戦国武将・織田信長が所持した名刀4振りとは「へし切長谷部」「不動行光」「宗左左文字」「薬研藤四郎」のことです。
4振りの刀たちについての逸話もかなり面白いのですよ!
また「映画刀剣乱舞」でも登場していて大活躍しています!
今回は、そんな織田信長が所持した刀について深掘りしていきますね!
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織田信長と刀
戦国時代、多くの戦国武将達が天下取りや領地拡大を目指し、絶え間なく戦に明け暮れていました。
その中で、勝利を重ね、天下統一目前まで行ったのが、尾張(愛知県)出身の織田信長でした。
多くの戦の過程で、沢山の名刀を手に入れ所持していました。
その数500振り程だったと言います!!すごい!
それではその一部ですが、ずら~っと見てみましょう!
左文字系
●宗三左文字(そうざさもんじ)「重要文化財」
●道祐左文字(どうゆうさもんじ)
藤四郎系
●薬研藤四郎(やげんとうしろう)
●北野藤四郎(きたのとうしろう)→次男・織田信雄へ
●鎬藤四郎(しのぎとうしろう)→三男・織田信孝へ
●無名藤四郎(むめいとうしろう)
●新身藤四郎(あらみとうしろう)→豊臣秀吉へ
●豊後藤四郎(ぶんごとうしろう)
●朝倉藤四郎(あさくらとうしろう)
備前長船系
●鉋切長光(かんなぎりながみつ)→家臣・丹羽長秀へ
●香西長光(こうざいながみつ)
●津田遠江長光(つだとおとうみまさむね)「国宝」・・明智光秀の家臣へ
●青屋長光(あおやながみつ)
●大般若長光(だいはんにゃながみつ)・・徳川家康へ
●備前長船景光(びぜんおさふねかげみつ)
●備前長船光忠(びぜんおさふねみつただ)
●備前長船長義(ちょうぎ)
正宗系
●上龍下龍正宗(のぼりりゅうくだりりゅうまさむね)→豊臣秀吉へ
●大通し正宗(おおとおしまさむね)
●氏家正宗(うじいえまさむね)
●小手切正宗(こてぎりまさむね)
●三好正宗(みよしまさむね)
光忠系(25~32振り)
●実休光忠(じっきゅうみつただ)
●小光忠(こみつただ)
郷義弘系
●大郷義弘(おおごうよしひろ)→戦国武将・荒木村重へ
●森川郷(もりかわごう)
国行系
●不動国行(ふどうくにゆき)
●佐々木国行(ささきくにゆき)
一文字系
●荒波一文字(あらなみいちもんじ)→長男・織田信忠へ
●長篠一文字(ながしのいちもんじ)「国宝」→奥平貞昌へ
●岡田切(おかだぎり)「国宝」→次男・織田信雄へ
その他
●宗三信國(そうざのぶくに)
●不動行光(ふどうゆきみつ)→森蘭丸へ
●へし切長谷部(へしきりはせべ)「国宝」→黒田官兵衛へ
●星切(ほしきり)→長男・織田信忠へ
●抜国吉(ぬけくによし)→豊臣秀吉へ
●来国次(らいくにつぐ)
●鬼丸国綱(おにまるくにつな)「御物・皇室に伝わる宝物」→豊臣秀吉へ
●童子切安綱(どうじぎりやすつな)「国宝」→徳川家康へ
などなど・・・。すごい数ですねえ。これも一部です。
その中でも特に名高い名刀4振りが「宗左左文字」「へし切長谷部」「不動行光」「薬研藤四郎」です。
これら4本の名刀について基本的な情報を見てみましょう。
織田信長が所持した名刀の基本情報(名前・展示場所など)
4名刀の基本情報です!
宗三左文字(そうざさもんじ)(義元左文字)
引用:歴史人
展示(所蔵)場所・・建勲神社(たけいさお・けんくんじんじゃ)(織田信長が主祭神)
時代・・南北朝時代
作者・・左安吉(ひだりやすよし)(鎌倉時代末期の筑前国の名刀工)
主な所有者・・三好宗三→武田信虎→今川義元→織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家康
へし切長谷部(へしきりはせべ)
圧切長谷部は棚を切っていない!信長が茶坊主を手討ちにする際、膳棚の下にもぐりこまれ刀を振り下ろせなかったため、棚の下に刀を差し入れ押し当てただけですっと切れたという鋭い切れ味を表現。巷間言われる「棚ごと切った」では、ただのよく切れる刀となり、圧切の意味をなしません。#福岡市博物館 pic.twitter.com/KaqYpSN8Gt
— 福岡市博物館 (@fukuokaC_museum) 2019年1月23日
展示(所蔵)場所・・福岡市博物館
時代・・南北朝時代
作者・・長谷部国重(正宗十哲の一人、名刀工!)
