徳川慶喜の名前を聞いたことがあるでしょうか?
きっと、徳川最後の将軍とか、大政奉還をした人とか、教科書に出て来る徳川慶喜は
そういう感じでしょう。
ちなみに大河ドラマ「西郷どん」では「ヒー様」という名前で出てきます。
これは脚本を描いている中園ミホさんの遊び心だと思います。
「ヒー」は一橋(ひとつばし)から来ているものでしょう。
徳川慶喜は一橋家に養子にいっていましたからね。
また、西郷隆盛の名前は聞いたことがありますか?
今年の大河ドラマの主人公ですので、名前は聞いたことがあると思います。
大河ドラマ・西郷どん(せごどん)のネタバレまとめ!西郷隆盛は~
明治維新を成し遂げた人とか、西南戦争で死んだ人、などが教科書的には有名なのではないでしょうか?
その通りです。
歴史的には正にその通りです!
では実際の二人は、人物としてはどんな人だったのでしょうか?
そして二人の共通点と違いとは?
歴史上の有名な人物ですが、ふたりとも紛いもない人間です。
大河ドラマ「西郷どん」でも絡みがありそうなお二人。
キャストについての情報はこちら⬇
今回は、そんな二人の共通点を見ながら紐解いて見ましょう。
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徳川慶喜と西郷隆盛の共通点(ザックリいきます)
先ず西郷隆盛の半生はこちらをザザーとご覧ください⬇
西郷隆盛の生涯がザックリおわかりいただけたかと思います。
共通点1、二人共はじめは尊皇攘夷派(天皇を主君に仰ぎ、外国を排除するという考え方)
徳川慶喜は江戸時代末期、1837年、尊皇攘夷で有名な水戸藩徳川斉昭の息子として産まれます。
必然的に尊皇攘夷派です。
一方、西郷隆盛も、この頃、水戸藩との交流あり、尊皇攘夷の考えかたに染まっていきます。
政治的考え方はふたりともはじめ一緒だったといえます!
共通点2,学問をよく学ぶ
慶喜は水戸藩校弘道館で、隆盛は郷中教育や薩摩藩校造士館にて学んでいます。
基礎的な考えかたはココで叩き込まれています。
土台作りはバッチリです。
共通点3,将軍継嗣問題(二人共慶喜派)
当時の将軍家定は病弱で嫡男が産まれず、そんな中家定は亡くなります。
次期将軍に推挙されたのが、二人いました。
1,徳川慶喜。
推挙者に薩摩藩や江戸幕府の老中がいます。薩摩藩の西郷隆盛は、慶喜と同じ側にいますね。
もう一方に
2,徳川慶福。
推挙者には彦根藩主井伊直弼や、家定の血筋が近い紀州徳川家がいます。
この頃は、西郷隆盛も徳川慶喜を推挙する側にいました。
特に、上司である島津斉彬が慶喜を将軍に強く推していいた影響はあるとは言え、
この頃二人の目指す世界は共通だったと言えるでしょう。
共通点4,主導者として活躍
桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、徳川慶喜が幕府の主導権を握ります。
一方西郷隆盛は、徐々に幕府の腐敗、衰弱を知るようになり、幕府を倒し新しい政府を作ることを志すようになります。その先導者の薩摩藩の主導者として活躍します。
ここで二人の目指す世界が二つに分かれていきます。
お互い目指す世界の形は違くても、それを引っ張っていく主導者として活躍したことは共通でした。
リーダーとして活躍したことは共通点に挙げられるでしょう。
共通点5,将軍職をあっさり返上する慶喜と徳川家断絶をあっさり返上する西郷
その後西郷隆盛たちが武力で徳川幕府を倒そうとする勢力のほうが幕府側の力より強まると、慶喜はあっさりと将軍の職を返上してしまいます。大政奉還ですね。
なんてあっさりなのか?いや、これはすでに計算済みなのか?
