたいと思います。
島津義久基本情報
引用:Wikipedia
教訓に入る前に簡単に島津義久とはどんな人だったのかを簡単に見てみましょう。
16代島津家当主として戦国時代、薩摩藩を治めた戦国大名です。
九州制圧をビジョンに掲げて戦争に明け暮れます。
耳川の戦いで、ライバル大友宗麟を破り、沖田畷の戦いでは龍造寺氏を破り、九州のほぼすべてを制圧するまでに至ります。向かう所敵なしです。
しかし天下統一を目指す豊臣秀吉の九州征伐によって降伏することになります。これは相手が悪すぎました。この時金の磔木を持って降伏したといいます。
薩摩と大隅の2国と日向諸国は安堵されて家は存続します。セーフです。
その後、関が原の戦いも抜群の空気読みで乗り越え、隠居後も島津家に政治力を保ちながら江戸時代まで生き抜き、79歳でその生涯を終えます。
という戦国の時代を駆け抜け、徳川政権でもしっかりと薩摩藩で存在感を示した男です。
ちなみに弟義弘のことは→妙円寺詣りは島津義弘公を偲んだ鹿児島三大行事の1つ!
をご覧いただけるとイメージが湧くと思います。
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島津義久教訓
島津義久は、晩年自らの教訓をまとめたものを1つの書に書き記しました。
それがこの「島津義久教訓」です。
島津の殿様として生きてきた男の集大成とも言えます。
それでは実際の文章を見てみましょう!
一、百姓を憐れむことをもって、憲法の第一とする。民の飢えや寒さを思い、貧窮の苦悩を知ること。
民を思うことが全てに優先すると説いていますね。
西郷隆盛も百姓の年貢の管理の仕事をしていた時、とにかく民の貧しい現状を斉彬に訴えていました。
そして斉彬も、その現状を改善しようとする目線を持っていました。
だから、二人共、民から好かれ、名君と言われたのでしょう。
ココは胆に命じておきましょう。
一、家の造りを立派にすることは、古の賢王が堅く禁じたことである。
西郷隆盛の家は、雨漏りがするほどの家でした。
妻が直しましょうと言うと、西郷は、日本中の家が雨漏りしているのに自分だけが直せないといったのです。
ちなみに坂本龍馬を家に招いているときの妻との会話です。
お金をかけるところはそこではなく、民にかけるべきと義久は説いたのです。
現代風に言うと、豪邸に住むよりも前にお金をかけるところがあるよということですね。
一、罰を薄くして賞を厚くせよ。
この教訓は私もすごく身にしみてわかります。
罰を厳しくしすぎると、這い上がる気持ちまで奪い去ってしまうのです。
やはりチャンスを与えるべきでしょう。
また、賞を厚くすることで、やる気が俄然違いますよね。
後ろを向くのではなく、前を向いた政策の重要性を説いたのです。
一、民の耕作の隙を見て、これを召し使うことが肝要である。
民が忙しくないときを見計らって雇うべきと説いています。
相手の状態を見る、相手の事を思ってやることが前提ですね!
一、主人の利益を基とし、いやしくも私利を貪ることがあってはならない。
お国の利益を考えて、自分だけの利益を貪ってはならないとのこと。
自分のことだけでなく、全体を考えましょうということで現代は理解すれば良いのだと私は思います。
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一、民の利益を先にして、己の利益を後にせよ。
民が富むことが一番国を治めるに必要なことだと説いています。
「一人はみんなのためにみんなは一人のために」的な考えかただとおもいます!