主な所有者・・織田信長→黒田官兵衛→黒田長政
不動行光(ふどうゆきみつ)
引用:佐野美術館
展示(所蔵)場所・・個人蔵。2019年2月24まで佐野美術館
時代・・鎌倉時代
作者・・藤三郎行光(相州伝の名刀工)
主な所有者・・織田信長→森蘭丸
薬研藤四郎(やげんとうしろう)
7月1日の「薬研藤四郎」再現刀のご奉納を記念して、本日より、薬研藤四郎の飾り絵馬(初穂料1200円、17.5cm×11.5cmサイズ、脚付&化粧箱入)の授与を開始しました。 pic.twitter.com/eITPcoUZk6
— 建勲神社 (@kenkun_jinja) 2018年9月2日
展示(所蔵)場所・・不明(現存していない)(写しは建勲神社にある)
時代・・鎌倉時代
作者・・粟田口吉光(京都山城の刀工・通称藤四郎)
主な所有者・・畠山政長→足利将軍家→松永久秀→織田信長→豊臣秀吉→徳川将軍家→不明(現存していない)
この4振りにはかなり興味深い逸話が残されているのです。
それではその逸話をみてみましょう!
織田信長4名刀逸話
宗三左文字(義元左文字)と織田信長逸話
引用:歴史人
今川義元から分捕った刀
「桶狭間の戦い」という織田信長が一気に全国にその名を知らしめた有名な戦いがあります。
当時、東海一の弓取りと言われ、天下に号令する地位に一番近いと言われていた駿河(静岡)の戦国大名・今川義元を、まだまだ駆け出しで、ひよっこの織田信長が、戦国の世界に生き残るために立ち向かい、桶狭間(田楽狭間)にて見事今川義元の首を取ることに成功した戦いのことです。
関連記事:桶狭間の戦いとは?織田信長の名を世に売り出した出来事!
その際、今川義元から分捕った刀が「宗三左文字(義元左文字)」でした。
刀に織田信長の名前を刻む!
そしてすごいのが、この刀の茎(なかご・刀身の持ち手の部分)に刻ませた文字なんです!
「永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長」と刻まれています。
なかなかこのように刀の作者ではなく、所有者が名前を刻むことは少ないです。
よほど桶狭間の戦い、またはこの刀に対して思い入れが強かったのでしょうね。
いわば記念刀とでも言えるでしょう!
本能寺の変で焼ける
宗三左文字が織田信長と別れ、そして豊臣秀吉に渡ったいきさつは、本能寺の変においてと言われています。
2つ説があります。
1,焼け落ちた本能寺から豊臣秀吉が自ら見つけ出した。
2,松尾大社の神官の娘が、本能寺から宗三左文字を持ち出し、松尾大社から豊臣秀吉に渡った。
最後まで織田信長のもとにいた刀なのですが、本能寺の変で死に別れし、その後豊臣秀吉に渡ったのでした。
名刀は受け継がれるってことです!
へし切長谷部と織田信長の逸話
ウラ長谷部、観てきましたよ(*´∀`)福岡では初だとか#福岡市博物館#へし切長谷部 pic.twitter.com/RJTXtLOHrE
— はにわ┏|∵|┛ (@luna0402) 2019年1月25日
名前の由来は人を斬ったところから
「へし切長谷部」は、名前の由来が面白いのです!
ある時安土城で観内という茶坊主(当主に仕える雑用係)が信長に無礼を働いたため、成敗しようとしました。
観内は逃げました!追いかける信長!
そして最後台所の棚の下に逃げ込んだ観内を信長が棚の隙間に刀を入れ、押し当てたら(圧し切る)すーーーっと切れた!のです。
※「へし切」とは、「圧で斬ること」
振り下ろさなくても、斬ることが出来る抜群の切れ味から「へし切長谷部」と呼ぶようになりました!(長谷部は作者の名前です)
黒田家に恩賞として渡り、福岡の守刀となる
切れ味バツグンの名刀「へし切長谷部」は、後に豊臣秀吉の軍師(戦略を提案する家臣)を勤める黒田官兵衛に恩賞として渡されました。
※黒田官兵衛とは、兵庫の姫路生まれで、キリシタン大名(キリスト教を信仰する大名)であり、筑前福岡藩の最初の藩主となった人です。
この黒田官兵衛から代々黒田家に受け継がれ、現在は福岡市博物館にいます。
福岡が発展する守刀になって行ったのかも知れませんね!
不動行光と織田信長の逸話
引用:https://twitter.com/sanobi_koho
酒の席での歌詞に出てくる程愛された刀
織田信長が酒の席で、酔っ払うと口にする唄がありました。
「不動行光、九十九髪、人には五郎左御座候♫」(ふどうゆきみつ、つくもがみ、ひとにはごろうさござそうろう)と膝を叩いて唄ったと言います。
※九十九髪は有名な茶入「九十九髪茄子」で、五郎左は信長の無くてはならない重臣「丹羽長秀」の事を指します。いずれも織田信長が愛したものです!
酔って気分が高まると、愛したものを並べ唄って楽しんだんですね。想像すると楽しい!