いずれにしても慶喜はなんとか生き延びるために全ての労力を注いでいきます。
西郷隆盛は、策を弄して逃げまくる慶喜を完全に倒したくて仕方ありません。
しかし、慶喜に思わぬ援軍が、、、。島津出身で徳川十三代将軍の御台所の篤姫が、西郷に慶喜の命を助けるように嘆願書を送ります。
篤姫に頭の上がらない西郷は考えかたをこれまた結果的にあっさりと変えます。
あっさりといえばこの点をみると二人共共通と言えるでしょう。
共通点6,趣味
西郷隆盛はよく兎狩りに行っていました。ダイエットも兼ねてやっていたところはあります。
一方慶喜も明治維新後は狩猟をよく行っていたようです。徳川家の伝統ですね!
趣味の共通点は、狩猟でした。
共通点7,女
慶喜も西郷も女を愛した点は共通でしょう。英雄色を好む。
慶喜は正室一人(一条美賀子)と側室が数多く(明治維新後は2人、信と幸)と愛人(お芳)がいました。
西郷は3人(須賀、愛加那、糸)の妻と、愛人が一人(お虎)いました。
女性の好みは少し違うようですけどね?
(慶喜は細めで美人系?西郷は大柄でテキパキ系?)
でも女の人のサポートや、女の人を愛することでパワーが湧いてくるっていうのはあったんだと思います。
「大河の西郷どんの中での一橋慶喜は、品川の旅籠では「ヒー様」と呼ばれ、結構遊び人って感じで出て来るようです!誰が慶喜の役をやるのでしょうかね??楽しみです」
共通点8,人徳
これは、はっきりいえば西郷隆盛が圧倒的に人徳があるのですが、徳川慶喜にも少なからず人徳が備わっていました。それでは、二人についてきた人のことを見てみることにしましょう。
西郷隆盛についてきた人は、政府の役職を辞めて西郷と一緒に鹿児島に帰った人(桐野利秋、村田新八たち)や、西南戦争で一緒に命を投げ打ってくれる人(桂久武たち)たち。数多くいました。
一方徳川慶喜はどうでしょう。
有名なところに新門辰五郎がいます。日本最後の侠客(きょうかく)で江戸の火消しの親分です。
彼は、京都御所を警護する役に慶喜が就くと、江戸から京都に移り住み、二条城の警備や、色んな店をはじめたりしたようです。そんな強烈な支持者もいました。
やはり歴史に名を残す人は、人を引きつける何かをもっています!
共通点9、お互いに最後の人物
二人はお互いに最後の人物でした。
慶喜はご存知徳川幕府最後の将軍です。
さらにいえば、政権を朝廷に返上し、680年続く鎌倉幕府からの武家政治を終わらせた人でもあります。
結果的に西郷たちに追い込まれ終わらさざるを得なかったのだと思いますが、その決断をしたことに凄いと思います。いろんなことを周りからいろいろ批判されたとは思います。それを受け流し、自分の道を進んでいく慶喜は素晴らしいと思います。
一方西郷隆盛は、最後の日本の武士、侍を終わらせた人といえるでしょう。
明治新政府は江戸時代から続く武士の特権を次から次へ剥いで行きました。武士は士族と呼ばれ、廃刀令など、百姓の年貢を食いつぶすだけの武士の特権はどんどん無くなっていき、自ら商売などをして生きていかなければならなくなっていきます。もちろん徴兵制などで生きる道を西郷隆盛は模索していきますが、士族たちの不満はたまる一方でした。
その士族たちの不満を一気にガス抜きして終わらせたのが西郷隆盛が担がれておこした西南戦争だったと思います。
日本最後の内戦とです。
この西南戦争で、武士、侍の時代は完全に終結を迎えます。
西郷は、このことを分かってて新しい時代のために、自らの命を捧げたんだろうと私は思います。
二人共大きな区切りとして、自らが表に立ちけじめをつけました。
これが最大の共通点です。
二人がいなければ、この明治維新本当の夜明けは来ず、もっとちがったものになっていたことでしょう。
一歩間違えば国力が削がれ、植民地化されていたかも知れないと思うと二人の功績に頭が下がります!
最後に
様々な共通点をみて来ました。
お互い敵対した二人ですが、彼ら二人の対立があって初めて成り立ってたのが明治維新だと思っています。
精一杯生きたからこそ輝くものがある。
たくさん二人に学ぶ事が出来ました。
ありがとうございます!