戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長南昌幸がお届けする

ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます!

 

映画「関ケ原」の主役である、石田三成公の6人の子どもの後を

追ってみたいと思います!

スポンサードリンク

何故追ってみたいと思ったかといいますと、

劇中に、豊臣秀吉公の正室(奥様)である北政所が言っていた、

三成は負けたほうがええ、でも三成の血は残したほうがええ

という言葉がどうも耳から離れないのです!!

DVDの中では「1:26:54」のあたりで見れます!

 

北政所のいう「三成の血」はどうなったのか?

その言葉の意味は何だったのか?

気になってしまったので、ちょっと調べてみたいと思います!

 

「関ヶ原」についての簡単な解説は、『関ケ原の戦い!合戦に至る経緯を分かりやすく5分でまとめました!映画「関ケ原」を10倍楽しめます!』をご覧ください。

映画関ケ原公式サイト

石田三成

石田三成公には子供が6人、三男三女いました。

それぞれ見ていきたいと思います!

石田三成公の6人の子供の行方!

長男石田重家

1583年生まれです。(1587年とも言われます)

関ケ原の戦いのときは、豊臣方の人質として大阪城にいたようです。

その時、17歳(13歳)ですね。まだ若かりし頃!

 

どんな思いで大阪城にいたのでしょうか?

父親は、西軍の中心人物として日本最大級の戦を計画している真っ最中!

父親と一緒に戦いたい!と思ったでしょうね!

 

しかし、関ケ原は終わり、密かに大阪城を脱出した重家公は出家して仏門に入ります。

家康公から本来なら処刑される所、年齢が若かったので、許されています。

ここでも、もしかしたら北政所様のあの言葉「三成の血は残したほうがええ」

が家康公の耳に入っていたのかもしれません!

 

そして、重家公が後に春日局の側近として大奥で仕えることになる祖心尼に禅を教授したと言います。

徳川家女中の意識向上に一躍買ったと言われています!

素晴らしいですね!

 

重家公は、長生きして104歳までいきます!すごっ!超長生きです!

三成公2人分以上を生きながらえることとなります!

 

次男石田重成

豊臣秀頼公の小生として仕えていましたが、関ケ原で西軍が敗戦すると

津軽信建公 を頼り津軽(現在の青森県)へ落ち延びます。

 

(何故津軽なのか?これは父石田三成のはからいで、津軽家が存続できたという

そんな関係性があったからにほかなりません!)

 

そこからは杉山源吾と名乗り侍大将などをしていたと言います!

 

その後、石田重成公の息子の子孫が、津軽を治める弘前藩の忍者を統括していく

ことになるのですが、東北の地でもきちんと足跡を残しています!

 

青森の忍者に関しての記事はこちらから

スポンサードリンク

三男:佐吉

三男の佐吉は佐和山の城で敗戦を迎えます。

 

ここでは一悶着あり、東軍に囲まれた佐和山城で開城交渉をしていた石田家臣津田清幽公はその最中、

東軍が約束を破り城に攻め込み石田三成公の兄が自害。

 

それに対して石田家臣の津田清幽公が猛烈に家康公に抗議します!

 

結果的に助命に成功し、長男と同じく出家します。

 

後世は、人を弔うことで世の中に還元していこうとのお考えだったのでしょうか?

やはり、関ケ原の敗戦、父の死などが影響されたのでしょう!

なかなか辛い立場ですよね!でも「義」を出家することで実現しようとされていたのではないでしょうか?

 

長女

石田家臣の山田隼人正公に嫁ぎ、その後三女辰姫の縁で津軽藩の扶持をもらい江戸で余生を過ごしたと言います。

子孫は、津軽藩士として仕えたようです!

石田の血は滋賀から青森へ!脈々と続いていくのでした!

次女

蒲生家臣の岡家に嫁ぎます。孫娘は第3代将軍徳川家光公の側室となり、長女千代姫を産み、その千代姫は

御三家筆頭格尾張徳川家に嫁ぎ、その子孫を代々残していくことになるのです!

 

尾張の地でも、石田の血は脈々と続いていきます。

 

でも、関ケ原では憎き敵だった徳川家の血を引き継いでいくという、歴史とは

面白いものですね!

三女辰姫

北政所の養女で辰姫と呼ばれていました。

 

映画の中でも、小早川秀秋公が北政所の所に泣きついていった時に、

秀秋公にお茶を出したのが辰姫でした。

 

小早川秀秋公も小早川家に養子に行く前は、北政所の養子でしたので、

2人は元兄妹ともいえますね。

 

小早川秀秋公が最後まで、三成公につくか、家康公につくかを悩んだのも納得行きます!

 

辰姫は、弘前藩(現在の青森県)第2代藩主・津軽信枚公に嫁ぎます。その後正室の座を、家康公の弟の娘で福島正則公(石田三成公とはかなりの犬猿の仲でした!)の息子の妻、の満天姫に譲り、辰姫は一時現在の群馬県に引っ越します。

青森と群馬の遠距離恋愛となってしまうのです!

 

しかし辰姫の事を忘れられない信枚公は参勤交代の際、辰姫の所にこっそりよっていったそうです!愛の力ですね!!!!ヒューヒュー!

その時に身ごもったのが第3代藩主・津軽信義公です!!(ちゃっかりね!)

 

三成公の血を引くのは信義公ですが、一方で、徳川の血を引く満天姫の息子が福島家再興を考え行動してしまいます。

これは放っておけば、

満天姫は自分の息子が津軽家にとって悪影響を及ぼす!!!と考え自ら息子を毒殺してしまいます!

(すごすぎる決断です!)

徳川の血を引く満天姫が、石田の血を守ったのです!

歴史というのは面白いものですね!!!

まとめ

石田三成公の子供やその子孫を見てみました。

長男と三男は出家し、次男の子孫は津軽で忍者を統括します。

長女と三女は津軽藩、弘前藩の為に仕え、次女は徳川のために仕えます。

北政所様が言っていた言葉「三成の血は残したほうがええ」は正に

結果的に良かったことを実証してくれました。全員が生き残り、それぞれ良い行いをして

しっかりと子孫を残してくれたのですから!

石田三成公の6人の子供まとめ表

名前 行方 功績
長男 石田重家公 出家 徳川家の祖心尼に禅を教授した。104歳まで生存する
次男 石田重成公 津軽藩で侍大将 子孫が津軽の忍者を統括する
三男 佐吉 出家 佐和山の戦いで奇跡的に生き残る
長女 石田家家臣山田隼人正公に嫁ぐ 子孫は津軽藩士として活躍する
次女 蒲生家臣の岡家に嫁ぐ 孫娘は第3代将軍徳川家光公の側室になる
三女 辰姫 弘前藩第2代藩主・津軽信枚公に嫁ぐ 第3代藩主・津軽信義公を産む

追記

現代の石田家の子孫で15代目の石田秀雄さん(石田三成公長男の重家公のご子孫)が映画の観客動員100万人突破イベントに参加されていたとのこと!

これからも、石田家の血を末永く引き継いで、義を貫き通して欲しいと思います!

 

石田三成公に興味を持たれた方は、以下の記事も楽しめる内容になっておリマス!