戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長、南昌幸がお届けする
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徳川家康公は色々な名前を持っています。それを詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください!
で、今回は、戦国武将の名前の構造を簡単にご説明していきたいと思います!
戦国武将の名前の構造
例として、徳川家康公をあげてみていきましょう!
4つのパーツに分かれます。
実名でご説明しますね!
◯源朝臣徳川内大臣家康
◯「源朝臣」「徳川」「内大臣」「家康」
①氏姓→源朝臣
②名字→徳川
③通称(仮名)→内大臣(豊臣政権時代)
④名前→家康
の4つに分けられることが出来ます!
では、それぞれ見ていきましょう!
①氏姓→源朝臣(みなもとのあそん)
「氏」の意味は「一族、血族の集団。」といった意味です。
「姓」の意味は、血族の支配階級の中の構成単位となっていきました。
(氏と姓が合わさって氏姓制度となっていきます)
公(きみ)君(きみ)朝臣(あそん) 連(むらじ)など数十種類あり、身分や地位を
表すようになっていきました。
その内、「朝臣」は皇族以外の臣下では一番上の位だったのです!
一言で言うと、徳川家康公の氏、姓は、
「源氏の血縁集団の中の朝臣という身分に分類される」ということです!
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②名字(苗字)→徳川(とくがわ)
名字(苗字)は家(家系や家族)の名のことを言います!
氏が血縁だとすると、名字は、家族単位そして土地に由来するものでありました。
徳川家康公の場合は、源氏の新田義重公の四男が、上野(現在の群馬県)の得川郷(これが土地由来) にて、「得川」を名乗ったことが由来です。
家康公は、得川家の末裔だと称して名字を貰い受け、「徳川」という名字が誕生したのです!
③通称(仮名)→内大臣(内府ないふ)
詳しくは以下の記事を参考になさって下さい!
「内府様」徳川家康公は実名ではなく仮名で呼ばれていた!受領名編!
司法、立法、行政を司る最高国家機関を太政官といいますが、
そのトップが太政大臣。次が左大臣、右大臣。No.4が内大臣です。
普段は家康公はこの官職名で呼ばれていました。
映画「関ケ原」を見てもそうですよね!
「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。
④名前→家康(いえやす)
名前は実名、本名ともいい、「諱」(いみな)と言われます。
詳しくは下記の記事を参照にして頂ければと幸いです!
戦国武将の実名(例えば徳川家康)は「諱」(いみな)。口に出してはいけない本当の理由とは?
実際「家康」という実名で呼ばれることはほとんどありませんでした。
まとめ
戦国時代の武将の名前を分解して簡単に構造についてご説明してきました。
4つのパーツにわかれ、
1,氏姓
2,名字
3,仮名(官名)
4,名前(実名)
で構成されています。
殆どが、仮名で呼ばれていました。
この構造が分かると、映画「関ケ原」でも、徳川家康公が「内府様」と
呼ばれているかがわかってスッキリするのではないでしょうか!