戦国時代をこよなく愛す激務ファミレス店長南昌幸がお届けする、

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映画「関ケ原」の中に、柳生石舟斎と島左近公が対面して出て来るくだりがあります!

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

私は、ここのところ良く理解できなかったので、ちょっと調べてみました!

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島左近公について

私の記事でも幾つか書かせていただいているので、そちらを参考にしていただければ幸いです。

島左近公の魅力について

島一族について

 

柳生石舟斎とは?

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柳生という名前はよく聞くのですが、なんとなく「カッコイイな」くらいで

詳しい事をあまり知りませんでした。

 

ここらでちょっと詳しくなっちゃおう!ということで、簡単ではありますが調べてみましょう!

 

一言で言えば「剣の人」ですね。

どんな人に学んだのか?

色んな人に学んでいます!

1,富田流(とだりゅう)の戸田一刀斎(鐘捲 自斎(かねまき じざい)にまず学んでいます!

(この戸田一刀斎の弟子には巌流島で著名な佐々木小次郎も居たといいます!)

2,新当流の神取新十郎に次に学んでいます。

3,その後、新陰流上泉信綱に弟子入りをして自らの剣を磨きに磨きをかけます!

そこで、免許皆伝!そして一国一人の印可を受けるに当たります!

 

その後大和国(奈良県)を治める筒井順慶公の家臣となります。

 

島左近公とは、この筒井家に仕えていた時に一緒になります!

この当時の筒井家は今考えると強い武将がそろっていますね!

(島左近公に柳生石舟斎公とは豪華!)

この頃二人はどんな会話をしていたのでしょう

日本の将来について語り合ったことでしょう!

その熱い議論を想像するだけで熱くなってきます

 

 

その後、主君を変えながら家を守っていくのですが、太閤検地のときに隠し田が見つかってしまい、

領地を没収されたり、苦渋の時代を過ごしたりします。

 

しかし、黒田長政公の取り成しにより徳川家康公に招かれ、

無刀取りの術技を示し、剣術指南役を請われました!さすが剣豪!!自分の道を剣で切り開く!

(無刀取りとは、剣を持っている相手の懐に入り込み、刀を素手で挟み込み相手を制する技です。

師匠の上泉信綱公が考案し、石舟斎が完成させました)

余程家康公も感銘をうけたのでしょう!

さすがに当時もう老齢だったので、息子の宗矩を推挙したといいます。

 

柳生の里で80歳で亡くなります。

 

といった感じでその後将軍の剣術指南役を代々してく柳生家の礎を築いた人です

 

それでは映画に出てくる二人の息子をご紹介致します!

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三男柳生宗矩公

無刀取りを家康公の前にて披露された時より、家康公に仕えます。

 

映画では、宗章公こと五郎右衛門と剣の技術を徳川家康公、小早川秀秋公の前で披露します。

コレは迫力ありましたあああ!

剣の道はなかなかにストイックだとは思いますが、観るものを魅了してやまない物があります!

 

その後は関ケ原前哨戦の会津討伐への参加や、西軍の牽制、関ケ原の本戦への参加等、

きっちりと実績を積み重ねていきます!!!!

 

関ケ原の表舞台には目立って出てきていないので、派手な実績は狙わなかったのでしょう!

映画で、家康公が忍者に狙われる時などに登場させても面白かったかも?

 

剣の技術はかなりの技術があったようで、家康公、秀忠公、家光公の三代に渡り剣術指南を任されています。

「古今無双の達人」「刀術者之鳳(おおとり)」「剣術古今独歩」「剣術無双」など

様々に賞賛されていることからも凄さが伝わってきますね!

 

その後、どんどん将軍に重宝され家光公の時には大名に成り上がります!

(一介の剣士が大名になるのは柳生宗矩公唯一無二です!

 

実際に人を斬ることは無かったと言われていますが、大阪の陣のとき秀忠公を守るため

愛刀「大天狗正家」で豊臣方の七人を瞬く間に斬り落としたと言います!

(後にも先にも人を斬ったのはこのときだけだそうです!伝説ですね!)

 

また、思想家としても優れていて、「兵法家伝書」は後世にも多くの影響を与えています。

子供には、隻眼の剣士で剛勇絶倫酒豪な長男十兵衛、剣術指南役を引き継いだ宗冬公などがいます。

刀 日本刀 剣 子どもの日 子供の日 こどもの日 七五三 和 日本 文化 日本文化 侍 切る 抜き身 武士道 刃 黒バック コピースペース 切れ味 かっこいい 鉄 砂鉄 鍛冶 古 合戦 戦国時代 戦国 模造刀 剣道 剣術 武士 将軍

四男柳生宗章公

ところで、映画の中で、二人の息子のうち小早川秀秋公に仕えたもの、

それが柳生宗章公、すなわち五郎右衛門と家康公に呼ばれていた若者です!

 

関ケ原では小早川秀秋公の警護にあたって居ました!

映画では、小早川秀秋公に仕えた後、見つけられませんでした!

きっと、秀秋公の近辺にいたと思うのですが!

 

小早川秀秋公裏切りの時、この柳生五郎兵衛を派手に登場させても

良かったのではないか?と思います!島信勝公と切り合いをするとか!!

 

宗章公は、その後、武者修行で真田家の重臣と出会ったり、

米子藩で客将として仕えたりします。

 

その米子藩のお家のトラブルにより戦いに巻き込まれた際、

吹雪の中で数本の刀を差して敵兵18名を切り倒すなど奮戦しつつも

最後は刀折れて壮絶な最期を終えるのです!!!

 

人の人生さまざま!!!

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島左近公と柳生石舟斎との関係は?

コレは、まさに戦国時代を生きた武将のライバル同志と言って良いでしょう!

島左近は石田三成公につき、柳生石舟斎公は徳川家康公につきました。

 

もちろんコレにより、関ヶ原後の明暗は一旦は分かれます。

 

柳生家はご紹介の通り、徳川の時代に幕府の重要な役割を剣術指南役として果たしていきます。

 

島家は長男が亡くなり、三男、四男も亡くなります。島左近公自身も行方知らずになります。

 

しかしながら、島の血はここで絶えませんでした!

 

島左近公の末娘、珠は、柳生宗矩公の兄、柳生厳勝公の息子の側室となり、

その息子は柳生最強の剣士、柳生連也斎公となるのです!!!

(柳生新陰流を完成したのは柳生連也斎公とも言われています!)

 

そして柳生連也斎公はなんとかして島家を再興する動きも見せますが、

最期まで独身で過ごし血は絶えます、、、。ああ!

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まとめ

島左近公と柳生石舟斎公は大和の国で共に戦国時代を生き抜いた

仲間同士でした!

 

その後、徳川家康公と石田三成公と仕える人はわかれますが、

その子供の世代では、一緒になる部分もあり、

本当に良い関係を築いていたのだと思います!!!