島津斉彬!大河ドラマ「西郷どん」ではあの渡辺謙さんが演じます!!
他のキャストの簡単な情報はこちらをご覧ください→大河ドラマ・西郷どん全キャスト表!出演者と役柄、独自評価!
篤姫の養父で薩摩藩11代藩主「島津斉彬」の負けては勝ち、負けては勝ってきたその人生。
西郷隆盛を虜にさせたその人柄。
薩摩藩を近代藩として最強に仕立てたその功績。
是非私に語らせてください!!!!!
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その前に簡単な年表です!
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1809年 | 1 | 江戸藩邸にて生まれる |
1825年 | 17 | 将軍家斉から一字与えられ斉彬と改名 |
1849年 | 40 | お由羅騒動勃発 |
1851年 | 42 | 薩摩藩主となる |
1854年 | 45 | 集成館事業を本格的に始動 |
1858年 | 49 | 鹿児島で病死 |
それでは、行きますよ!
島津斉彬誕生!
1809年3月14日(ホワイトデー!)誕生!
薩摩藩10代藩主島津斉興の長男として生を受けます!
少年斉彬は生母「賢夫人」「徳川家康、伊達政宗、織田信長の血をひいている」弥姫自身が母乳で自らの手で育てられました。
これは最強の血筋ですね!
さらに、左伝、四書五経、史記などの中国の歴史書などを読み聞かせました!
きっと、潜在意識の中に刷り込まれていったはずです!
後年名君と呼ばれますが、その種がこの教育にあったのは確かでしょう!
島津斉彬青年時代!
8代藩主の曽祖父重豪の影響を受けて育ちます。
どんな影響だったか?
それは、洋学と、農業と、薬草と、天文学と、医療技術と、、、、、
本当に様々な事を学び影響を受けます!
曾祖父からの学びが更に斉彬をぐんぐん成長させることになります!
しかもかなり仲もよく、シーボルトに一緒に会いに行ったり、一緒にお風呂に入ったり!!
(原作では青年時代27歳の頃、少年西郷隆盛と初顔合わせがあります!)
しかししかし、此の2人に学んだことが、父斉興にとって面白くありません。
斉興は曾祖父重豪の手法(政策は良かったが、莫大な公金を湯水のように使う)を嫌っていたのです!!!わお!これが悲劇の始まりです!
藩主になれずの日々
通常でいけば20代になれば長男は家督を譲られ、父親は隠居するのが世の常でした。
しかし、父斉興自身が58歳になり長男斉彬が40歳になっても一向に家督を譲ろうとしません。
オーノー!なんてこと!
斉彬は聡明な青年でした!だって証拠に、将軍に可愛がられ、大名300諸侯で及ぶものなし!といわれるほどでした!
そんなおり、父斉興は恐ろしい発表をするのです!それは!
家督を側室お由羅の息子、5男久光に譲りたい!
ええええエッツ!なんてこと!
長男の斉彬ではなく、しかも側室の子供に家督を譲りたいって?
そんなこと、いくら藩主だからって!父親だからって許されるの?
そりゃ、体が弱いとか、性格、能力に問題あるとか、何かしら問題点があるならばまだしも、
斉彬には全く当てはまらないのですよ!
そりゃないよって感じですよね!
これはただでは済まない予感、、、
(この時点で母弥姫が生きていれば斉興を諌め、もしかしたら騒動には発展しなかったかもしれませんが、、歴史にもしはないですね!)
お由羅騒動に発展!
ガッテム!推測通り、お家騒動に発展してしまいます。
父斉興と久光派、対、斉彬派 のガチンコ対決です!!!
ガッツリ四ツ!!!
では、それぞれどんな人がどんな理由で支持していたのでしょう?
斉興、久光派は?
家老の財政改革で藩の借金を無くした「調所広郷」
(どのような改革で借金をなくしたか、気になる方はこちらの記事をどうぞ→調所広郷が藩の借金踏み倒し?奄美黒砂糖で錬金術改革?!)
筆頭家老の「島津久徳」
といった当時の薩摩藩の重役達です!
支持した理由は、曾祖父重豪同様、斉彬が散財をして財政を悪化させる可能性を危惧し、それを回避するため支持!
でも、倹約ばかりでは先に進めないってのもわからないとねえ?
斉彬派は?
家老「島津壱岐」などの改革派
若手の藩士達大勢
江戸幕府老中「阿部正弘」(支援)(斉彬が海外事情に詳しかったため)
支持した理由は、斉興の倹約一辺倒の政策に不満をいだいていたことと、聡明である嫡男斉彬に家督を譲らないなんて、あり得ない!!という思いから支持!
はじめに仕掛けたのは?
斉彬派が仕掛けます!!!!!
仕掛けた方法は?
「チクリ!」です。
誰に何をチクったか?
江戸幕府老中阿部正弘に、調所広郷が密貿易で不正に利益を上げていることを!チクリます!
結果、阿部に追求された調所は責任が斉興に及ぶことを恐れ服毒自殺します!
