戦国時代をこよなく愛する激務ファミレス店長南昌幸がお届けする

ブログにお越しくださいましてありがとうございます!

[ad#co-1]

戦国時代の武将たちは、お祝いしたり、誰かをもてなしたりする時に

どのような料理を提供していたのでしょうか?

 

現在ですと、和食で言えば会席料理懐石料理などを

思い浮かべるのではないでしょうか?

 

ではでは、400年以上前、戦国時代の武将たちはいかに?

 

ここでは、時の人、織田信長公が徳川家康公に対しておもてなしした料理をご紹介したいと思います!

安土城で行われた織田信長公による徳川家康公へのおもてなしの背景

織田信長徳川家康

天正10年(1582年)3月に大敵武田家を共同で滅亡させた織田信長公徳川家康公でした。

この際、武田家の領地の駿河(現在の静岡県)を奪うことに成功した徳川家康公は、

織田信長公より、駿河の地を拝領します。

まず、徳川家康公は私財をなげうって、織田信長公を駿河を拝領したお礼に駿河へ招待し接待します!

(徳川家康公は5000貫目をつぎ込みます。その額現代の7億5千万円!)

(対する織田信長公は、お礼に8000俵を授与。その額現代の1億6千万円。

相当開きがありますね!)

 

 

宿を建て、街道を整備するなどその接待ぶりは相当なものがありました!

 

そのお陰で、信長公は上機嫌で各地を回ることができたそうです。

 

その後、5月15日、織田信長公は徳川家康公を安土城(織田信長公の居城)

に招き饗宴を開催することとなるのです。

 

織田信長公最大の敵でありました、武田家を完全に滅亡させることが出来ましたし、

さらに家康公の私財を投げ打った素晴らしい接待も受けており、

織田信長公のその喜びはひとしおだったのかと思います!!

 

そんな時に行われた宴なので、喜びを表現した食事にどんなものかかなり興味が沸きますね!

 

宴の責任者は、翌月6月2日に、本能寺の変で織田信長公に謀反を起こす明智光秀公が担当します!ううっつ!

 

「おちつき膳」とはどんな料理だったのでしょうか?

 

織田信長公が徳川家康公にもてなした最初の料理の献立を「おちつき膳」と呼びます!

本膳から五の膳まであり、お菓子までついたフルコースだったようです!!!

なんかすごそうですね!豪華そうです!

どの位豪華だったのでしょうか?

 

普通の酒宴はどうだったか見てみればその豪華さがわかりますね!見てみましょう

普通の酒宴

日本料理 和食 椀物 汁物 漆器 生麩 出汁 煮物椀 季節感 和食の華 日本料理の華 料理人 懐石 会席 会席料理 懐石料理 銀杏 いちょう 季節

 

戦国時代の饗宴料理を「本膳料理」とよんでいましたが、これは基本的に三膳だったといいます。

 

内容を見てみましょう!

1,式三献(はじめに儀式として三杯のお酒を3つの料理とともに三回に分けて頂きます)

(これは現在の駆けつけ三杯の語源ともなっています)

(さらに神前結婚式の儀式、三三九度(女性3回男性3回女性3回全部で9回同じ酒を飲む儀式)

となって現在に残ります。)

この式三献は、食べるというより儀式的に行うものです。

2,本膳(7つの菜を置く)

3,二の膳(5つの菜を置く)

4,三の膳(3つの菜を置く)(これを七五三膳と呼びます)

5,お菓子

といった感じで御膳が組まれていました。

 

どうですか?それに比べても、五膳は数の面で豪華だったといえるでしょう!

それでは、次に「おちつき膳」の献立を見てみましょう!

「おちつき膳」の献立

「おちつき膳」では式三献は出てきませんでした。

これは、儀式張った事を織田信長公が嫌ったのか?饗宴の責任者の明智光秀公の

落ち度なのか?そのへんは色んな説がありますが、ちょっと不可解ではありますね!