一、欲しいままに民のものを取ってはならない。民が貧しければ、主に財が無くなるものである。例えて言えば、枯れた木の本のようなものである。民は主の財である。ゆるがせにしてはならない。
民は、金の卵を産む鶏ですね。民が貧しすぎると、生産性も下がり、結果的に国力が下がるということを説いていますね。もっと民を大事にしましょうよと。
民を大事にすることが結果的に自分に還ってきますよと。
一、人の心を養うのをもって情とする。
一番大事なのは人の心。人の心を考えられないと、全ての事が厳しくなってきます。
人は心で動くもの。心に訴えかけること、心で感じること、心で思いやること、それをすなわち情というのでしょう。要は心です。
一、威勢をもって人を屈服させれば、その身体は屈従したようでも、心は従わない。
正直の徳をもって民を従いさえすれば、身命を軽んじて、謀反の心を起こすようなことはないのである。
これは耳に痛いところです。民に接するのに正直の徳を持って民を従わせることの重要さを説いています。民も無理やりやらせても、心は従っていないと。正直の徳でしかほんとうの意味で、人を従わせることは出来ないのでしょう。
一、下郎の科をかれこれいってはならぬ。下郎の無礼に対しても同様である。
例えば子供の無礼などをあれこれいい過ぎるのも良くない。子は国の宝。
きちんとしつけるのは良いが、積極的な間違いを追求してしまうと、それがトラウマになり、その後の成長に悪影響を与えることになります。これは注意しましょう
一、讒言(ざんげん)と讒訴(ざんそ)とを用いてはならぬ。虚言や中言を信用してはならぬ。
人を貶めても何も生まれません。一時の自分の自己満足でしかないのだと思います。
また、虚言というのはこれもまた人を貶める目的のもの。それはしっかりと見極めなければなりませんね!
一、たとい愛している者に対しても、科があったならば、処罰せよ。憎んでいる者に対しても、忠義の行いがあったならば、賞を惜しんではならぬ
好き嫌いという自分の色眼鏡を外して、その人の本質を見なければならないですね。
そうしなければ、事を誤ります。また、人がついてこないでしょうね。
すごくわかります。
一、家を治めるほどの者は、また、国を治めることもできる。ただ、民を憐れむ者を、君の器と見なす。
これは逆に言えば、家を治めることが出来ない人は、国も治められないってことですね。
本当にそう思います。
特に夫婦間の問題はその人をあぶりだします。ココをまず乗り越えましょう。
一、人が罵詈雑言したとて、これをそのまま受け取って、咎め立てをしてはならぬ。
これも人の罵詈雑言に惑わされないようにしなければならないです。
その人は何を言おうとしているのか?
まず感情的にならずに一歩下がってその内容をしっかりと吟味しましょう。
一、隠し立てしなければ恥ずかしいようなことは、してはならぬ。人の目は天にかかっているものである。
人が見ていないからってなんでもやってよいわけではないです。
やってはいけないことはどこであってもやってはいけないわけです。
周りがどうとかではなく、自分との戦いですね。
一、独り言であっても、卑怯な言葉を使ってはならぬ。人の耳は壁についているものである。
同じく、言葉はとても重要です。悪い噂は千里を駆け巡ると言います。
余計な言葉を吐いてそれが自分の身に降りかかることって経験あります。
壁に耳あり障子に目あり。これも日頃の自分との戦いです。
一、利巧じみたことを言わないこと。
常に自分に正直でありたいです。素直になりたいです。
自分の事を素直に見れること、正直に語れることの勇気をもちましょう。
人は完ぺきな人なんていません。
一、人の書き物などをみだりに取って見てはならぬ。
プライバシーというものを大切に扱いましょう。デリケートな問題です。
この問題をすでに戦国時代から扱っていたことに対して驚愕です
一、悪い若党を使ってはならぬ。
ここは見極めが難しいところでしょう。
しかし、ココまでの教訓を実践していれば、自ずと見極められるはずです
一、悪い友達と交わってはならぬ。
人間は朱に染まっていくもの。環境の生き物です。
自分の周りには、本当の友と交われるようにしたいものです!
最後に
全て深いです。九州で揉まれて揉まれて外向き内向きに課題を乗り越えて得た教訓。
とても勉強になりますね。
実践して島津家の考えを取り入れて、自分の人生を豊かに出来るように活かせていきたいです!