2018年の大河ドラマ「西郷どん」の主人公、西郷隆盛公を簡潔にご説明していきたいと思います!

どんな人生を歩んだのか?

どんな交友関係があったのか?

どんな実績を残したのか?

などを、まずはわかりやすく年表にてご説明していきます。

 

そうすれば、大河ドラマがいざはじまった時に、理解が進み、

より物語に興味を持っていただくことが出来ますので!

 

大河ドラマのキャストのご紹介はこちらを→大河ドラマ・西郷どん全キャスト表!出演者と役柄、独自評価!

120%大河ドラマを楽しむために!

2018年大河ドラマ「西郷どん」をひとまとめにした記事はこちらをご覧ください⬇⬇⬇

大河ドラマ・西郷どん(せごどん)のネタバレまとめ!西郷隆盛は~

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西郷隆盛年表

西郷隆盛の似顔絵イラスト

年月日出来事備考(年齢)

西郷隆盛の青春時代!

1827年12月7日西郷隆盛生誕!名は小吉薩摩国(今の鹿児島県)に下級藩士として生まれる!
1839年

天保10

友人のケンカの仲裁で腕を負傷する刀を握れず武士としての歩みを諦める!(11歳)
1841年

天保12

元服する!吉之助と名のる!(13歳)
1844年

弘下1

郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)に任命される!農民が収めるお米を見積もって提出させる役所の書記係。農民の貧しさを知る(17歳)
1847年

嘉永1

郷中(ごじゅう)の二才頭(にせがしら)になる!地元の15歳から24歳位の武士達の勉学、稽古を見るリーダーとして活躍!(20歳)
1850年

嘉永3

お由羅騒動島津家後継者争奪戦)で島津家の重臣が切腹!赤山靱負の御用人をしていた父親から切腹の話を聞き号泣する!(23歳)
陽明学(性善説)を伊藤茂右衛門に学ぶ
福昌寺の曹洞宗、無参和尚に禅を学ぶ
近思録輪読の会スタート!メンバー(大久保利通、税所篤、吉井友実、伊地知正治、海江田信義大山格之助、後の精忠組)
1851年

嘉永4

島津斉彬が島津家の当主になる!前当主島津斉興は隠居!(24歳)
 1852年

嘉永5

 伊集院 須賀と結婚する! (25歳)
同年、祖父(遊山)、父(吉兵衛)、母(マサ)が相次いで死去
 1853年

嘉永6

 名前を善兵衛に改める!黒船ペリー来航! (26歳)
仕事は変わらず郡方書役助、禄は41石【年収は30万円(金換算)、50万(米換算)】

 

西郷隆盛の幕末時代!

 1854年

安政1

 島津斉彬の参勤交代について江戸へ赴任!(お庭方という秘書の仕事に任命) (27歳)
博識の藤田東湖と、島津斉彬に教えを受ける!
  薩摩に残された妻は貧窮の苦労に見かねた実家に引き取られる。(離婚)しばらく西郷家は弟の吉二郎が面倒を見ることになる。
1855年

安政2

 

 家督を正式に継ぎ、吉兵衛と改名 (28歳)
思想家の越前藩士、橋本左内と国事を話し合う!
 1856年

安政3

 水戸藩天狗党の首領、武田耕雲斎と出逢う! (29歳)
島津斉彬の密書を水戸藩の徳川斉昭(徳川慶喜の父)へ持っていく。
 第13代将軍・徳川家定と島津斉彬公の養女・篤姫結婚
1857年

安政4

肥後熊本藩の長岡監物・津田山三郎と会い国事を話す!(30歳)
大久保利通とともに徒目付(見張りや隠密行動などする)になる!
  徳川慶喜へ将軍継嗣に関する島津斉彬の密書を越前藩主・松平慶永(春嶽)に持っていく!
下関の商人、白石正一郎と藍玉(染料)の斡旋を通じて接近。西郷たちの活動拠点となっていく!
 1858年