 

1,本膳

おちつき膳本膳

◯たこ(ゆでて、いぼを取り皮をむいて使います。これは腐敗を防ぐためです。)

泳いでいるタコのイラスト

◯鯛(たい)の焼き物(家康公は鯛が好物でした)(ヒレを立派に立てることが礼儀!)

タイ・マダイのイラスト

◯菜汁(青菜の味噌汁)

なます(コイのなます。身を細く切ってワサビ酢で和えます)

◯香の物(味噌漬け)(古来より味噌のことを香といいました)

◯鮒(ふな)の寿司(近江地元の特産)

フナのイラスト

◯ご飯

☆家康公の好物や、地元の食材などを考えながら出されていますねえ!

2,二の膳

うるか(鮎(あゆ)の内臓の塩辛)

アユのキャラクター(魚)

◯うちまる(うなぎ)(うなぎに醤油と酒を合わせたタレをつけたもの。当時醤油は希少でした)

ほや冷汁(関西方面では珍しい)(ナマコに似たさわやかな香りと歯触りが好まれました)

◯ふとに(なまこ)(日本三大珍味のひとつ)(ナマコを干したホシコにナガイモを入れて巻き、すめ味噌で煮たものです)

かいアワビ(高級貝、貝の王者、不老長寿の縁起物です)

アワビのイラスト

はも(うなぎの親戚、小骨が硬い、京料理には欠かせない)

◯鯉(こい)の汁

☆この膳は、魚介類が中心ですが、高級なものが多いですね!

三の膳

◯焼き鳥(きじを塩焼きかくるみ酢で調理されたといいます)

キジのイラスト

◯つる汁・やまのいも(塩漬けにされた鶴肉を薄切りにして茹でたと言います)

◯がざみ(ワタリガニのことです)

蟹座のイラスト(星座)

◯にし(にしの身は辛みがあるので、この特徴を生かして、ケシの実や、タデ、コショウをすりこんで更に辛く、おいしくなるように調理法も工夫されました。)

すずき汁(美味な鳥・魚を「三鳥五魚」といい、スズキはタイ、コイとともに五魚の一つ)

☆趣向を変えて、鶏やカニが登場!食欲をそそりますね!

与膳(四膳)

◯巻きするめ(スルメをまいて紐で結び数日置いたもの。正式な儀式料理)

スルメのイラスト

(しぎ)つぼ(酒で煎った鴫肉を詰めて柿の葉で蓋をし,藁でからげたもの)

◯鮒(ふな)汁(鮒は琵琶湖産)

◯しいたけ(味噌で煮たもの)

しいたけのイラスト(茸)

☆するめや鴫などバリエーションに飛んでいますね!

五膳

◯まながつお刺し身

カツオのキャラクター

◯生姜酢(希少な醤油の代わりにまながつおを付けて食べました)

◯ごぼう

ごぼうのイラスト

◯鴨の汁(この5,6月には鴨は季節外れですが、塩で保管していたものと思われます。

京都や堺では季節はずれのものも手に入るように発展していました)

カルガモのイラスト

◯削り昆布(縦に切り込みを入れ、火であぶりました)

☆最後の膳には、季節外の食材や刺し身が出てきて面白いですね!

お菓子

◯羊皮餅(大福餅)

◯まめあめ(大豆を煎り、飴で絡めたお菓子)

◯美濃柿(甘柿の産地、美濃の柿)

柿のイラスト(フルーツ)

◯花に昆布(柔らかく煮て花型に切った昆布)

◯から花(ヒノキで作った造花で、飾り付けに使われました)

ヒノキの木のイラスト

☆締めは、甘いもので!食後のデザートですね!

 

そして、「おちつき膳」の食器は大層豪華で、金銀極彩色を用いた「彩絵(だみえ)」が

書かれていたそうです!

[ad#co-2]

戦国時代の食事のマナーについて

室町幕府第3代将軍足利義満公によって武家には武家の礼法があると定められました!

