2017年大河ドラマで柴咲コウさんが演じた、おんな城主「井伊直虎」の食事について書いてみたいと思います!
戦国時代の浜松あたりの武将は何を食べていたのでしょう?
おんな城主「井伊直虎」を簡単に説明
まずは簡単に井伊直虎をご説明します。
一言要点をまとめると
井伊直虎は戦国時代に遠江(静岡県浜松付近)井伊谷の領主を務め、徳川四天王で有名な「井伊直政」の養母になった女性です。
波乱万丈の生涯
井伊直虎の人生は波乱万丈で、出家したり、今川家の目付け役小野氏のせいで今川家に疑われ許嫁を殺されたり、武田家の侵攻にはただただひたすら蹂躙させられたり、その後の後継者井伊直政をかばったり。
最終的には井伊直政を徳川家康に仕えさせることで大きな後ろ盾ができ、なんとか井伊家を存続させることができました。
良かったです!
井伊直虎が頑張らなければ井伊家は無かったかも?
彼女の頑張りで井伊家が存続できなければ、徳川四天王の「井伊直政」もいなく、豪徳寺に猫の伝説を残した「井伊直孝」もいなく、江戸時代に大老になり安政の大獄から桜田門外の変で亡くなった「井伊直弼」もいなかったかもしれません。
井伊家菩提寺「龍潭寺」に殺された許嫁とともに今も眠っております。
おんななのに「直虎」?
ちなみになぜ女なのに「直虎」という男のような名前なのでしょう?
これは次々と男の井伊家の後継者が殺されていく中、また周りは強国だらけの中、領主になった直虎はその試練を乗り切るため、名前を男勝りにしてなんとか現状を打破しようという考えから「直虎」を名乗ったのでした。
それではそんな激動な人生を井伊家を引っ張りながら生き抜いた直虎の食事はどんなものだったのでしょう?
おんな城主「井伊直虎」の食事は?
1.精進料理
おんな城主であった井伊直虎は、どんなものを食べていたのでしょうか?
小さい頃に既に龍潭寺にて出家をした井伊直虎は、地元の「精進料理」など食べていたのでしょう。
主食は「麦飯」あたりでしょうか?
味噌汁は、「赤出汁」だったのでしょうね。
ご飯と一緒に食べたのはきっと「浜名納豆(浜納豆)」。
これはそもそも普通の精進料理では飽き足らない大福寺の僧が試行錯誤した上開発した物だそうです。
ちなみに値付け親は徳川家康です。
塩辛い味で、めちゃくちゃ栄養はあるのですが、この糸引かない納豆をぼろぼろと食べていたのでしょう。
栄養付けて苦難を乗り切るパワーの源となったのでしょう。
2.デザートは「味噌饅頭」
軽食としては、「味噌饅頭」など食べられていたのではないでしょうか?
※このころは茶饅頭と呼ばれていたと思われます。
味噌といっていますが、味噌は入っておらず見た目が味噌っぽいゆえにその名前になったようです。
これだけ厳しい状況ならば、たまには甘いものも食べなければやっていられません。
当時でいえば甘いもの原料はなかなか手に入らなかったかもしれませんが、豪商の瀬戸方久が仕入れていたのかもしれませんね。
3.飲み物はやっぱり「お茶」
浜松あたりを支配していた今川家の影響で「お茶」などもよく飲まれていたのでしょう。
戦国時代、駿河路を支配していたのは今川氏です。
特に氏親、義元の頃が文化も全盛でした。
京都から今川氏のもとへやってきた公家たちによって、茶の湯や茶菓子の風習が今川館でも華やかに繰り広げられていたようです。
静岡でお茶が栽培されるようになったのも、この頃からです。
美味しいお茶に、地元のおまんじゅう。
すごい豊かな食生活です。
今川、徳川、武田家に翻弄された井伊直虎でしたが、数ある危機を全て乗り越えて来ました。
現在では大河ドラマの主役や、ゲームに登場するなど当時のご本人は想像もつかなかったでしょうが、こうして今話題になっていることを遠くの空から見守ってくれているでしょうね。
まとめ
波乱万丈な人生を生きた井伊直虎ですが、彼女が井伊家を守らなければ、その後の日本の歴史もだいぶ変わっていたことでしょう。
またそんな彼女は「精進料理」「味噌饅頭」「お茶」を召し上がっていたのでしょう。
激動の時代を乗り切れてよかったと思います!
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