安政5

彦根藩主・井伊直弼 が幕府の大老になる!(31歳)
不平等条約の日米修好通商条約締結!
紀州藩主・徳川家茂が14代将軍になる!
井伊大老は水戸藩主徳 川斉昭を謹慎、越前藩主松平春獄を謹慎・隠居、一橋徳川慶喜に登城禁止を命じ、一橋派への弾圧をはじめる! 広義の安政の大獄始まる!斉彬は反対!
 篤姫から近衛忠煕への書簡を携えて京都に赴き、僧・月照らの協力で慶喜継嗣のための工作を試みるが失敗!
当主島津斉彬死去。斉彬の弟・島津久光の子・忠義が家督相続する。藩の実権は斉彬の父・斉興が握った。西郷は斉彬が好きすぎて一緒に死のうとする!(月照に止められ未遂)
 井伊大老を排斥しようと試みるが失敗!
鹿児島に帰る。幕府からの目を誤魔化すために名前を西郷三助と改名!
月照らとともに、日向国へ切り捨てられる目的で送られる。 その前途多難さを憂い、入水自殺をはかる。が奇跡的に助かる!

西郷隆盛の島流れ時代!

 1859年

安政6

 一ヶ月ほどで自殺の後遺症から復活! (32歳)
菊池源吾とまた名前を変える
奄美大島に島流しされる!
  奄美大島で愛加那を島のみの妻として娶る。 はじめは孤独に苦しんだが、島の子供の教育を任されたり、扶持も6石(約50万円)から12石(100万円)に増え、島生活に慣れていく(32歳)
1860年

万延1

待望の初の子供菊次郎が誕生!後の京都市長(33歳)
桜田門外の変起こる井伊直弼暗殺される
後の西郷を助ける木場伝内との出会いあり!
1861年

文久1

鹿児島へ戻る!(34歳)
生きていることが幕府にバレないように西郷三助から大島三右衛門へ改名
江戸へ戻り、復職した。当主の後見人島津久光とはウマが合わない
薩摩過激派が京都を焼き討ちしようとするのを止めに村田新八たちと京大阪へ向かう。
京都にいる西郷が過激派を煽っていると久光は捉え、西郷を鹿児島へ戻す!
寺田屋事件起こる!薩摩藩同志の鎮撫にも過激派は耳を貸さず、西郷の弟、真木保臣、有馬新七含む8名は同志により討たれる
1862年

文久2

西郷は徳之島に流される!村田新八は鬼界島へ!(35歳)
妻の愛加那が菊子を産む! 第2子
沖永良部島へ流される!皮膚病患う
大島吉之助と改名!
生麦事件起こる!久光の行列に乱入したイギリス人を薩摩藩士が殺傷した事件!
1863年

文久3

天誅組の変 起こる! 土佐(高知)の吉村寅太郎中心とした尊王攘夷派が大和で挙兵した事件。(36歳)
文久の幕政改革 島津久光、朝廷らの圧力によりやむを得ず幕府が行った改革。徳川慶喜が将軍の後見人になったり、参勤交代が3年に一度になったりする。幕府の威権は著しく低下。
七卿落ち 尊王攘夷派の七人の公卿が長州(山口県)に落ち延びた。
生野の変起こる! 但馬国(兵庫県北部)生野で尊王攘夷派が挙兵した事件。

西郷隆盛の倒幕時代!

 1864年

元治1

鹿児島に戻る (37歳)
 薩摩藩の外国との密貿易が悪評を得る。 原因は、物価の高騰を招いていることと、攘夷と言いながら外国と取引している行為について。
禁門の変起こる(蛤御門の変) 長州と幕府との戦い。西郷は幕府を助けて朝廷の中立を維持する。長州との仲は最悪に。
第一次長州征伐(幕府軍による長州藩追討始まる) 西郷は幕府軍の参謀に任命される
御側役に任命される主君のそばに仕える
勝海舟と面談する
 名前を西郷吉之助に改名
 1865年