 

その礼法を指南した家を高家(いまでいう知的アドバイザー)といいます。

 

高家は3つの家が担当し、

そのうち、「内の礼法(家の中の作法)」を伊勢家、「外の礼法(弓馬の作法)」を小笠原家

書と画の作法を今川家(のち吉良家)が任されることとなりました。

 

伊勢家が任された「内の礼法」の中に、食事の際の作法も定められていて、

武家の中に浸透していました!

その一例をあげてみますね!

食事中の作法一例

◯汁の中の魚の骨は、折敷に置くのは良くない

◯飯を食べるときは茶碗の左右、向かい側から一箸ずつ飯をとり、一口にして食べる

◯箸を添えて汁を吸う

◯饅頭は、3分の1を箸で割って、餡をこぼさないようにして口に運ぶ

◯料理人は、魚や肉の美味しい部分は上座の人へ提供する

◯食事に対して賛辞を送る

 

このようなマナーを守るというのも一流の武将は難なくこなしていたのでしょうね!

カッコイイ!!

現代でも信長公のおもてなしの御膳食べられるの?

是非、この「おちつき膳」なるものを食べてみたいな!と現代でも食べられるのか?

ということで探してみました!

 

早速見つけました!まさに、徳川家康公を招いた安土城での「おちつき膳」!

コレだ!!!「休暇村近江八幡」にて、限定10食!!!

と喜んだのもつかの間。2016年限定のものでした、、、。

残念ながら今はやっていないとのこと。

 

これにめげずに探していると、きたーーー!「信長饗応膳」を発見!

 

2017年今も現役でやっていました!

「おちつき膳」の全メニューが食べられるわけではないのですが、

「巻スルメ」や「鮎、うなぎ、あわび」などがメニューに載っています!

参考:税、サ別で5000円です!

それを提供しているホテルが長良川温泉 ホテルパーク!です!

 

にっぽんの温泉100選に選ばれた長良川温泉あり、

岐阜城に一番近い立地もまた良いです!

 

まとめ

徳川家康公へのお礼の意味を込めて招かれた安土城での饗宴。

通常の饗宴よりも豪華な内容だったようです。

 

徳川家康公の好物や、珍味、高級魚などを使用して、様々な調理方法で

作り、その料理を豪華な彩絵が描かれた器で提供されました。

 

そして、伊勢家の一流のマナーを身に着けた武将たちを尊敬します!

 

安土城の一室で、織田信長公と徳川家康公が食事をしているところを想像しただけで

本当に胸が踊ります!!!

 

 

その後、織田信長公は明智光秀公に本能寺で討たれ、徳川家康公は、

堺から命からがら伊賀(現在の三重県)を越えて自分の領地に戻ります、、。がそれはまた違う物語、、、。

 

武将たちの食事に興味を持たれた方は、こちらの記事が楽しめる内容となっております!

映画「関ケ原」で大谷吉継公と石田三成公が食べていた割粥は豊臣秀吉公の好物だった!

映画「関ケ原」の舞台、関ケ原周辺の戦国武将ゆかりの食事処5店を紹介します!

新潟の良酒、池田屋酒造さんが造る「謙信」!敵に塩を送る上杉謙信公の伝説!

上杉謙信公が京都で飲んだお酒とは?日本最初の銘酒「柳の酒」について!

酒豪上杉謙信公お酒にまつわる逸話!越後と京都の日本酒?

映画「関ヶ原」岡田准一が演じた石田三成公と食べ物!

大河ドラマでお馴染みの、織田信長公の桶狭間の戦い直前の勝負メシは!

戦国BASARAなどのTVゲームで有名な、大河ドラマおんな城主では春風亭昇太が演じる今川義元公の食事って?

戦国武将たちはどんな汁物を飲んでいたのか?

戦国basaraや戦国無双などのテレビゲームでも有名で、2017年大河ドラマで柴咲コウが演じる、おんな城主「井伊直虎公」の食事って?