これで、斉彬派リードか?!しか斉興も負けてはいません!
右腕的存在を無くした斉興派の反撃!
とかく若手が多い斉彬派。血気盛んな若者は、久光派を襲撃する!などの噂が絶えませんでした。
その機先を制するが如く、斉興は、斉彬派がお由羅やその周囲の者を暗殺する計画を立てている!
という咎により、斉彬派に対し、切腹、蟄居、遠島の刑を次々と実行していきます!
まさに、「大どんでん返し!!!!」
斉彬の周囲には重役は誰ひとりとして残らず、1人になってしまいました、、、。ロンリー、、、。
斉彬派完全敗北?!
でも、戦いは終わっちゃいなかった!
戦いは最後までわからない!
一部斉彬派の藩士たちは脱藩し、斉彬の大叔父にあたる黒田長溥が治める福岡藩に逃げ込むことに成功します!
(黒田長溥は、島津重豪の側室の子供)
ここで一連の騒動を訴え、実家のゴタゴタを放おってはおけぬ!と立ち上がります!
阿部正弘老中を通じて将軍家慶から、斉興に対して隠居するように命じてもらうように要請をします!
これが成功します!
将軍からの要請はさすがに斉興も断れず、遂に隠居を受け入れます。
再再再逆転で斉彬の勝利!と言えるでしょう!!
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晴れて11代薩摩藩藩主となる!
さあ、やっと念願の藩主だ!
もう年齢は42歳。
でも年のことはこの際言うまい!
やりたいことをやるぞーーー!
ってことで改革に手を付けていきます!
その改革とは?
集成館事業!!!!
斉彬は、海防強化を推し進めるために、西洋技術を用いた工場を次々と建設していきます!
これらの工場群を「集成館」と名付けます。
かなりの最先端事業でした!
目的は、「富国強兵、殖産産業」です!
主な物を紹介すると
●大砲製造のための反射炉と溶鉱炉の建設!
●造船事業!
洋式帆船「いろは丸」、日本2番目洋式軍艦「昌平丸」、日本初蒸気船「雲行丸」などを次々とつくっていきます!
●木綿紡績工場
●ガラス工場(風鈴や花瓶など、切子硝子と呼ばれる)
●農機具製造工場
●地雷、水雷製造工場
●ガス灯製造工場
●火薬、薬品工場(特にハゼから作る蝋とクスノキからつくる樟脳)
「ライフル銃の起爆剤を芋から作成。この芋から作成した起爆剤を改良して出来たアルコールが芋焼酎です。父の斉興の口には合わなかったようですが、、、。」
●電信
●氷白砂糖
●写真(斉彬は日本現存最古の写真モデルでもあります)
といかにも軍事力が上がりそうで、国内生産がアップしそうな事業ばかりですね!
貧しかった武士の国、薩摩は一気に近代の強国にのし上がっていくのです!
これも斉彬の「集成館事業」のおかげと言って良いでしょう!
※海外の情報が入りやすかった海洋国家薩摩でしたが、フランスと軍艦の売買密約をした際に斉彬はルイビィトンのトランクを手に入れたらしいとの情報が?!これは隠れた日本の顧客第一号だったといいます。
その後の斉彬は?将軍跡継ぎ問題!篤姫が活躍か?
老中阿部正弘が亡くなると、井伊直弼が老中に君臨します。
そうすると、将軍の跡継ぎ問題が出てきて、また対立することになります。
やれやれ、またかあ と斉彬も思ったでしょう?
本当は、13代家定将軍の体が丈夫なら、篤姫に後継者がいたならば!
正室として輿入れした篤姫の養父である斉彬は、重要な地位につけるはずなのですが、、、、。
そうは問屋が下ろさなかったようです!
一橋慶喜を将軍に推挙する斉彬派と紀州藩主、徳川慶福を推挙する井伊直弼派が真正面から激突!
結局、井伊直弼が大老という立場を利用し、「安政の大獄」という厳しい取り締まりを反対派に対し断行!
斉彬は完全に負けます!
最期
最期まで諦めない人生を送ってきた斉彬は、井伊直弼に武力で対抗しようと画策します!
実際、5000人の兵を準備するが、半ばで発病し、死亡してしまいます!
ああ、志半ば、、、。
この死は、お由羅の呪いではないかと噂があります、、、。
もしそうだとしたら、最後の最後に斉彬は負けたことになりますが、はて真実はいかに?
まとめ
藩主になるまでは、曾祖父重豪と父斉興の間で翻弄された斉彬でした。
しかし、その40歳までの蓄積が、一気に藩主になって集成館という事業に注がれて今では世界遺産になるほどの
功績を残しました。
カリスマ藩主としても名を残すほどの人物でした。
だって、西郷隆盛も、斉彬が亡くなった時、自らも死のうとしたっていう逸話を聞いて相当尊敬していたんだな、好きだったんだなって思いましたもん!
偉大なる薩摩藩主、島津斉彬、永遠に!
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