慶応1

 イトと結婚 (38歳)
 大番頭に任命される 薩摩藩の家老の2歩手前の地位になる!
長州藩の桂小五郎との対談は実現せず悪気はない
 薩摩藩を幕府による長州征伐論を拒否する藩論にまとめる 坂本竜馬も同行(新婚旅行兼ねて)
 長州が欲している武器、艦隊を薩摩名義で購入 徐々に長州との関係が良くなる
 長州から兵糧米を購入 さらに長州との関係良化
 1866年

慶応2

 薩長同盟締結 坂本龍馬の誘導のもと、長州側桂小五郎と。

(39歳)

 第2次長州征伐 大村益次郎(陸軍の創始者)と高杉晋作の活躍で長州軍勝利。
 将軍徳川家茂死去
 大目付け・陸軍掛・家老座出席に任命される 大目付け(家老候補)は病気を理由に辞退!
 1867年

慶応3

 薩土盟約成立 (40歳)
 大政奉還 徳川慶喜により幕府より朝廷へ政権を返上!
王政復古の大号令発令江戸幕府の廃絶と新政府の樹立!
 1868年

慶応4,明治1

 戊辰戦争勃発 薩長土軍と旧幕府軍との戦い(41歳)
鳥羽伏見の戦い戊辰戦争の緒戦、西郷は戦況を確認する
東海道箱根占領西郷率いる軍は中村半次郎を先鋒に箱根を占領する
江戸無血開城幕府の象徴江戸城は、西郷が勝海舟の案を要人に説き無血で開城となる
上野戦争彰義隊との上野戦争後、病気になり鹿児島の日向山温泉にて治療する。
 1869年

明治2

箱館戦争(五稜郭の戦い)の応援に行く 着いた時には戦争は終わっていた(42歳)
新潟五十嵐戦にて弟吉二郎を亡くす。
戊辰戦争終結
鹿児島郡に屋敷を購入
西郷隆盛という名を用いる
鹿児島藩大参事に任命される今の副知事、昔の家老!

西郷隆盛の明治維新時代!

1870年

明治3

岩倉具視、大久保利通・弟西郷従道の説得により政治改革のため上京する。(43歳)
1871年

明治4

御親兵の設立明治天皇直属の兵隊を警護のため設置(後の近衛兵)(44歳)
廃藩置県の実行藩を廃止し、県を置いた
明治政府の参事になる。正三位に叙される。木戸孝允(桂小五郎)、

板垣退助、大隈重信(早稲田大創設者)とともになる。

1872年

明治5

外交使節団(政府首脳と留学生)、欧米へ出発岩倉具視が団長。条約改正と友好親善、文物視察、調査(45歳)
明治天皇の西国巡幸に同行する
外交使節団なき間は西郷主導で留守内閣運営。三条と西郷が中心メンバー。太陰暦を採用したり、陸軍海軍を設置したり、確率銀行条例を作ったり、征韓論を議論したり。
 1873年

明治6

陸軍大将・参議に任命される。 (47歳)
  帰国した外交使節団を交えた征韓論議論が始まる。 意見は真っ二つに割れる。
 明治6年政変 征韓論派は600人大量辞職する
 陸軍大将・参議を辞職 陸軍大将は許可されず
1874年

明治7

自宅や鰻温泉日当山温泉で大半を過ごす指宿にある温泉。佐賀の乱に敗れた江藤新平の訪問もあり。(48歳)
私学校を創る篠原国幹が監督する銃隊学校、村田新八が監督する砲隊学校、村田が監督を兼任した幼年学校があった。
 1876年

明治9

 私学校出身者が鹿児島県の政治を牛耳るようになる 明治政府から独立状態にあると見られる(50歳)
 廃刀令発令 武士としての特権を奪われ、各地で反乱が起きる!

西郷隆盛、そして西南戦争へ!

