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戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長の南昌幸がお届けする

ブログにお越しくださいましてありがとうございます!

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戦国時代の武将たちは、実名で呼ばれることはほとんどなかったのです。

なぜ実名で呼ばれることがなかったのか?

それは、、、

戦国武将の実名(例えば徳川家康)は「諱」(いみな)。口に出してはいけない本当の理由とは?を参考にしてみて下さい

 

では、どのような名前で呼ばれていたのでしょうか?

それが、仮名(けみょう)と呼ばれるものです!

仮名とは通称のことで、戦国武将たちは、主に、受領名と官名を用いていました!

その2つの仮名のうち受領名について調べてみたいと思います!

 

この知識を得ることで、戦国時代の映画や、大河ドラマがちょっと楽しく詳しく見れたりしますので、

そんな気持ちで見てみてくださいね!

 

受領名とは?

一言で言うと、国司(中央から派遣された行政官)の呼び名のことです。

 

国司をもう少し詳しく→地方行政の単位である「国」(今で言うと都道府県に近い)の行政官として

中央から派遣された官吏(国務に携わり、忠実に任務をこなす義務を持つ役人)のことをいいます。

 

「受領」とは実質的な「長官」を意味しますので、簡単に訳せば、「地方行政長官名」となりましょう。

鎌倉時代から受領名の変化について!

門 木造 古い 昔 植物 柱 かわら 瓦 カワラ 通行 筋交い 桜 さくら サクラ 遺跡 宿場 小夜の中山峠 日坂宿 人馬 輸送 大井川 川止め 広場 本陣 侍 役人 脇本陣 旅籠 はたご 大名 参勤交代 宿場町 賑わい 町並み 観光 観光施設 人物なし

しかしながら、この意味が効力をなし得たのは、鎌倉幕府前までで、鎌倉幕府以降、

地方を実質的に管理する「地頭」や「守護」が権力を増大させていき、守護大名、

ひいては戦国大名へなっていきます。

 

すると、「受領」と言うのは名ばかりになりはて、でも、実名は名乗れない武将たちは

この「受領名」を非公式に使って、仮名としていったのです。

要するに「肩書」です。ステイタスと言っても良いでしょう!

いまで言う、「〇〇知事」とか、

カッコイイ地名や官名を勝手に名乗って行くのが戦国時代です。

 

実際に武将たちは受領名で呼ばれていました!

 

 

例えば、豊臣秀吉公が羽柴秀吉公だった頃の「筑前守」や織田信長公の「上総介」などが

それに当たります。

 

秀吉様→「筑前」で呼ばれていた!

信長様→「上総介」で呼ばれていた!

 

しかし!!

実際に豊臣秀吉公はその当時、「筑前」(現在の福岡)を治めてはいませんし、

織田信長公も「上総」(現在の千葉県中部)を全く治めてはいませんでした。

しかも、「上総」といえば、かつて天皇の皇子だけが任ぜられるものだったので、

織田信長公は決して任ぜられることがない受領で、100%自称でした。

特に「上総守」などは、かなり泊の付く肩書だったでしょう!

 

本来の意味は、その地の行政を治めていく事にありましたが、実際は有名無実化し

「受領名」という名前だけが残り運用されていったことがわかります。

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受領を利用した例

しかしながら、ゆかりの地への任官を求めた場合もあります。

徳川家康公は、正式に朝廷に対し家康公の地元「三河」を治めるべく、

三河守」を求め、実際に叙任(じょにん)されています

 

また、前述の豊臣秀吉公の「筑前守」は将来の九州平定を見据えた上で、

受領を先取り要請したケースもありました。

(実際、豊臣秀吉公は九州も平定しちゃいます!)

受領にはお金がかかる?

正式に朝廷に要請して、拝領するためには、それなりの費用もかかったようです。

なので、正式な手続きを行わず、勝手に名乗ってしまうことも多かったといいます。

徳川家康公の官職についてご説明します!

徳川家康公は、豊臣政権時代、内大臣という官位にいました。

これを主に仮名としていました。

映画「関ケ原」で「内府様!」「内府!」って呼ばれているのは

まさに内大臣の呼び名で言われているのです。

この辺もチェックしてみると面白いかもです!

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

 

まとめ

受領名とは、実名で呼べない戦国武将たちが、仮名として、

費用や手続きがかかる朝廷に要請する正式の方法を取らず、

勝手に名乗った名前の事を言います。

 

なので、格好いい名前や、格式高い名前が勝手に使用されました。

 

しかし意味のあるものも、徳川家康公の「三河守」や豊臣秀吉公の「筑前」

は、地元であったり、将来的に治める予定の地、だったりしました。

 

なので、少し歴史を知っている方は、この武将になんでこの受領なんだろう?

考えられた方は、自分勝手につけてましたあああっていうのが正解です!

 

徳川家康公をもっと知りたい!という方は、以下の記事でもお楽しみになれます!