杉謙信公は、お酒をこよなく愛し、そしていくら飲んでも酔いつぶれることのない大酒飲みであったといいます。

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上杉謙信と柳の酒

1559年2回めの上洛の際、関白近衛前嗣(このえさきつぐ)と共に足利義輝将軍(剣豪将軍)の室町邸に呼ばれたといいます。

この時謙信公は30歳、将軍と関白は24歳でした。

まだまだ若かりし頃の謙信公。それにしても、当時の日本の政治を動かしていたのがとてもお若い方の力で治めていた?という事実にも驚きます!

 

とにかく、そのお酒の席で3人は意気投合されたようです。

書状にも「3人でたびたび大酒を飲みました」との記録が残されているようです。

 

おそらく、このときに飲まれていたお酒の一つは「」でしょう。

 

当時、室町時代を代表する「京都の銘酒」です。

下京五条坊門西洞院(現在の仏光寺通西洞院南西)の柳酒屋が醸造しておりましてそれを略して「」と言われておりました。

柳の酒とは?

お酒に銘柄がついて最初と言われています!

当時の公卿や僧侶の日記にも「」は頻繁に登場し,贈答品としても珍重されていました。

美酒として知られ,六ツ星紋を商標に他の良酒よりも2倍近い価格がついていたようです。(甘めのお酒だったようです)

当時高級品と言われた清酒の代表格です。

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狂言でも、「松のさかやや梅つぼの、柳の酒こそすぐれたれ」と謡われていた程です。

 

柳という名の由来は,店の前に大きな柳の木があったからとも柳の樽を使用したからだともいい

ます。

柳酒屋の全盛期は室町幕府が同業者全体に賦課する酒屋土倉役の10パーセント以上を1軒で負担するほど儲けていたようでしたが、江戸時代初期には衰退してしまいました。

 

他には、大阪河内の「天野酒」奈良大和の「南都諸白の菩提泉」なども飲まれていたかもしれません。

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河内では醪の発酵が終わってもすぐに漉さず、もう一度蒸し米と麹を添えてアルコール分を濃くした二段仕込み

奈良大和では掛米、麹ともに白米を用い、三段仕込みで造られていました。

 

より澄んだ日本酒で、豊臣秀吉公も好んだお酒ですね!

 

作成は酒屋ではなく、大きな寺院で造られていました。

僧坊酒と呼ばれたお酒です。

 

しかし、この頃は寺院の権力を徹底的に織田信長公が押さえつけていったので手に入らなかったかもしれませんが

お酒好きの謙信公ならば手に入れていた可能性も???

 

上杉謙信公をもっと知りたいなって思った方は、こちらの記事もお楽しみになれる内容になってます!