 1877年

明治10

 西南戦争勃発! 明治政府と西郷軍との戦い!(51歳)
高瀬の戦いで末弟小兵衛死す。
熊本城総攻撃するが落ちず
 分水嶺となった田原坂の戦いで西郷軍は敗退! 武器が旧式で数も少なく食料も不足していたため!勇猛の士が次々と敗死!
宮崎でも西郷軍連敗!西郷が陣頭指揮した和田峠でも敗退!
鹿児島城山で最後の決戦!村田新八アコーディオンを燃やす。政府軍にはまったく刃が立たず、、、。
9月24日早朝仲間の別府晋介の手で最期を迎える。桐野利秋も。被弾した西郷は仲間の手で最期を迎え、埋められた。
午前9時大雨の中、政府軍総司令官山県有朋により検屍され現在の南洲神社鳥居あたりに仮埋葬される享年51歳

江戸幕府を倒し、明治維新を開くところまではかなり勢い、パワーで半ば強引に突き進み突破し達成しましたね。

しかし、明治維新になったとたんもう役割は終わったと判断したのか?その動きは失速します。

そして西南戦争へなだれ込むわけです。

それではなぜ西南戦争へなだれ込んでしまったのか?

最後にこの問題を説明して終わりたいと思います。

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西南戦争に西郷隆盛が巻き込まれるに至った理由

西郷隆盛本人の身体的な問題と精神的な問題の2つの点が考えられると思います。

身体的な理由

西郷隆盛は怪我や病気を多く患っていました。

尾田栄作に刀傷をつけられたり、沖永良部島でフィラリアに発症したり、その後遺症で皮膚病にかかったり、

ストレスで肥満化したり、、、、。枚挙にいとまがありません。

病気のデパートと言えます。

特に維新後に症状悪化している傾向がありました。

なので身体的にかなり弱り、まともな状態ではなかったと言えるでしょう。

一説にはうつ病も発症している可能性もなきにしもあらず。

これではまともな判断は出来かねます。

健康な身体に健康な精神が宿るとはいいますが、これと全く逆の傾向がおきてしまったのでしょう。

私学校の生徒、先生達のほとばしる不満のエネルギーを抑えることは不可能だったのでしょう。

精神的な理由

一方で精神的な理由も考えられます。

西郷隆盛は、若かりし頃から開明的なカリスマ藩主島津斉彬に薫陶を受けていました。

しかし、農業主義という部分は年貢を納める百姓を管理する仕事をしていた関係上、抜けきれませんでした。

薩摩は海洋貿易で儲けたり、大砲、薩摩切子、などの産業もありましたが基本的に農業主義の国なのです。

斉彬死後、藩の実権を握ったのが久光でしたが、この久光には西郷隆盛疎んじられます。

薩摩を愛する西郷隆盛にとって実質トップとうまくいかないのはストレス。

さらに、維新後時代はさらに開明的、西洋の文化がどんどん入ってくるようになり、農業から工業へシフトしていくようになります。

これにも西郷隆盛にはストレスになったようです。しかもそれを先導するのが親友大久保利通ではストレスも倍増です。

最後は必然的に薩摩の農業主義と心中をするというふうに精神的に追い込まれてしまったのでしょう。

西南戦争に西郷隆盛が巻き込まれるには、このような背景があったと考えられます!

 

まとめ

 

矛盾も心の移り変わりも強さも弱さも清濁併せ持つとっても人間らしい人物、西郷隆盛。

その一生を年表でご紹介してきました。

そんな西郷隆盛を主人公にした物語を大河ドラマでスタート!

その大河ドラマがさらに楽しめるような情報をこのブログでお伝えしていければと思います!

 

そして、西郷隆盛最終章の西南戦争。

西南戦争になだれ込まざるを得なかった西郷隆盛の身体的、精神的な問題。

やはり必然だったのだと感じます。

歴史とは残酷なものだなと、感じずにはいられませんでした、、、。

しかし、その最後の日本の内戦があったから、それ以降大規模な内戦は起こっていないことを考えると、

西南戦争は内戦のピリオドを打ってくれたと考えることも出来ます。

意味のある戦いだったんだと私は思う次第です。

大河ドラマ「西郷どん」の原作をご紹介しておきます!

11月から発売されますので、是非チェックされてはいかがですか?
より楽しく見ることが出来ると思いますよ!

詳しくはこちらの記事をご覧ください⬇

 

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