織田信長が小姓・森蘭丸に不動行光を渡した理由
森蘭丸は、織田信長の小姓(身の回りを世話する家来)でして、とっても近くで仕えていました。
信長がトイレに行っても付いているくらいでした。
いつも信長が用をたしてる待ち時間の間、蘭丸は信長の愛刀・不動行光の鞘の刻み目の数を数えて待っていました。
それを知っていた信長が、ある時小姓達を集め「不動行光の鞘の刻み目の数を当ててみよ。当てられた者には、褒美にこの刀をやろう!」と提案します。
しかし知っているはずの蘭丸が何も答えないのをいぶかしみ、「なぜ言わないのか?」と信長が聞くと、「数を知っている自分が答えるのは不公平なので黙っていた」ことを伝えました。
信長は「正直だ!」と大きく感心して、不動行光を蘭丸に与えたというのです。
こういう謙虚さを信長は買っていたんだなあと思わせるエピソードですね!素晴らしい!
薬研藤四郎と織田信長の逸話
織田信長公愛用の短刀「薬研藤四郎」の写し(藤安将平刀匠により再現)を、信長公の家臣有縁の方よりご奉納いただき、本日、奉納奉告祭を執り行いました。10月19日(金)の船岡大祭の後10月28日(日)まで(10月19日は14時~17時、10月20日~28日は9時~17時)公開の予定です。 pic.twitter.com/vWaJhnc6Yn
— 建勲神社 (@kenkun_jinja) 2018年7月1日
薬研の名前の由来とは?
始めの所有者畠山政長が切腹しようとした際、3回突き立てても腹に刺さらず、使い物にならない!と怒って投げ捨てると、置いてあった鉄製の薬研(薬草をすりつぶす道具)に深々と突き刺さったのです。
これは、短刀が主の命を絶つことをためらったとして家臣たちは感心し、それが語り継がれるようになったのです。
その後宝刀名刀コレクターの足利将軍家を経て、松永久秀へ、そして織田信長へ献上されることとなるのです。
本能寺の変で織田信長切腹時に使われた?
そんな伝説を持つ薬研藤四郎ですが、織田信長が本能寺で切腹(安土城かも?)したときに使用された可能性があります。
もちろん根拠はないのですが、本能寺の焼け跡の中から豊臣秀吉が見つけたという由来からですね。
織田信長のときは切腹に使用できたという事になり、この短刀は人を選んでいたのか?と思うとちょっと怖くなりますね!
と実際に伝わる伝説を見てまいりました。
どれもこれもよだれが出そうなほど興味をそそる内容です!ふっふっふ。
では、次に刀剣乱舞に出てくる刀剣男士と織田信長との関係をみてきましょう
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刀剣男士と織田信長の刀の関係は?
「刀剣乱舞」という映画で出てくる刀(刀剣男士)と織田信長との関係を見てましょう。
※刀剣男士とは?日本の刀剣をモチーフにしたキャラクターの事。
関連記事:映画刀剣乱舞キャスト・カフェ情報など!2倍楽しく!
映画では織田信長が所持していた刀を含む、刀剣男士達が任務を受け、「織田信長暗殺!」という過酷な運命に付き合わされることになるのです。複雑な試練ですね!
では、4振りの名刀が刀剣乱舞ではどういうキャラクターなのみてみましょう!?
宗三左文字は?
映画刀剣乱舞にはでてきませんが、織田信長~豊臣秀吉~徳川家康と、相当なメンツの元にいた刀。
今回映画刀剣乱舞にもし出ていたらやはり、所有者「織田信長の暗殺」はちょっと腰が引けちゃうんだろうか?
だって、若かりし日の織田信長の超記念碑的な刀ですもの。
へし切長谷部は?
かなり真面目でクールな性格で、すっごい主に対して忠実な動き方、考え方をします。
また、隠し事が嫌いで、はっきり言って欲しいタイプ!
三日月宗近にも「はっきり言って!」とせめよります!
早い段階で信長の手を離れ、黒田家に渡った刀なので、ちょっと根に持っている部分もありそうです。
まあ、なかなか複雑でさあね!
不動行光は?
本能寺の変で焼けてしまうところから、自分の事をだめな刀と思っている様子。
また、信長の手を離れ、森蘭丸のもとに渡ったことにも不満が・・?
信長が酒を飲むと「不動行光~」の唄が出ることから、キャラクターもお酒をいつも飲んでいますねえ。
このあたりの関連性ってたまりません!
薬研藤四郎は?
最後まで織田信長の元に残ったと言われる刀剣ですね。
織田信長と一緒に焼けてしまった刀剣です。
最後はちゃんと主の腹を突き刺すことが出来たのか!?
織田信長刀模造刀
そんな織田信長の刀たちが模造として復活!
へし切長谷部の模造刀
宗三左文字の模造刀
薬研藤四郎の模造刀
いつか手に入れたい!
まとめ
戦国武将・織田信長が所持した名刀4振り、すなわち「へし切長谷部」「不動行光」「宗左左文字」「薬研藤四郎」を見てまいりました。
4振りの刀たちについての逸話もかなり面白かったですねえ!
また刀剣乱舞に登場する4つの刀たちと織田信長との関係もおもしろったです。
そして模造刀など、気になりますねえ!
もし日本刀に興味がある方は、こちらの記事も面白いかもです!